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  「『果しなき流れの果に』に見られるクラシカルかつロマンテックな青春(2)」

 『果しなき流れの果に』の物語の現在時(一九六六年)において、荒唐無稽な宇宙的ドラマの兆候である「象徴的事件」に巻き込まれるのは、四人の日本人である。この四人の誰もが、オーソドキシイから逸脱した「過剰なるもの」と親和するタイプなのである。
 一人は、事件の発端となる「砂時計」に似た奇妙な物体が発掘された「石舞台式古墳」を発見した鴨野清三郎である。(野々村はその事実を知らないのだが)彼は佐世子の伯父にあたる人物であったのであり、葛城山のふもとのK市の郷土史家として活動していた。その重大な発見は学界から無視され続けたため、彼は十年にわたって「一人で調査をつづけ」た。しかし「篤志家」としての研究には限界があり、番匠谷教授の「研究調査機関のモニター」に通告してきたのである。

 「葛城山」というのは、日本史において象徴的な場所で、奈良時代初期の呪術者「役(えん)の行者」がいた場所である。「役の行者」は呪術にひいでて、逸脱して秩序を乱したかどで六九九年伊豆島に流されたが、平安中期以後は密教の発展およびそれによる験者の活躍に伴なって、神聖視され、修験道の開祖とあがめられるにいたった。

 ちなみに葛城山の所在地和歌山は、鴨野佐世子の生れ故郷であると同時に、田所博士の出身地でもあり、幸長助教授は次のように言っている。「あそこはふしぎな所だね。紀国屋文左衛門の伝統かしらんが、時々ああいう、スケールの大きい学者が出る。南方熊楠とか、湯川秀樹とか……」ここに中上健次の名前をつけ加えるならば、この土地の意義深さはさらに陰影に富んだものとなろう。「紀伊半島、紀州とは、敗れた者らの棲む国である。(略)まさに神武東征以来、敗れた物らがこの海岸線を一歩入れば山また山の半島に、敗れたその時の姿のまま棲息している。敗れた者らの経過を語ることが物語であるなら、その敗れた者らは、物の怪として語られてある」(中上健次『紀州』)野々村が所属することになるルキッフのグループは、いうなれば、「物の怪」である。この集団において野々村といっしょに活動するメンバーにホアンとエンという名の人物がいる。ホアンは「果心居士」の伝説のSF的歴史解釈の役割を果たし、エンはいうまでもなく「役の行者」に一役買っている。物語の中でのエンの設定は、メコンデルタの出身であり、『果しなき流れの果に』が書かれた当時に進行していたヴェトナム戦争への抵抗運動の気分と共振しているキャラクターである。

 野々村もこうした系統に連なる人物であり、先述した『時間と認識』というタイトルのノートの中に、独自の時間哲学を描き出している。彼には、ルキッフから「エネルギー恒存則の謎を解け」というメッセージが託されている。最終章において、野々村は「階梯」(我々人類は「第二階梯」にあると作品では設定されている)の限界を突破し、宇宙の秘密と対面し、燃えつきることになる。

 野々村の師である大泉教授とその高校の旧友である番匠谷教授もまた、高校時代には「ドン・キホーテとサンチョ・パンザという綽名」を授けられ、自らを「気ちがい科学者」「過渡的な存在」であると見なしている。番匠谷教授は「破壊的ユーモア」を信条とするとも宣言するのだが、正統的な学問に距離をとる「知」のあり方を、かつてクラカウアーは、レギュラーな知に対するイレギュラーな知という風に定義してみせた。

 クラカウアーによるこの概念は、探偵小説を論じるにあたって考案されたものだが、科学的思考方法にも有効である。レギュラーな知は警察に対応し、イレギュラーな知は探偵に対応するのだが、資本主義の高度化に伴って出現した大都会と群衆の人を包含する近代社会に対しては、警察のレギュラーな知では太刀打ちできない。近代社会のいかがわしさ、雑駁さに対応できるのは、自らも大都市の群衆の人の一人である探偵のイレギュラーな知でしかないのである。また、探偵は都市の群衆の人として、事件の犯人と奇妙な共犯関係を結ぶのであり、ここに探偵=犯人という図式が成立する(スガ秀美「探偵のクリティック」参照)。

 「犯人としての探偵」というイメージはSFにおけるマッド・サイエンティストのイメージとも重なり合うのだが、ここで確認しておきたいことは、クラカウアーのこの論考が書かれた時代(一九二五年)が、スガ秀美にとっての中心的テーマである「表象の危機」が顕在化した時代と重なり合うことである。事態は十九世紀後半に始まるが、二十世紀前半において人類の知性(および倫理)上の問題として共通了解事項となった「言葉による表象=再現の限界」が、この時代に我々に突きつけられたのである。レギュラーな知とは、言葉による表象=再現を楽天的に信じ込んでいられる知性のことであるのに対し、イレギュラーな知とは、表象の政治性や暴力性に目覚めた批評的知性のことである。前節において、真理と認識のあいだの「ずれ」のことに触れておいたが、イレギュラーな知は、このことと全く同型の表象と事物との「ずれ」に敏感な感性を有しているがゆえに、レギュラーな知に対して優位にあるのである(後に触れる充実した「懐疑精神」はこの「ずれ」の感覚に存在の基盤を置いている)。

 二十世紀前半に顕在化したこの問題は、文学のみに限られているわけではなく、抽象絵画や十二音階の音楽にも照応し、さらには物理学、数学、論理学の分野においても生じた問題である。有名なところでは、古典力学の世界観を、二十世紀初頭に登場した量子力学や相対性理論が劇的に覆した例がある。

 こうした流れの中に、ドゥルーズ/ガタリが『千のプラトー』の中で提唱した「王道科学」と「マイナー(遊牧的)科学」の対立を位置づけることができる。王道的でも合法的でもないマイナー科学は、原子論における原子の逸脱運動(クリナーメン)に示される「生成変化と異質性」をモデルとしているが、これが探偵のイレギュラーな知に通じていることは容易く見てとれよう。王道科学は、警察の合理主義的科学精神のように、規範としての公理への遵守から逃れられない限界を持つ。

 このようなレギュラーな知とイレギュラーな知の対立および両者の補完関係は、SF(サイエンス・フィクション)というジャンル、特にこのジャンル名に象徴的かつ先鋭的に表されている。「サイエンス」というレギュラーな知と「フィクション」というイレギュラーな知が、時には対立しあい、時には協力しあいながら、「サイエンス・フィクション」という虚構(新たなる表象=再現)の世界を織り上げる。サイエンス・フィクションは、かなり長い期間にわたって「児戯」扱いされてきたように、イレギュラーな知に分類されるわけだが、それは言葉によって組織された世界であるがゆえに「表象」たらざるを得ないという限界を持っている。レギュラーな知とイレギュラーな知は「知」という一点によってひとつの同質のカテゴリーの中に包摂されるのだ。

 もう一度『果しなき流れの果に』の事件の発端を振り返ってみよう。謎めいた古墳の発見者である郷土史家の鴨野は「学者が相手にしない」がゆえに、「スキャンダラスな学者」として「学者の世界では孤立させられ」その研究が「アカデミストから白眼視」されているK大史学部の番匠谷教授に協力を要請する。番匠谷教授の高校の同窓であったN大学理論物理研究所の大泉教授とその助手である野々村が、その古墳調査の活動に加わる。この四人は、イレギュラーな知の側に属していると、ひとまずは言える。けれども鴨野は別としても、番匠谷、大泉、野々村の三人は、大学のれっきとした職員であるのであり、彼らの姿にレギュラーな知とイレギュラーな知の微妙な関係を垣間見ることができる。探偵が犯人を捕まえなければならないように、そしてまた学者が真理を発見しなければならないように、イレギュラーな知はレギュラーな知に最終的には奉仕せざるを得ないのである。ドゥルーズ/ガタリは、このあたりの事情を次のように述べている。

《遊牧的科学の「学者」はあたかも二つの炎に、すなわち彼を養い発想を与える戦争機械の炎と、彼に理性の秩序を押しつける国家の炎に、挟まれているかのようだ。こうした立場をはっきり示しているのは、両義的性格をもった技師(とりわけ軍事に関するエンジニア)という人物である。したがって、最も重要なのは、両者の境界で起きる諸現象であって、そこでは遊牧的科学が国家的科学に圧力をかけ、逆に、国家的科学が遊牧的科学の成果を自分のものとし、変形するという相互作用が行われている》(『千のプラトー』)

 ここで描かれていることが顕著に現れているのは、『日本沈没』の田所博士の行動の顛末である。田所博士も番匠谷教授と同じように、「国内の学会では、とても受け入れられず、海外でのほうが、高く評価されている」。太平洋の底深さ七千メートルでの異変を世界で最初に察知した田所博士は、日本政府が極秘裏に発足させた「D計画」の中心人物としてプロジェクトを推し進めてゆく。その過程において、「学術会議からまわってきた年配の学者」との衝突や、マスコミ対策に追われつつ奮闘を続けるが、国家の重大機密維持が限界のレベルに達した時、博士はテレビのワイドショーの茶番劇――国民を動揺させないための陽動作戦――の道化役を自ら買って出て、警察に逮捕され、「D計画」の現場から姿を消すことになる(計画がイレギュラーなものからレギュラーナものへ転換すると同時に、博士は消息をくらます)。当然作品の表舞台からも身を引き、博士が再び読者の前に現れるのは、日本沈没直前の府中の広大な邸宅で、渡老人と「日本列島への恋情」を語り合う場面である。

 田所博士再登場の場面まで、作品は、日本政府の活動および日本を巡る諸外国の対応や右往左往する国民の姿の描写に徹するのだが、どこか「白書」の類を読んでいるような平板な印象で、いささか退屈させられる。あるところで(角川文庫『神への長い道』解説)、伊藤典夫は「小松さんの小説、あれは小説かねえ?ああなるともう論文だな」と語っているが、伊藤の言うことはわからないでもない。

 やはりこの作品で魅力的なキャラクターは、田所博士や渡老人のようなイレギュラーな部分を有する存在なのである。渡老人は不思議な人物で、作品の叙述によると「清国の僧侶」だった人物を父に持ち、明治二十一年の「磐梯山噴火」の時に両親を失い孤児となる。その後満州事変時に大活躍をし、戦犯を免れ、戦後の十五年間「相当動いた」。作品の現在時では、政財界双方に顔のきく影の大物である。彼は「D計画」が始まると同時に、自らが所有する美術コレクションを国際闇ルートで処分し、来るべき「日本民族移住」の準備に協力する。ここにもイレギュラーな存在がレギュラーな体制(日本国家)に奉仕するパターンが見られる。

 ところでここで注目したいのは、渡老人の経歴にある「満州事変時での活躍」という項目である。「満州事変」からつながる「満州国建国」は、当時の日本にとって戦前、戦中にかけての総力戦体制における主要プロジェクトであった。それは、『日本沈没』で一九七×年に始動すると設定された「D計画」とも通じる国家プロジェクトだったのである。

 戦前と戦後の連続性については(テレビジャーナリズムは別として)いたるところで指摘されている。野口悠紀夫の『一九四〇年体制』(一九九五年)は、特に有名だが、それより以前に上野昂志が「高度成長期」を「大東亜戦争の弔い合戦としてのGNP大国実現への道」(『肉体の時代』)と規定する言葉を書いているし、最近では椹木野衣が「大阪万博が打ち出した、あの極端なまでの未来志向・進歩崇拝は、かつて「満州国」という傀儡国家で提唱された理想主義と、さまざまな点で一致する」(『戦争と万博』)と指摘している。「奇跡」といわれた「高度成長」は、通産省内で冷や飯を食っていた「満州派閥」の岸信介、椎名悦三郎が、第一次鳩山内閣時に省内の最高ポストを把握した体制のもとで達成された。一九七〇年の大阪万博で基幹施設プロデューサーを務めたのは、日本を代表する建築家の丹下健三であった。丹下は、戦前(一九四二年)、「大東亜建設記念造営計画」のコンペ一等案で名を上げていた。大阪万博に参加していたもう一人の建築家磯崎新は「戦争遂行者に加担した」と考えていた(万博を主導した事務局のなかには、「旧・満州国の行政スタッフ」が採用されていた)。

 よく知られるように、大阪万博で岡本太郎がプロデューサーを務めたテーマ展示のサブ・プロデューサーを、川添昇とともに務めたのが小松左京である。小松が書いた都市環境開発に関する文章(『妄想 ニッポン紀行』)と、大阪万博に微妙な距離を取りつつそれに関わっていた浅田孝の文章(『環境開発論』)を比較し、それらの類似に驚きながら、椹木は次のように述べている。

《こうして考えたとき、浅田の「開発論」のほんとうの問題は、彼の「環境」概念が精緻である一方、ほとんど知のエンジニアリングといってよい直線志向ゆえに、日本列島から、人が生きる風土というディティールを捨象してしまっていることだろう。その結果、浅田の「開発論」は、国土を測量・開発可能な「土地」として捉えることはあっても、日本列島をその地形的・気候的・民族的多数性/多様性において捉えることが、ついにできなかった》(『戦争と万博』)

 ここで浅田について言われていることは、小松についても当て嵌まると言えよう。特に「知のエンジニアリングといってよい直線志向」という言葉には目が引かれる。プロジェクト(project)という言葉は、語幹的には、「前方へ(pro)」「投げ(ject)出す」という意味を持っている。プロジェクトを計画立案し、遂行するには、良くも悪くも健全な直線志向といったものが要求される。『日本沈没』にしろ、『復活の日』にしろ、小松は「世界の再建」というプロジェクトを好んで描いてきた作家である。そのような傾向に、敗戦を経験し、日本の復興とともに歩んできた世代の刻印を認めることができよう。私は、それに対しては、それなりに畏敬の念を持っている(だから椹木のスタンスと、私のスタンスの間には、若干の違いがある)。『日本沈没』の挿話で、アパートの自室を、戦争を知らない「ドッピー族」の一団に荒らされた小野寺が、彼らに過剰とも言える暴力を振るう場面が登場するが、小野寺の苛立ちが理解できないでもない(小松と同世代の半村良が『日本沈没』と同じ年に『産霊山秘録』を刊行していて、その作品中で、七〇年代の平和な状況の中で倦怠する登場人物の一人が「あの頃が懐かしいな。僕はね、時々戦争に感謝したくなるんだ」と術懐するのだが、彼らの共通感覚のようなものが感じられる)。退廃(退屈)に馴染めない感覚というものはある。

 『果しなき流れの果に』の中で、アイ=松浦の属するグループの上司が、アイ=松浦に対して次のように語る。「残念ながら、あの空間では、あまり順調な直線型発展は、これ以上のぞめないようだな」上司は、その空間(第二十六空間)の「収穫の指揮」をとるように、アイ=松浦に命じる。「収穫」とは、植民地政策を連想させる言葉である。「病気の発生した畠からは、収穫は少なくても、いそいで実をかりとらねばならん」という言葉も読まれる。『果しなき流れの果に』という作品もまた、「直線」を巡る「世界の構築・管理」の物語である。

 「『果しなき流れの果に』に見られるクラシカルかつロマンティックな青春(3)」へと続く。

(2007・5・3)
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