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  「日本海的メンタリティー―『砂の器』と田中角栄」

 東京で起きた殺人事件を追って秋田まで出張したベテランと若手の二人の刑事が、確固たる手がかりをつかめぬまま途方にくれて海沿いの砂浜を、遠足に来た小学生のようにぶらつく。少し先を歩く若い刑事が前方に広がる海を見つめながら、後方の先輩刑事に次のような意味の言葉を語りかける。「日本海は濃いですね。太平洋とはまるで違う」

 ふと思い立って初見の小学生以来30年ぶりにD V Dで見返すこととなった映画『砂の器』の中の物語開始早々のシーンである。別段この場面に深い意味が込められているわけではないのだが、物語が進むにつれて、森田健作が演じる熱血刑事が言うこの台詞が妙に意味ありげに思えてきた。周知のように松本清張原作のこの映画は、被害者である岡山の雑貨商が戦時中警察官として働いていた赴任先の島根の一地方(亀嵩)で保護した巡礼姿の親子の哀しいドラマである。内容の細かいところまで覚えてはいなかったが、今回見直していて、この映画の鍵となる巡礼の親子の本籍が石川県であることがベテラン刑事の調査の過程で明らかになった時、「あっ」と思ったのだった。そして瞬間的に私は田中角栄のことを連想していた。

 田中角栄と言えば、「金権」「派閥」他にも公共事業がらみの選挙対策などいまや日本国民にそっぽを向かれている旧手法の先駆者であるし、私自身も日本の下品化の張本人として嫌悪感を持たずにはいられないのだが、その反面ほんとに微量ながらではあるのだが、シンパシーを感じる面もあるのである。私がシンパシーを持つのは、一言で言えば「日本海」の怒りと悲しみに対してである。具体的に言うと、福田和也が語る次のような部分である。「もう一つは、日本海側の地方に育った人間の、大都市にたいする思いだろうね。明治以来の近代日本が、富国強兵の名のもとに、国富を集中的に都市に投資して、地方、特に農村が近代化の利益を受けないできた、むしろ犠牲になってきたという思いだろうね。雪に閉ざされた寒村から、毎年出稼ぎに出なければならない人たちの、怒りと悲しみを、田中角栄は代表していた。貧困、低学歴、地方といった虐げられた人々の情念を担って、都市エリートに挑んだのが田中角栄だといってもいい」(『超・偉人伝』)

 こうしたルサンチマンは認めてもいいのではないかと、私は思っている。アメリカで起きた同時多発テロ以降、「多神教」か「一神教」かという問題が話題になることがあるが、「多神教」を支持する人間はいわゆる既得権益を手にしている人間ではないかと私は睨んでいる。既得権益を持つことを許されず、それでも諦めていない人間はプロテスタント(一神教)にならざるを得ないではないか。「俺たちの利益を脅かすことは許さんぞ」という無言の圧力が多神教を擁護する声の中には含まれていると思えてならない。早い話「平和と安定」の世界には必ず不平等が成立しているのだから。ローマ帝国然り。徳川幕府然り。世界の警察としてのアメリカが安全を維持する世界も然り。私などはデモクラシー(=下克上)と聞くと徳川体制以前の戦国時代を想起してしまう。話がそれてきたので、「日本海」に話を戻す。

 映画『砂の器』の巡礼親子が辿るコースが生れ故郷の石川から島根であること(当然「日本海」が風景の一部を成す)を確認した私は、この映画はよく言われるようにハンセン氏病に対する偏見の残酷さを描いた作品ではなく、日本海の恨み節なのだと思ったのだった。(「ハンセン氏病云々」という見方をするのは難しかろう。そのような作品として見た場合は否定的評価をせざるを得ない。ここでは「ハンセン氏病」がメロドラマの餌食とされてしまっている)そしてこの作品が公開された1974年は、日本海側と中央の葛藤劇にひとつのピリオドが打たれた年だったのではないかとも感じたのであった。この年の12月に田中内閣は終止符を打ち、三木内閣が誕生する。その後ロッキード事件が発覚し、田中は凋落を余儀なくされるが、それでも日本海的なものはその命脈をしぶとく維持し続けたようだ。田中の裏切り者であり、と同時に田中派を引き継いだ竹下登は島根出身であった。鳥取県知事と東京都知事との間で繰り広げられるバトルは、巨人阪神戦のような様相を呈している。道路公団問題は山陰地方の高速道路をメインテーマのひとつとするであろう。何だか話が訳分らなくなってきてしまった。

 『砂の器』を見ながら一番感じたのは、その中で描かれる風景が子供時代の夏休みをしきりに思い起こさせたことである。「子供の頃の夏」というのは、かなり価値の度合いが高いのではなかろうか。映画としての価値がさして高くはないにもかかわらず(前述したとおり罪深い部分すら含んでいるが)、なぜだかこの作品を許せてしまうのは、「子供の頃の風景」の磁力のなせるわざのようだ。

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