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  「サイボーグ文学について(3)」

三 一九世紀の女神

      (i)複製技術が覇権を握る時代

 二〇世紀の重要な批評家であるヴァルター・ベンヤミンは、一九世紀の最終年に、文化の歴史におけるきわめて重大なメルク・マールを見てとっている。

《つまり一九〇〇年を画期として複製技術は、在来の芸術作品の総体を対象とすることにより、芸術作品の影響力に深刻きわまる変化を生じさせる水準にまで、到達したのだが、ことはそれだけでは済まず、芸術家たちの行動のさまざまな在りかたのうちにも、複製技術はそれ自体、独自の場を確保する水準にまで、到達したのである》
(「複製技術の時代における芸術作品」)

 二〇世紀に様々な局面において、問題化される「オリジナルとコピー」の問題は、一九世紀に胚胎している。「写真装置」の出現によってもたらされた複製(コピー)の氾濫という現象は、ベンヤミンにとっては、歴史の決定的な転換点であり、大衆を主体とする革命の可能性として捉えられていたが、マラルメやその弟子を自認するヴァレリーにとっては、超越性の深刻な崩壊として受けとめられていた。ヨーロッパこそが世界の精神を担うと自負していたヴァレリーは、同時代の世界の動向のうちに、自分の足元を脅かす鈍い衝撃を感受していたのである。

 一九世紀末の「日清戦争」と「米西戦争」は、ヴァレリーの眼には、ヨーロッパの終焉の兆候として映っていた。

《とはいうものの私は、この別々の事件を偶発事や局限された現象としてではなく、徴候あるいは前提として、その内在的重要性や外見上の有効限度をはるかに超えた意義をもつ意味深い事実として、強く感じたのである。前者(日清戦争――引用者註)はヨーロッパ風に改造され、装備されたアジア国民の最初の実力行使であり、後者(米西戦争――引用者註)はヨーロッパから抽き出され、いわば発展した国民のヨーロッパ国民に対する最初の実力行使だったのだ》(「『現代世界の考察』序言」)

 ヨーロッパのコピーである日本やアメリカが、オリジナルとしてのヨーロッパに肉迫し、それを凌駕しようとしている。明治維新(一八六八年)後、日本が近代国家への道を邁進したように、南北戦争(一八六一年〜一八六五年)後のアメリカは国内再建に集中し、一八九四年にはアメリカの工業生産力がついにイギリスを抜いて世界一となった。一八九八年の「米西戦争」では、スペイン領キューバの混乱に乗じて、アメリカはスペインと開戦し、わずか十週間で圧勝を収めた(村田晃嗣『アメリカ外交』参照)。

      (ii)撮影技師エディソン

 新進資本主義国アメリカが大躍進を遂げた一八七〇年代、その発展を支えた世界的な著名人が、発明王トーマス・エディソンである。この伝説的な人物が主要なキャラクターの一人として登場するリラダンの『未来のイヴ』(一八八六年)は、アメリカとヨーロッパの微妙な拮抗関係という歴史的状況を背景にして書かれている作品である。この作品は、新進のヤンキーの代表たるエディソンと、「湖沼と、樅の木と、岩山に囲まれて」いる古城において「隠遁の生活」を送っている英国青年貴族エワルドのダイアローグの言葉から主に構成されている。であるがゆえに、この二人の人物の対話関係のうちに、アメリカとイギリスのメンタリティーにおける敵対関係を見ることは比較的たやすいことではある(そうではない要素もあるのだが、そのことについては後述する)。

 例えば、自身の「一門の伝統になっているあの、最初でありしかも必ずや最後でもある恋」に人生を賭けたいという「まことに以って《時代遅れ》な」願望を抱くエワルドに対して、エディソンは「あなたは、ひとりでに癒る青春の病に罹っていらっしゃるのですよ」と、ごく良識的で世俗的でもある忠言を与える。この時のエディソンの姿は、リラダンによって「あまりにも高貴な青年を、ぢっと見据えていたが、あたかもそれは手術者が匙を投げられた患者を眺めるさまに似ていた」(『未来のイヴ』の斉藤磯雄による翻訳原文は旧漢字旧かなづかいで表記されているが、引用の際には新漢字新かなづかいに書き改めてあることをお断りしてく)というふうに描かれている。ここでリラダンによって用いられた「手術者」という言葉は、なかなか意味深長である。

 というのもこれとほぼ同じ言葉がベンヤミンの「複製技術の時代における芸術作品」の中において、「絵画」文化と「映画」文化を分かつ決定的な分岐点の比喩概念として用いられているからである。ベンヤミンは、「オペラトウール」という語が「撮影技師」と「執刀医」の両方を意味することを巧みに利用し、「外科医」と「呪術師」を対立する概念として措定してみせる。

《外科医はある意味で、呪術師の対極に位置している。病人の上に手を置くことで治療する呪術師の態度は、病人の体内に手を入れてゆく外科医の態度とは違う。(略)祈祷師と外科医との関係は、画家と撮影技師との関係にひとしい。画家は仕事をするとき、対象との自然な距離に注意を払う。これに反して撮影技師は、事象の織り成す構造の奥深くまで分け入ってゆく。両者が取りだしてくる映像は、いちじるしく異なっている。画家による映像が総体的だとすれば、撮影技師による映像はばらばらであって、その諸部分は新しい法則に従って寄せ集められ、ひとつの構成体となる》

 ベンヤミンによって「祈祷師」の側に位置づけられている「画家」は、総体的な映像を捉えるとされているが、このことは世界の活動を質的な持続として、いいかえれば「運動」そのものとして体験することを意味する。これに反して「外科医」の側に位置づけられる「撮影技師」は、映像をばらばらに分解してしまうとされていて、このことは、世界の運動の量的な分割、すなわち「運動」を「運動の軌跡」に置き換えることを意味している。「エワルドさん、私は、あなたの再生のために大いに役立つ、恐らくこの世で唯一人の医者なのです」と語るエディソンは、運動の量的な分割を是とし、それを過激にとことん実践してみせる人物である。エディソンの製作する「人造人間」は、質的なものとしてあるはずの「運動」を量的なものへと転化し、それを数値的に記録反映させる装置なのである。だからエディソンの「人造人間」は、「写真」という装置との結びつきをあからさまに示し続けてやまない。「人造人間」ハダリーが始めて登場する第二巻第三章では、エワルドの外面での恋人アリシヤ・クラリー(エワルドはアリシヤの内面は愛することができない)の写真とハダリーが、「壁に張られた、大きな枠のついた白絹の幕」を挟んで向かい合うことになる。

《目の眩むような強い光の束が、一つの反射鏡に導かれて投射され、ミス・アリシヤ・クラリーの写真の真向いに置かれたレンズに反射された。この写真の下の方には、もう一つ別の反射鏡があって、その貫き通すような光線の屈折を幾層倍にも強めて写真の上に浴びせかけていた》

 おのが手中に収めた科学技術を過信してやまないエディソンは、「運動円管」なるものを通して、「運動」そのものを描写することが可能だとエワルドに語る。「あなたの恋人が浴みから出るとき、髪の毛を投げやるさまが何とも言えず艶やかだと仰有いましたが、その通りの所作をわたしは、「運動円管」の中に写し取ることに致しましょう。――ハダリーは、いつもの驚くべき忠実さを発揮して、その動作を……テキスト通りに再現しますよ」そしてまた、アリシヤ・クラリーばかりか、アリシヤと平行関係にあり(ミッシェル・カルージュ『独身者の機械』参照)、エディソンの「人造人間」製作着手の直接的契機となったエヴリン・ハバルによる「メキシコの民間舞踏のような」踊りをも、エディソンは「連続写真」に収めてエワルドに披露してみせる。最終章の前章の末尾では「これで初めて「科学」は、……恋の病からも人間を癒せるということを証明したわけですね!」とも語るエディソンは、「モデルと複写とが全く区別できなくなってしま」うことにいささかの逡巡も懐疑も抱いてはおらず、「運動円管」による運動の再現の可能性を信じきっている。作品中でエディソンは、「これらの環のそれぞれは、ミス・アリシヤの胴体のくねらせかたに応じて、中枢電力の作用を受けるのですが、ミス・アリシヤの胴体は、その独特の屈折運動を、例の「動力・円管」に記録された通りに、それぞれの環に伝達するわけなのです」「円管に刻まれた記録によって物腰態度に撒き散らされる魅力が、ほんものと全く同じなのにあなたはびっくりなさるでしょう!」「この環の中でそれぞれの骨が、要求された運動の価値量に応じて動くのです」という台詞を撒き散らしてやまないのだが、彼のそうした言動に同調するかのように、作品の言葉は、ある種の生彩に満ちた滑稽さを実現することになる。例えば第五巻第五章で、エディソンはハダリーが遂行する「均衡」について、エワルドに長々とした説明をするのだが、説明が展開するにつれ、エディソンの言葉は白熱し、科学的知に忠実な模倣を演じていたかに見える彼の言葉は、科学の程よいイメージを突きぬけ、科学の異形のパロディーのような有様を形成するに至る。

 「ハダリーの二つの臀部は狩の女神ディヤナのお尻とそっくりです」と古典的美の比喩を用いてエディソンはハダリーの肉体を描写するが、すぐさま彼は「しかしそれぞれの銀の空洞には、プラチナ製壷型水槽が含まれていまして」と反美学的な科学の言葉を挿入し、次いで「この二つの壷の外側は、すべすべしていますが、形に紆曲がありますから、腸骨の空洞の内側に殆ど密着しているのです。(改行)この容器の上の方は朝顔型にひろがって内壁の形と同じになっていますが――その底はそれぞれ長方円錐形に終っていまして、それ自体、双方下の方で相手の方へ向かって傾き合っていますが、こうして双方の高さの水準に対して四十五度の角を作っていることになります」と古典的な芸術美を嘲笑的に相対化するかのような言辞を弄するのである。そしてエディソンの紡ぎだす言葉は、科学的な知の運動を過度に模倣しつくすあまり、次のような奇怪な(?)言葉を形成するに至る。

《この観念的な直線の上方に固定された色々な装置のそれぞれ異る重量を正確に計算して、各々の装置に望ましい傾斜をつけて配置し了りますと、これらすべての重力の方向は、先程申上げた直角三角形の上に重ねられ、同じく頂点を下に向けた、第二の直角三角形によって表現されると思いますし、更にこの頂点は第一の直角三角形の斜辺上の想定中心点に達するだろうと思います。このようにして、上部直角三角形の底辺は両肩の高さを連ねる第二の水平線によって作られることになるでしょう。従って二つの直角三角形の各頂点はそれぞれに対応する垂直線上に置かれることになります》

 科学的な表象作用が「表象」そのものを突き破ってしまい、表象の道化じみた仮面が乱舞しているかのような印象の描写(?)である。明確なイメージを抱くことはきわめて困難であるが、無邪気なサイエンスのダンス(?)を楽しんでいる科学的な精神の陽気な息遣いのようなものが伝わってきそうである。

 科学的な知が自壊するまでに至る、反科学への欲望を内包する陽気な錯乱とでもいうか、あるいはエディソンの同時代人である生理学者エティンヌ=ジュール・マレーの姿の中に、松浦寿輝が見出す「滑稽と厳粛という二つの印象の不思議な共存」(『表象と倒錯』)とでもいうか、のっぺりとした凡庸な表象空間からは、はみ出さざるを得ない異質な力がリラダンの描くエディソンから触知されるのである。ここで登場したマレーという人物は、第三共和制下(つまりはリラダンの同時代人)で医学アカデミーの総裁として君臨したエリート科学者であるが、彼はまた科学的知を徹底させるために「連続写真(クロノフォトグラフィ)」なるものを考案してそれを実践した表象の記録者でもあった。彼は表象過程において、「馬の脚にゴム球やチューブを装着したり、鳩の胴にコルセットを被せその下に筋運動の記録のためのカプセルを挿入したりといった人為的介入」を行なって、「運動」という本質的に反表象的な出来事を正確に写真の画面の中に記録定着しようと試みた。マレーの「「表象」への欲望が、その限界点の一つをかたちづくる「運動」という危険な主題にあまりにも過剰に固執し、完璧な「表象」をめざしてあまりにも遠くへ行きすぎてしまったために、「表象」における完璧という概念そのものが肥大の果てに畸形化し、記号を「表象」の彼方へと押しやってしまった」という驚くべき事態に対して、松浦寿輝は「滑稽と厳粛」という言葉を用いたのである。『未来のイヴ』の中のエディソンも、マレーの「滑稽と厳粛」を共有しているのであり、だから時代錯誤的な英国青年貴族のエワルドとのあいだに対立的な差異を所持しながらも、じつはエワルドと相当に濃い血縁関係をも有している人物なのだといえる。そしてまた、生身のエディソンが一八八九年のパリ万国博覧会の際、パリへと赴き、そこでマレーと何度か会い、クロノフォトグラフィの最新モデルを見せてもらい、意見交換を行なっているという歴史的事実はまことに興味深い。ここで『未来のイヴ』への理解を深めるために、この作品が書かれた一八八〇年代西欧の文化的背景に注目してみたい。

      (iii)切断線としての一八八〇年代

 われわれが住まう文化的環境を考察するにあたって、とうてい無視することなどできはしない重要さを秘めた仕事を、フランス文学者として松浦寿輝は、『平面論』『エッフェル塔試論』『知の庭園』『表象と倒錯』といった書物を通して積み上げたのだった。これらの書物に共通する主題は、『平面論』の副題にもなっている「一八八〇年代西欧」であるが、この時期に「群衆状況」を産み落とし、それを広く世界に伝播させることになった歴史的な「地滑り」の淵源を、松浦は「一八世紀末から一九世紀初頭にかけての一時期」に見出す。

《古典的な表象空間に起きた大がかりな地盤移動とともに、西欧は一八世紀の調和と安定に訣別する。一八世紀末から一九世紀初頭にかけての一時期に生じたと考えられるその地盤移動のさまを、われわれは、「知」が「無限」として、「美」が「崇高」として立ち現われてきた認識論的出来事として繰り返し描写してきた。その「無限」と「崇高」を前にしたとき、「人間」は、いわばドーム屋根をいただく巨大図書館の円形閲覧室の中心に身を置いたみずからの位置に、いきなり目覚めてしまう。爾来、全能感と無力感との間、安らぎとよるべなさとの間に引き裂かれた「人間」は、そうした引き裂かれから発する神経症の諸症状を潜伏させた特有の「知の主体」として自分自身を形成してゆくことになるわけだ》(『知の庭園』)

 ここで言われている「そうした引き裂かれから発する神経症の諸症状を潜伏させた特有の「知の主体」」の一人に、まさしく「一九世紀初頭」に近い頃『フランケンシュタイン』(第一版一八一八年)を書いたメアリ・シェリーがいる。この作品は次の章で論じることになるが、一八世紀から一九世紀にかけて生じた転換を「空間」から「時間」への転換というふうに位置づけることができる。

 一八世紀においては、人々の目の前にある世界は、多様な差異の分布する異質的な空間(例えば「ヨーロッパ」と「アジア」、「江戸」と「琉球」など)としてあった。だから一八世紀前半を代表する思想家モンテスキューは、博物学的な視線で多様な事実を観察し、一元的な時間過程におさまりきらない事物の多様性に対して開かれた感覚を保持していた。よって彼は、ある相対性において価値を判断し、空間的な差異(例えば農村共同体のような)の関係性や対立に対して、「調整」という態度で向き合うことになる。

 一八世紀後半イギリスの国民経済の発展とともに登場したアダム・スミスの「『国富論』における諸社会の理論的把握の特徴は、何よりも第一に、諸社会を富裕の進歩という一本の尺度の上に位置づけたことにある。狩猟、牧畜、農耕、商業という四区分は、単なる民族の生計の種類ではなく、富裕の進歩に対応し価値的な優劣を付与された四つの発展段階として提示された」(芝井敬司「一八世紀後半における空間の消滅」)。資本の論理の大がかりな運動とともに、それまで社会秩序の基礎をなしていた中間集団の靭帯が緩み、かつてなく流動的な状況が出現したのである。こうして、安定した空間的多様性は吹き飛ばされ、様々な差異は時間軸に沿った一方向の運動に巻き込まれるようになる。そしてまた相対的な価値判断における「調整」という姿勢は、時間軸に沿って展開される「意志の行使と変革」という姿勢に取って代わられる。われわれの生を深く規定する資本主義の論理が世界を覆いつくしてゆく歴史(いわゆるグローバリゼーション)が、一九世紀に始まるのである。「もちろんそれは、たえず自己を超越する運動としての近代的な〈主体〉の姿に、またそうした〈主体〉たちの展開する競争によって成長してゆく国民経済・国民国家の姿に、ぴったりと重なっている。そこにはもはや安定した空間はない。時間こそが支配するのである」(樋口謹一「なぜ空間の世紀か」)。むろん空間そのものが消滅することはありえないわけで、多元的な空間の代わりにべたっとした一元的な空間が立ち現われるのである。

 ここにマッス(かたまり)としての「群衆」の空間が世界を覆いつくす状況が登場する。かっちりとした堅固な階級の秩序を含む安定した空間の崩壊と引き換えに、群衆のなかの平準化した個々は、扱いに困るような不定形な自由を手に入れる。空間のくびきからは開放されたのだが、目の前に広がる光景は、あまりに無限定に広大なので、大海原に漂う小舟のように、そそけだつ不安に身をすくまさざるをえない。「超越的価値によって吊り下げられていた立体的な神学的空間が崩壊し、その廃墟の中に、あらゆるものを平準化してしまうべたっとした「等距離」の平面が、しらじらとした姿で現われる。その平面上に、複製とシミュラクルたちが、「質」ならざる「量」として、「美」を問われることのない「数」として、きりもなく増殖してゆくことになるのだ。こうした意味での「世俗化」こそ、「近代」を貫くもっとも大きなモメントの一つと言わねばなるまい」(松浦寿輝『平面論』)。一八八〇年代とは、一九世紀初頭に起こった「地滑り」が、いよいよ万人に共有され、個々の人間の上に圧し掛かるようになる時代であった。(「サイボーグ文学について(4)」に続く)

(2008・6・1
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