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  「高度成長時代のガメラ」

 1954年に公開された東宝映画『ゴジラ』に遅れること約10年、1965年に大映の「ガメラシリーズ」は始まった(第1作『大怪獣ガメラ』)。シリーズ中人気怪獣となったギャオスが登場する第3作『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』が公開されたのは1967年のことである。「もはや戦後ではない」と経済白書で謳われた1956年をはさんで、『ゴジラ』と『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』は、まるで異なる日本の精神風土の中に置かれている。

 第五福竜丸事件をきっかけに制作された『ゴジラ』は戦争の記憶を濃厚にまとわせていたが、1967年の『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』は高度経済成長の風景の中に置かれている。冒頭の明神礁、三宅島の噴火、それに続く富士山の噴火と、この映画は、現代に牙をむく古代の荒々しい力を印象付ける。じっさい、富士山の噴火の火を食らいにガメラが現れ、その調査のために上空を飛行するヘリコプターは、二子山から発せられる怪光線によって破壊される。恐怖の怪獣が住まう舞台として、魔の山としての富士火山帯ほど似つかわしいものはないといえる。

 ところがこの魔の山は、一方で、東名高速道路建設予定地であり、高度経済成長を押し進める近代の波に飲み込まれつつある。そこには観光客のための近代的な宿泊施設が整い、「ハイランドパーク」なる娯楽施設(「富士急ハイランド」らしい)も併設されている。高速道路を巡っては、地元の住人たちによって反対運動が組織されているが、彼らの目的は「自然を守る」とか「近代への懐疑」とかそういったものではまったくなく、補償金額を釣り上げようとする欲得でしかない。

 1954年の『ゴジラ』においてならありえたかもしれない怪獣という古代の神による現代への審判という物語を、1967年の『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』は、もはや担う意志を持ってはいない。この映画は、むしろ、1967年という高度成長時代の空気に同調することを目指している。物語は、お約束通り、強欲な村長が孫の言動にほだされて、欲得にまみれた心を改めると、高速道路建設反対運動をとりやめ、建設に協力する、といういかにもありそうなハッピー・エンドをむかえて幕を閉じる。こうして「東名高速道路建設」に代表される日本の近代のプロジェクトは、座礁することなく続行されることを保障される。戦後日本の近代化に大きな協力を果たすのが、怪獣ガメラというわけだ(怪獣というよりは、役割としてはむしろウルトラマンである)。

 悪役ギャオスが戦後日本の敵役として君臨する。東宝のキング・コングやフランケンシュタインへの対抗馬として、大映のギャオスは吸血鬼ドラキュラをモチーフに造形された。ぬいぐるみ感が強すぎて、東宝のキングギドラに比べると邪悪な迫力感が不足気味のギャオスであるが、太陽の光を浴びると死なねばならないこの「夜の怪獣」は、近代が抑圧する古代の禍々しさを観客の眼に焼き付けた。人間の肉体を食らい、その血をすする姿は、ヒールとしての貫録を十分備えている。アンチ戦後日本としてのこの怪獣は、ヒューマニスティックな懐疑の視線を、ウルトラマンの勧善懲悪の物語に向けていた沖縄出身の金城哲夫と一脈通じるところがあるかもしれない。

 ヒールならぬベビー・フェイスとしてのガメラは、ゴジラとの差別化を図るため、永田雅一大映社長のアイデアで、「子供好きの怪獣」というキャラクターに設定された。子供は好きだが、人類の敵ではあったガメラは第1作では、まだ凶暴な表情を湛えていたが、第3作ではよりソフトな外観となる。映画のエンディング・ロールでは「ひばり児童合唱団」が歌う「ガメラの歌」が流れ、まるで幼稚園のお遊戯会のような雰囲気である。映画本編内ではゴジラのテーマ曲に似た重厚な曲が流れているが、この合唱歌の登場は、1965年における『怪獣大戦争』でのゴジラの「シェー」に似て、この時期に怪獣映画が変質を遂げたことを告げている。

 その変質は、一言で言えば、怪獣のアイドル化というものである。高度成長期の子供の嗜好がそうした現象を生んだと言ってよい。60年代後半の子供の感性は、テレビの感性と言ってよいが、この時期、文化現象では、映画からテレビへ、スターからアイドルへ、といった流れが加速的に進んだのである。大映もテレビの勃興による斜陽の呷りを食らって倒産への道を突き進んでいたが、大映末期の会社経営を支えたのが、映画のテレビ化ともいえる「ガメラ・シリーズ」というドル箱であったことは、なんとも皮肉である。

 怪獣のアイドル化とは、第1作『ゴジラ』が持っていた戦争の記憶や水爆実験への怒りを日本社会が放棄し、「核」というものが禁忌の対象ではなくなり、容認するものへと変質したことを意味する。つい最近ホットな話題であった「浜岡原発」は、それが導入される計画段階――この時点では三重県が予定地であった――の1960年代前半においては、三重県の全漁協が反対に回ったが、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』が公開された1967年に浜岡町側に中部電力側から打診され、建設受け入れの下地が作られる。静岡県内には、「第五福竜丸」が母港にしていた焼津港があったことから、漁民は拒否反応を示していたが、破格の補償費もあって、1969年についに建設の同意が成立する。

 こうして近代プロジェクトを応援する怪獣映画という不思議な作品が高度経済成長期に出現する。静岡を舞台として演じられたのは、第1次産業が第2次産業に怪獣ならぬ懐柔される光景だった。それは日本全国で進行していた現象でもあった。それは今も「TPP」問題を巡って繰り返されている。民主党の前原誠司は「日本のGDPにおける第1次産業の割合は1.5パーセントだ。1.5パーセントを守るために98.5パーセントが犠牲になっているのではないか」と発言している。沖縄出身であるがゆえに、「本土」の論理から距離を置くことのできた金城哲夫のような存在は、本土の怪獣映画関係者にはいなかったようである。

(2011・11・1)
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