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  「音楽を巡る妄言―津軽三味線その他」

 津軽三味線には以前から不思議な魅力を感じており、なぜこのような音楽が日本で生れたのかということについても関心を抱き続けている

 最初に津軽三味線を聞いたのは中学生の頃で、ギタリストの寺内タケシがテレビ番組で演奏している姿を見た時である(だから正確には由緒正しき「津軽三味線」だとは言えないかもしれないのだが)。また同じ頃にアル・ディ・メオラの「地中海の舞踏」がラジオのFM放送から流れるのを聞いてロックでないジャンルの音楽にロック以上にロックなものを感じ、衝撃を受けたのだった。といっても当時は津軽三味線とフラメンコギターを意識的に重ね合わせてみるといったことはしておらず、これら2つの音楽が重なり合うことに気づいたのはジプシーキングのファーストアルバム(特に「ジョビ・ジョバ」)を聴いた体験を通してである。

 そもそも津軽三味線は、いわゆる三味線なのかという素朴な疑問が浮かぶ。江戸や京都の長唄や義太夫で用いられる三味線は、琴の親戚のような楽器というイメージがあり、文字通り「爪弾く」という行為に馴染んでいる。それに対し一方の津軽三味線は「ぶったたく」という言い方がしっくり合うようで、まるで打楽器の親戚の如くであり、ラテン楽器の一種としか思えない(ちなみにチェリストのヨーヨー・マがタンゴのピアソラにオマージュを捧げたCDでは、おそらくはチェロの胴体を素手でぶったたいてアクセントをつけている様子が録音されている)。

 じっさいもんだいとして、津軽三味線における「ぶったたく」は必要不可欠なフォーマットとして確立しており、もうひとつのフォーマットであるところの「腕くらべ」(=複雑なテクニックを使い演奏技術を競い合う)に対するカウンターパートとしての「力くらべ」(=太い棹の三味線に太い糸を張り力いっぱい叩いて大きな音を競い合う)と呼ばれている奏法なのである。

 このあたりの事情は、黒人の下層社会から生れてきたヒップホップのラップが同じく、対戦形式をとるのと似ている。津軽三味線もまたその起源は、明治期の目の不自由な男たちが家の前で三味線を鳴らしてお米をもらってまわる所謂「門づけ」にあり、その後村祭りや興行の舞台へと進出して音楽的発展を遂げ、音楽のジャンルとして認知されたのは東京オリンピック後のことだという。そしてまたフラメンコの起源も似たようなものであり、インド北西部からスペインのアンダルシアに流れ着いた流浪の民(ジプシー)が、インド、アラブ、ユダヤ、ギリシャなどの音楽をミックスして作り上げたものである。こうした歴史的背景をもとに「被差別民の怒りと苦しみを表現する音楽」というよくありがちな物語を語るつもりはさしあたっては無い。むしろここで取り上げたいのは、音楽における「ハイテンション系」と「ユルイ系」という問題である。

 自分の音楽の好みを意識的に考えてみると「ハイテンション系」の方へと傾いているようなのだ。例えばジャズでいえばスウィング系よりはマイルス・デイビスのクール系であるし、クラシックでもウィーンワルツ系よりはブラームスやラフマニノフのようなドイツロマン(スラブロマン)派系、ロックだとサーフィン系よりはブリティッシュ系の方が好きといった具合に。今振り返ってみると自分にとっての正統派ロックは、76年のレッド・ツェッペリンの『プレゼンス』冒頭1曲目の「アキレス最後の戦い」あたりで終わっていたように思う(この年イーグルスが『ホテル・カリフォルニア』を発表し、タイトル曲中の「うちのホテルにはspirit(酒というよりは69年時の革命的魂)は置いてないのです」という意味の歌詞が話題となった)。77年のセックス・ピストルズの『勝手にしやがれ』はどうなのかと言われそうだが、あれはテロルのようなものだったと思う。そういう意味ではコアなまでにロックなのだが、メロディーに対する執着の強い私のような人間の好みには(だからブルーハーツよりはミスターチルドレンの方が好き)いささか合わないところがある(ところでセックス・ピストルズとテロルについての記述を「付録其壱」として文末に置く)。その後80年代の初頭にU2の「グローリア」を聴いた時に久しぶりにロック的興奮を味わうこととなったが、U2も3枚目の『闘』まではオーソドックスなハイテンション系であった。

 とりわけ印象深かったのは、『闘』のアナログ版のブック形式のアルバムを開いた時に目に入る見開き2ページ全面に写っていた、U2の故郷アイルランドの雪景色の写真であった。空が晴れていたか曇っていたかどうかは記憶していないのだが、とにかく緊張感の漲る風景であった。そのアルバムのライナーノートには「風景にしろ、その作品にしろ、U2のぴんと張り詰めた佇まいは80年代においては異色である」という意味のことが書かれてあった。そしてつい最近4月23日付けの朝日新聞別刷りの紙面で、『嵐が丘』(エミリ・ブロンテ)の舞台である英国・ハワースの荒涼とした風景を見てU2の風景を思い出したのだった(さらにつけ加えればこの風景は津軽三味線的なものと重なり合う。これとは対照的な風景についての記述を「付録其弐」として文末に置く)。

 そのハワースの風景写真は、左端に垂直に2本の木が立ち、画面のほぼ中央に地平線が走り、下半分には枯れ草と残雪の荒涼とした様子が、そして上半分は英国特有の分厚く重なり合った雲の群れが空の見えぬほどに垂れ込めている。雲が無いのであれば、放射冷却現象として熱が上空へと逃げるのであろうが、あまりに分厚い雲が蓋代わりとなって、密室のような荒野に熱を閉じ込めているかのような息苦しさを感じさせる。「一触即発」や「ヤバいっしょ」といった言葉が思い浮かんでくる。そしてこの『嵐が丘』の風景は、ブロンテとほぼ同時代のイギリスの画家ターナーの描く風景を思い出させるのである。例えば「奴隷船」や「吹雪」や雨の中を走る蒸気機関車を描いた絵画(山下達朗はこの絵にインスパイアされて「ターナーの汽関車」という楽曲を作った)らが孕み持っているエネルギーが伝わってくる。ところで「力」というやつは、うまく言葉にはできないのだが、内圧の高さが変換されたものではなかろうか。ターナーが絵の主題として取り上げた「蒸気機関」は、文字通り熱量を内側に意図的に閉じ込めて動力機関に利用するものであるし、核エネルギーも(正確には知らないのだが)空間に拡散している力を狭い空間に一挙に集中させることによって、巨大な力を引き出すというような話を聞いたような記憶がある。夏目漱石が蒸気機関と革命を重ね合わせたことがあるが、そこでも閉じ込められて行き場を失ったエネルギーのことがイメージされていた。

 マイルス・デイビスは好んでミュート奏法を選択したが、あれもまた空間に広がろうとするトランペットの音を上からおっ被せるように閉じ込めて、内圧を高めようとする方法だった。それゆえ音はシャープにクールになり、まるでエッジの効いたギターの高音のようだった。

 ターナーは美術史的には印象派の先駆者とされているが、あの不穏な力を感じさせるのは、おそらくゴッホの画面の中で力が渦を巻いているような特有なタッチであろう。印象派といえばまずはモネの名が思い浮かぶのだが、メディア論で有名なマクルーハンは彼の点描画法はテレビの画面を先取りしていると言ったことがある。テレビの画面は良くも悪くもニュートラルなものである。ちなみにセザンヌは「モネは素晴らしい眼をしているが、眼に過ぎない」と言っている。

 ところで音楽とその風景について長々と書いてきたのは、上で取り上げた風景に対する(坂口安吾の言葉を用いると)「(ふるさとへの)懐かしさ」に似た感情に駆られてのことである。ではそれは何に対する懐かしさであるのか。それは主体が成立する原風景に対する懐かしさである。精神分析学的には「主体」は「抑圧」という体験を経て成立するものである。「抑圧」という言葉では意味が限定されすぎるきらいがあるがゆえ、「強度」という言葉に置き換えたほうがよいかもしれないし、先の「主体」という言葉も「単独性」という言葉を使ったほうが真意が伝わりやすいかもしれない。音楽の話題なので、音楽の発生する具体的な場面を取り上げよう。次に引用するのは中上健次が78年1月に発表した「北山のうつほ」の一節である。この作品の主人公仲忠は琴の名手で、村人たちから「オニ」と疎まれる母と共に、都から離れた「北山の空洞」(いわば異界)で生活をした経験を持つ、作品中の言葉を使えば「北山の物の怪に取り憑かれた」マージナルマンである(まるでジャズプレーヤーのようだ)。そして次のような印象深い場面が登場する。「仲忠は息苦しかった。歌の中の紅葉と北山の紅葉は違っていた。歌は約束事でもあり、歌の詞の紅葉と本当の紅葉とが必ずしも一致しなくてもよい。誰一人あのような色とりどりの紅葉を実際に眼にした者はいないだろうと仲忠は思い、その時、その息苦しさに耐えられず紅葉の中にある音、梢の中にある音にむかって琴を力いっぱいかき鳴らした。」ここで描かれているのは音楽のみならず、すべての芸術におけるその発生の現場の光景である。ただしこれは「理想型」であって、たいていの作品は「約束事」をなぞったものにすぎない。ところで重松清は自身の青春期の作家として中上健次を記憶しているようなのだが、巧いなあと思いつつも彼の作品に物足りなさを覚えるのは、仲忠によってかき鳴らされる琴の音への予感のようなものが感じられないからである。重松はむしろ「約束事」に従うような人間の悲しさや厭らしさを肯定して書く作家である。私が読んだ限り、被害者になりたくないがゆえに加害者たちの輪の中に加わる善良な村人の物語(ようするに「オニ」と呼ばれる者に石を投げるファシストの物語)ばかり読まされたように思う。ことによると重松は「人間力」なる言葉を楯にとるのかもしれない。しかし「人間力」という言葉は、悪い方向に向かったなら容易に陰湿なファシズムへと転化するするだろう。この言葉に抗するものとしては、デリダなら「幽霊」という言葉を、そして中上なら先ほど挙げた「物の怪」という言葉を使うだろう。中上を読んだ記憶を持つ作家であるなら、「約束事」を越えた言葉を組織してほしいと、重松を挑発してみたい気がする。

 音楽の話として始まったこの文章は、ずいぶんとあらぬ処へと逸脱してしまったようだ。仲忠の話が出たので、この文章は冗談半分の次のような願望を書き付けて締めることにしよう。

 「琴という楽器をラテン楽器に変貌させてしまうような犯罪的な琴演奏家の登場を、私は密かに期待する。」


<付録其壱>セックス・ピストルズのデビューアルバムは77年の10月だが、前年の11月にデビューシングルの「アナーキー・イン・ザ・UK」は発表されている。この曲の歌詞は、曲のリズムとジョニー・ロットンのヴォーカルの声質によって、私の耳にはまるでドイツ語のように聞こえる(特に最初の「Right.Now.」の巻き舌による発音が)。「ドイツ語」か らの連想でこの曲全体からは、20世紀初頭のドイツ社会を覆っていた気分を感じてしまう。この曲の根底にあるのはナチスを支えたモッブ(階級脱落者)のやさぐれたメンタリティーではないだろうか。同じデビューアルバムには「セヴンティーン」という曲も収められているのだが、このタイトルからは同名の大江健三郎の小説を思い出してしまう(セックス・ピストルズが大江の作品を読んでいるとはとても思えないが)。パンクというのは一般に誤解されているように左翼の感覚ではなくて、右翼の感覚に近いのではないか(と私は思う)。大江の「セヴンティーン」の第二部は社会党委員長を刺殺した山口二矢をモデルにしているが、彼をテーマに追った沢木耕太郎の第10回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品のタイトルは『テロルの決算』である
 セックス・ピストルズという伝説的バンドは一種のテロルだと私は思っていたのだが、2001年9月11日の同時多発テロ後に彼らに影響を受けたとされるミュージシャンたちが、こぞって(パンク)ロックはテロじゃないと言い出した時にはショックを受けたものだった。この事件よりずっと以前に、ある日本のミュージシャンが「ロックというのは本質的に不機嫌な音楽だからヤバいものなんだ」という発言をしたことがあって、なるほどと納得した経験があったがゆえ、かなりのショックだった。あの状況では処世を考えねばならなかったとはいえ、いささか失望したことは事実である(といっても私自身も平和主義者であるが、あの「思考停止状態」というよりは、「尖がっている」というイメージが結局はポーズに過ぎなかったことが暴露されてしまった事態は、もう少し反省されてもいいのではないかと思う)。テロ事件後、日本の若いミュージシャンたちが「反テロ」コンサートを自主的に開催したようだが、「反グローバリゼーション」と銘打ったほうがロックらしかろうにと思ったものだった。


<付録其弐>本編では津軽三味線的な音楽とその風景に力点を置いて書いたが、それとは対照的な西海岸的な音楽で好きな曲も私にはある。70年代後半というのはウエスト・コースト・サウンドが優勢であったように思う。イーグルスの他にも、『シルク・ディグリーズ』のボズ・スキャッグス、マイケル・マクドナルドの加入でメジャー化に成功したドゥービー・ブラザースなどがいるが、76年度グラミー賞新人賞のスターランド・ヴォーカル・バンドもそうしたテイストをたっぷりと滲ませたグループであった。リアルタイムで聞いた時はまったく興味が持てず、いいとこの大学の合唱団ぐらいにしか思わなかった。同級生の男が、彼らの受賞曲である「アフタヌーン・ディライト」とイーグルスの「ニュー・キッド・イン・タウン」を絶賛していて、当時はその感覚が理解できずにいた。この曲を「名曲だ」と感じるようになったのは、20代後半に入ってからで「午後の喜び(アフタヌーン・ディライト)」という言葉に素直に馴染めるようになったからだろうか。
 ところでこのバンドは、所謂一発屋で、「アフタヌーン・ディライト」を知っている人も今では少ないだろう。最近ではCDを買う機会も少なくなってきたが、この曲が収められているCDがあればぜひ買いたいと思っている。
 『ホテル・カリフォルニア』にはJ.D.サウザー(彼もウエスト・コースト系)が参加していて、ソロとして78年か79年頃に注目を浴びるようになったのだが、このサウンドは駄目だったなあ(今聞いても駄目だと思う)。同じ系統のルパート・ホルムスも「ヒム」は好きだったが、「エスケイプ」は駄目だった。系統は少し違うが、同時代のTOTOも最終的には好きになれない。この時代では玄人受けはしないし、個人的にも当時は馬鹿にしているようなところはあったが、エレクトリック・ライト・オーケストラは聴きなおしてみたいと思う。


<付録其参>自分の音楽的記憶を遡ってみると、ピンキーとキラーズの「恋の季節」とザ・キングトーンズの「グッドナイト・ベイビー」とフォーク・クルセイダースの「帰ってきたヨッパライ」、そして(これは子供向けのテレビ主題歌だが)『キャプテン・ウルトラ』のテーマソングに夢中になっていた記憶がある(親戚によると「ブルーシャトー」の替え歌を歌っていたというのだが、まったく覚えていない)。思うに自分の好みの音楽は、メロディーがいいこと、スピード感があること、突き抜けたようなナンセンスの輝きがあることの三点が原型としてあるように思う。
 ところでこれらの曲が流行っていたほぼ同時期に『悪魔くん』という水木しげる原作の子供向け妖怪ドラマがあった。その中のお約束シーンに、悪魔くんの命令に従わないメフィストに対して悪魔くんがオカリナを吹くと、メフィストが頭から湯気を上げて苦しむ場面がある。当時はピンとこなかったが、後に拷問としての音楽というのもあると実感させてくれることになる幾つかの曲と遭遇することとなる
 「私を悶えさせた悩ましい曲の一群」のひとつにフォーリーブスの「地球はひとつ」がある。「僕から逃げようとしたって駄目さ。だって地球は回ってるんだもん」という有名なフレーズがあるのだが、「ああいうこと言われてもねえ」と同級生と語り合ったことを覚えている(前々から「ジャニーズの言語感覚は私の言語感覚を逆撫でしてくれる」というテーゼを持っていて、そのことについての文章を書こうかとも思っているが、ここではもう面倒くさいので―現時点でこの文章は十分に長くなってしまっているので、もういい加減に終わりにしたい―やめておく)。

 ということで、途中であるがここでいったんこの原稿を締めさせていただく。この続きは近いうちに書きますゆえ、興味のある方はまたの機会に読んでください。

(2005・4・30)
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