Be curious!


目次 A.文学系 B.サブカル系 C.ノンセクション D.どうでもいい話 Abou me
 

  「阿久作品私的ベスト10および極私的芸能論(1)」

 前回の原稿(「阿久悠追悼」)で、重大な誤認があった。その話から始めよう。前回の原稿では、私は、阿久悠の世界を、日活映画よりも東映映画の方に近いものとして捉えるような内容を書いたが、阿久自身は「熱烈な日活アクション・ファン」を自認していたようだ(北沢夏音による「各曲解説」の「熱き心に」の項参照)。この項目は確かに読んだのだが、疲れていて忘れてしまった。また私自身、この歌にも小林旭という俳優にも、強い執着を持っていないことにもよる。「熱き心に」は今回のベスト10には入っていない。

 阿久悠が熱烈な高校野球ファンだという事実を知っていたため、東映的な美学にシンパシーを感じる人間だという先入観が、私の中で出来上がっていたようだ。「汗だくになって白球を追うなんて馬っ鹿じゃねえの」と嘲笑的なポーズをとるのが、日活的な美学とも言えよう。

 とはいうものの阿久悠の中に、東映的美学があるのは、ほぼ確実ではあると思う(日活的美学も、もちろんある。例えば阿久はグループ・サウンズの曲を手がけてもいる)。森進一の「北の蛍」や五木ひろしの「契り」は、ともに東映作品の主題歌であるのだし、歌の内容も東映系である。今回のベスト10に、演歌歌手で唯一ランクインする八代亜紀は、東映系の歌い手であろう。

 ここに面白い映画評論がある。書き手は金井美恵子。対象は、まさしく、東映系と日活系の作品である。例えば、東映系の作品に対する評は次のようなものだ。

「ヤクザ映画の、張りつめた美しい画面では、しばしば雪が降り、その白さと冷たさは、主人公の心情を様式化する完全な背景であり、皓々と照った月に暗雲のかかるカットは主人公の死への接近を暗示しつくしながら、やがて降りはじめる雪を用意する。花は、背なで吠えてる唐獅子牡丹だ。この、雪月花!/おそらくわたしたちにとって、最も、身近な伝統としての雪月花は、今やヤクザ映画の傑作のなかで花開いている」(「雪・月・花」)

 一方の日活系の作品の中に、金井が見いだすものもまた、「張りつめた美しさ」なのである。

「高橋英樹は、青春期の過剰な熱狂に支えられた張りつめきった筋肉と、精神の熱狂的な硬直、いわばテロルの思想と肉体そのものであり、彼は眉の濃い、意志と自尊心の強いりりしい少年めく、それゆえ一種の硬直した精神の蒙昧さを具現していたのでした」(「高橋英樹」)

 と、金井の文章を引きながら、「こういう言葉を発せる人、今はほとんどいないなあ」と思うのであった。同じ評論の中で、金井は、「テロリストの肉体は、決してスマートであってはいけない、ということを、高橋英樹と渡哲也は証明したのです」とも書いているが、80年代以降、スマートでない肉体の肉体性は、あらゆる局面で排除されていった。それは青春の青春性の消滅をも意味する。とりわけ最近の若者は「空気を読め」というプレッシャーに始終曝されて、吃音化する肉体の軋みを、思想のレベルまで昇華する以前に、それをないものとして放棄させられるか、その途上で無残な犯罪に自暴自棄的にコミットしてしまい、批評が発動する契機を流産させ、挫折することに雪崩れ込んでいるかのようだ。

 イメージでもなく、観念でもない、物質的な齟齬感やリアルな飢渇を感受する局面、そこでようやく実存が実存としての重みを体現するような本物の翳や暗さを、阿久は誤魔化すことなく引き受けていたように思う。そうでなければ、「ざんげの値打ちもない」や「未成年」のような歌は書けないだろう。

 いささか前置きが長くなってしまったが、以上書いたような事柄が、以下のベスト10の選定に幾分か(あるいは相当に)反映されているかとは思う。なお、ベスト10の中に入ってもおかしくはない「白い蝶のサンバ」「また逢う日まで」「たそがれマイ・ラブ」といった名曲は、すでに触れてあるので、ここではとり上げていないことをお断りしておく。では1位から順に発表してゆく。

 第1位「あの鐘を鳴らすのはあなた」(1972年) 歌:和田アキ子
 この曲は以前の原稿で書いているのだが、どうしてもはずすことができなかった。これを超える大きさ、高さを持った歌謡曲は、いまだ、現れていない。北沢夏音は「時代が疲弊すればするほどゴスペルのように響くこの曲は、大袈裟でなく日本人がこれまでに持ち得た最も価値ある歌だと確信する」と書いているが、まことに至言である。私なりに付け加えておくと、「鐘を鳴らす」という行為が、本来的に宗教的な行為であることを、改めて思い出させてくれる傑作である。「凄い」の一語に尽きる。

 同点1位「時の過ぎゆくままに」(1975年) 歌:沢田研二
 これまた昭和歌謡の大傑作。聞くところによると、都はるみがこの曲を昭和歌謡ベスト10に入る名曲だと発言しているらしい。一篇の劇画かドラマとして成立している。物語作者としての阿久の力量が存分に発揮された作品。この曲は、阿久が上村一夫と組んだ劇画のTVドラマ化された作品(『悪魔のようなあいつ』)の主題歌であるが、上村の世界が湛えている儚げな退廃をも共有し、それがなんともいえない香気を放っている。この曲を聴いたのは中学生の時であるが、ここに描かれた男女の姿は、私にとって、男と女の原型的姿として刷り込まれてしまった観がある。文芸評論家の桶谷秀昭が、夏目漱石を論じた批評の中で「世間という彼我の関係の外に置き去りになった孤独な人間のあいだにのみ愛がるという作者の夢」という言葉を書いている。この言葉は、私の中では、「時の過ぎゆくままに」と重なり合っている。

 ところでこの曲が発表された1975年に関することであるが、私の中でのみ通じる符丁に「泣きのギターの75年」というのがある。「時の過ぎゆくままに」で、歌詞、メロディー(大野克夫)とともに素晴らしいのは、あのエレキギターの切ない音色ではないだろうか。私には、1975年に発表された曲で、「泣きのギター」が鳴り響く好きな曲が、「時の過ぎゆくままに」を含めて3曲あって、残りの2曲のうち1曲は「いちご白書をもう一度」(バンバン)であり、もう1曲は、「ギターがここまで泣いてしまってよいものか」とド演歌なみに泣きまくる「哀愁のヨーロッパ」(サンタナ)である。70年代で「「泣きのギター」を聴いたのは、77年のピンク・フロイドの『アニマルズ』においてが、最後だったような気がする。と書いた矢先から思い出したのだが、78年に「日暮し」という男女3人のグループ(「サンセット・メモリー」でヒットを飛ばした杉村尚美がいた)があって、彼らの「いにしえ」という曲が、けっこう好きで、そこでもギターが泣いていた。これはおぼろげな記憶だが、1980年にエイドリアン・ガーヴィッツの「セヴンティーン」というナンバー(記憶違いかもしれない)があって、この時に久しぶりに「泣きのギターだ」と思ったような記憶がある。これ以降は、テクノ・ミュージックが覇権を握った時代であり、「泣きのギター」はどこかへ追いやられてしまった(と書いた途端にまたも思い出したが、1981年に高中正義の「アローン」という逸品があって、これがなかなかの「泣きギター」であり、高中ナンバーでは個人的に一番好きな作品)。

 第3位「どうにもとまらない」(1972年) 歌:山本リンダ
 ラテン歌謡の金字塔。阿久悠・都倉俊一コンビの最高傑作であり、同じコンビによるピンク・レディー作品を凌駕する。この曲で思い出されるのは、1972年の紅白歌合戦で、この曲の演奏のパーカッションをダン池田が担当していて、その叩きっぷりの凄いこと凄いこと。人前でこんなにも気持ちのよさそうな表情を晒してはまずいだろうと思うほどに法悦の境地にどっぷり入り込んでしまっていた。薬物の摂取によってトリップしているとしか思えないのである。あともう1歩先に進んだら、こちら側には戻れなくなる、という「ポイント・オブ・ノー・リターン」の領域を、腰をくねらせながら彷徨っていた。大の男をトリップさせる「魔力」がこの曲にはある。ピンク・レディーの曲では、酩酊しないのである。小学生が、彼女らの振り付けをこぞって真似をしたとか、社会現象だとか言ったって、あんなものは幼稚園児のお遊戯の延長に過ぎない。同時期にアニメ映画の『宇宙戦艦ヤマト』がヒットしたことと同じようなものである(「ヤマト」のテーマ・ソングも阿久悠が書いたんだよなあ)。

 このこととも関連していると思うのだが、山本リンダのパフォーマンスは劇画であり、ピンク・レディーのそれはアニメである。「どうにもとまらない」で披露した斜に構えて挑発的な視線を送る姿は、ハードボイルドな劇画のヒロインのようであった。70年代の前半には劇画調アニメ番組があって、『忍風カムイ外伝』『佐武と市捕物控』(これは60年代末の作品)のようなアニメの世界の雰囲気と山本リンダのハードさは通じていたように思う。そしてここで取り上げたいのが、『ルパン三世』第1シリーズである。

 「ウィキぺディア」の情報によると、1971年10月24日から1972年3月26日にかけて全23回にわたって放映された『ルパン三世』第1シリーズは、大人向けのハードボイルドタッチな演出が多い前半と、子供も見ることを考慮したギャグタッチな後半に分かれる。スタート時は、大隈正秋が演出を担当したが、3パーセントといった桁違いに低い視聴率しか取れず、途中から宮崎駿と高畑勲に交代される。今現在の『ルパン三世』は、宮崎・高畑ラインによるものである。

 私が好きな『ルパン三世』は、大隈正秋の手によるものであり、『ルパン三世』はこれ以外考えられない(斬新な雰囲気とクールな人物造型にはシビれたものである)。だから1977年に第2シリーズが始まった時は、たいそう期待したぶん、その落胆も大きかった。「こんなのはルパンではない」とかなり腹を立てた。第2シリーズは見なかったし、これ以降の『ルパン三世』にも興味は持っていない。今振り返ると、この流れの変化に文化のお子ちゃま化が確実に胚胎されていたのである。

 よく言及されることだが、『がきデカ』と『マカロニほうれん荘』のどちらを評価するかという話がある。私自身は、(途中までは)どちらも好きなのだが、強いて言えば、『がきデカ』初期の重厚劇画ギャグが好きである。「練馬変態クラブ」や「東西おかま合戦」などの頃は、パンチ力があって、とにかく笑えた。「八丈島のキョン」あたりから読むのをやめた。上記2作品は「少年チャンピオン」で連載されていたが、同誌に同時期に連載されていた作品で方向転換が起こったのを感じた。『ブラックジャック』『750ライダー』『エコエコアザラク』といった作品が初期の劇画調からアニメ調にトーンを変えていって物足りなくなったことを覚えている。『750ライダー』の主人公なんか、古典的一匹狼のツッパリから、ニューファミリーのマイホームパパみたいにがらりと変わっていった。劇画的なものが形勢不利となってゆくのがこの頃なのだと思う。文化のアイドル化現象の到来である。だから80年代前半においては、(麻生太郎自民党議員もファンだという)『ゴルゴ13』などは、「あの重さは暑苦しい」とさんざん笑いものにされていた。象徴的なのは、1982年から連載が始まった『軽井沢シンドローム』(たがみよしひさ)で、登場人物が8頭身で描かれる劇画調と同じ人物が2頭身で描かれるアニメ調の絵が、同じ作品の中で並存するスタイルが話題となった。

 話が長くなりすぎているので、今回の原稿はもうそろそろ締めるとして、最後に「どうにもとまらない」のラテン歌謡に対して、私が個人的に「ファンク歌謡」と呼んでいる傾向の曲について言っておきたい。それは、「古い日記」(和田アキ子)と「激しい恋」(西城秀樹)である。どちらの曲も安井かずみ(作詞)と馬飼野康二(作曲)による作品で、1974年に発表された。70年代前半のブラック・ミュージックの洗練と泥臭さが微妙に混ざり合った熱さがいいのである。ユーロ・ビート以後は、この種の歌謡曲は聴かれなくなってしまった。「激しい恋」は、個人的に、西城のベスト1だと思っている。74年には「傷だらけのローラ」も発表されていて、この曲で紅白歌合戦に出場。怪傑ゾロ風のコスチュームで、西城は熱唱。あの頃の紅白にはドキドキさせられたなあ。74年が、個人的には「歌謡曲」の頂点の年。私自身、年齢的にも歌謡曲から洋楽やニューミュージックに関心が移っていくころではあった。

 今回は、結局、3位までしか書けなかった。次回は、できるだけコンパクトに4位以下の曲を発表してゆきたい。「阿久作品私的ベスト10および極私的芸能論(2)」へと続く。

(2007・9・18)
【このページのTOPへ】
 
| 目次 | A.文学系 | B.サブカル系 | C.ノンセクション | D.どうでもいい話 | Abou me |
Copyright © 2004-2012 -Be curious!- All rights reserved.
by Well-top