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  「サイボーグ文学について(2)」

二 ダナ・ハラウェイによる「サイボーグ」概念の提出

 八〇年代に登場した重要なフェミニストとして、ダナ・ハラウェイのことを世界が記憶することになったのは、ハラウェイが一九八五年に発表した「サイボーグ宣言」という論文によってである。これは一大センセーションを巻き起こした。この論文が発表される二年前(一九八三年)には、ベネディクト・アンダーソンによる『想像の共同体』が発表されていて(さらにつけ加えると一九七八年にエドワード・サイードの『オリエンタリズム』が発表されている)、これら二つ(あるいは三つ)の論文は、私の中では一つのセットになっている。

 ハラウェイは「サイボーグ政治学は、言語を求める闘争であるとともに、完全なコミュニケーションに対し――あらゆる意味を一気に翻訳しきってしまうような唯一のコード、すなわち男根ロゴス中心主義の主要ドグマに対し――立ち向かう闘争といえる。ここにこそ、サイボーグ政治学が雑音を推奨し汚染を称揚しながら、動物と機械の密通を満喫していたゆえんがある。これらの融合によって、男性やら女性やらといったカテゴリーは疑わしいものとなり、欲望の構造、すなわち言語と性差を発生させるよう仕組まれた効果は粉砕され、加うるに、西欧的主体に関するさまざまな再生産構造・様式についても解体が迫られるのだ。自然と文化、鏡と眼、奴隷と主人、肉体と精神といった対立項の構造・様式が、ことごとくゆらぎだす」と書いているが、これらの言葉は『想像の共同体』や『オリエンタリズム』に書かれている言葉と呼応するものだ。「想像の共同体」も「オリエンタリズム」も「西欧的主体に関するさまざまな再生産構造・様式」という透明なフィクションを通して作動する政治的な装置なのであり、隠蔽されたその政治的暴力を、アンダーソンもサイードも暴こうとしたのである。

 一九世紀にトランスナショナルな資本の運動の反作用として「国民経済」が編成強化されてゆく。そしてさらにその「国民経済」によって「ネーション=ステート(国民国家)」が形成されてゆくのだが、「国民」という想像物もまた、その大がかりな虚構の運動の一要素として組織される。その過程で、具体的な人間がその差異性や多様性を捨象され、それと引き換えに、「国家」という共同幻想によって個人の不安や死は救済される。そうした統合に回収され難い具体的な差異性は、「国民国家」と対立する「非国民」としてのレッテルを貼られかねないが、「非国民」というイメージは「サイボーグ」のイメージと重なり合うものといえよう。ダナ・ハラウェイの「サイボーグ」という概念が刺激的なのは、「ネーション=ステート(国民国家)」という権力装置に抗う力を秘めているからである(ハラウェイによる「サイボーグ」という概念は、西欧世界における「有色人女性」に依拠されたものである)。

 そのようなハラウェイにとって、「起源神話」も「原始的統一」も「始源における無垢」も、さらには「統一的な母型」もからめとられる罠として忌避されなければならない対象としてある。そしてまた、アイデンティティ・ポリティックスに関わる歴史的起源ばかりでなく、同時代の最新テクノロジーもまた支配的統合の魔手をかざして待ち構えているものとして、ハラウェイから批判的に眺められる。「情報伝達学と現代生物学は、そもそも共通の動機から構成されているといえる。要するに、現実世界をすべてコード化の問題に翻訳すること、これである。いいかえれば、それは共通言語の探求なのであり、その言語さえ成立すれば、テクノロジー管理に対するあらゆる抵抗は消え、いっさいの不均質は解体/再構築され、投資/交換されていく」ここで言及されている「共通言語の探求」こそが「ネーション=ステート(国民国家)」の形成を担う中心的核の役割を果たすものなのである。

 アンダーソンが指摘したように、それは「ラテン語(帝国の言語)」に対する「俗語(ナショナルな言語)」であった。当時勃興していた出版資本主義(現在ならその役割を果たすのはテレヴィジョンであろう)によって、その「俗語」は、お互いに顔すら知らない国民の間で広く共有され、かつ、多種多様な国民をひとつの透明なフィクションのなかに統合してゆき、ついには自分たちの本来的な内的な言語であると錯覚されるまでにいたる。「いっさいの不均質は解体/再構築され」るというわけだ。

 ハラウェイは、アンダーソンのいう「俗語(革命)」については言及していないが、彼女の警戒する「共通言語」とは、「サイボーグ宣言」のなかに記されている「男根ロゴス中心主義」ということになろう。ところで、言わずもがなのことを確認しておくと、「共通言語」という形式は永久に人間についてまわるものである(そもそもこれがなければ「共同体」や「物語」は成り立たない)。一八世紀末のナショナリズム出現の前には、「宗教的思考様式」が存在したし、市民社会を形成した市場経済システムのなかに、マルクスは、「交換価値」という共通感覚を見出した。そのマルクスから、吉本隆明は、「共同幻想」という考えを取り出した。ただし吉本の『共同幻想論』は、孤立した共同体をモデルとしたものであり、複数の共同体が存在する世界に対する視点が抜け落ちている。それは近代経済学(アダム・スミスなど)が「国民経済」だけに注目し、「世界経済」を見なかったことに似ている。であるがゆえに、それは「本来性への回帰」という疎外論に吸引されやすい弱点を持っており、ハラウェイのフレーズを裏返すなら、「サイボーグよりは、女神になりたい」という志向に向かいかねないのである。

 「サイボーグ」の側につこうとするのであれば(ハラウェイいわく「女神よりは、サイボーグになりたい」)、「共通言語」との同一化に向かおうとするのではなく、それとの「ずれ」に対する感覚に鋭敏でなければならない。ハラウェイが「サイボーグとは、解体と再構築をくりかえすポストモダンな集合的・個人的主体(セルフ)のかたちだ」というような言葉を繰り返す時、彼女は「共通言語」のなかに回収つくされることのない「ずれ」を擁護しようとしているのである。

 世界が多種多様なものによって構成されているのであるなら、必然的に対立や矛盾というずれが生じてくる。ずれがない状態というのは、単数原理が暴力的に勝利しているにすぎない。北朝鮮の「マス・ゲーム」のように。不快や苦痛に耐えながらも、矛盾や葛藤を、なお、引き受けてゆくことのうちに、複数性の世界を擁護する倫理が存在する。「ずれ」の問題を切迫したものとして感受する者にとって、「サイボーグ」という喩は、テクノロジーの進化の微笑ましい一挿話には収まりきらないものとしてある。

 「ロボット」という言葉を文学史に登場させたカレル・チャペックにとって、「ずれ」は階級の問題として捉えられていた。アメリカの総力戦体制である「ニューディール政策」のもとに、『ファウンデーション』の連載を開始した(一九四二年)アイザック・アシモフは、同時期「ロボットSF」を書き始めた。アシモフは有名な「ロボット工学の三原則」によって、ロボットと人間のあいだの「ずれ」を「国民国家」的な体制の中に回収しようとした。「ロボット工学の三原則」というのは、そのあり方が「教育基本法」に似ている。ただし、アシモフという作家が興味深いのは、「堂々めぐり」のような作品で、「ロボット工学の三原則」の矛盾を露呈させ、この法をユーモラスな混乱状態に陥れてしまうことにある。アシモフは、根本において、ユーモアの感覚に恵まれた作家なのである。日本においては、敗戦という切断(ずれ)の体験によってもたらされた「廃墟」という真空状態の中から、「アパッチ族」という異形の鉄食い人種が、小松左京の作品『日本アパッチ族』に登場した。この作品が発表されたのは東京オリンピックが開催された年(一九六四年)であるが、日本から「真空」という「廃墟」が消滅したことに小松は苛立っていた。有名作品『日本沈没』が構想されたのもこの頃である。戦後アメリカでは、高度消費社会の中で形成される交換価値=共通感覚の体系から脱落する者の疎外感覚を、フィリップ・K・ディックは、アンドロイドのイメージを駆使して捉えようとした。二〇世紀末にいたって、大原まり子は、「神のシステムに逆らったため、大荒れの海のなかに投げ込まれたヨナ」という旧約聖書中の人物に仮託して、『ハイブリッド・チャイルド』という喚起力の強い言葉をタイトルに持つ作品を書いた。そしてまた、幼少年期に純度の高い恋愛のような強烈な体験をしてしまったがゆえに、世俗的な時間との「ずれ」を生きざるを得ない自動人形製作者たちの姿を、スティーヴン・ミルハウザー(「アウグスト・エッシェンブルク」)とリチャード・コールダー(「トクシーヌ」)は書いた。

 以上大雑把ながら概観したように、「サイボーグ」文学とは、「ずれ」の感覚をその存在基盤として発生する表現形態である。この「ずれ」からもたらされる不安を、「サイボーグ」というイメージによって、鎮めようとした一九世紀の作家に、ヴィリエ・ド・リラダンとメアリ・シェリーがいる。この二人の作品に注目することで、「サイボーグ」という喩によって示される人間の持つ幻想の性格が理解できるのではないかと思う。(「サイボーグ文学について(3)」に続く)

(2008・5・1)
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