Be curious!


目次 A.文学系 B.サブカル系 C.ノンセクション D.どうでもいい話 Abou me
 

  「1973年の『日本沈没』(1)」

    一 「かわいい」の台頭(分岐点としての一九七三年)

 一九七三年三月に光文社より出版された『日本沈没』は、日本出版史上、空前絶後の大ベストセラーとなった。出版直後、相次いで、漫画化(「少年チャンピオン」・さいとうたかを)、映画化(東宝・森谷司郎監督)され、社会事件となったこの希有な作品は、同時代のニクソン・ショック=ブレトン・ウッズ体制の崩壊やオイル・ショックといった世界の大変動とシンクロした瞠目すべきカンの鋭さを持っていた。同作品のメイン・キャラクターの一人田所博士は「科学者にとって、最も大切なものは、鋭く大きなカンなのです」(上巻p.193)と言っているが、作者小松左京のカンの鋭さは、ある時代の終焉を機敏に察知したところにある。そしてそれは、小松自身の生存感覚と密接なつながりを持っている。小松が自らの生存感覚を賭けて、『日本沈没』を通して企てたことは、「実存」の最後の大花火を打ち上げたことだった。

 『日本沈没』が発表された一九七三年前後という時期に、吉本隆明と大塚英志はともに、「日本社会の変節点」を見出している。

 「まず七二年を境にして、第三次産業の従事者の人数のほうが第二次産業よりも多くなってきます」(「わが転向」)と吉本は語る。重化学工業からサービス業への転換、いいかえれば、「重厚長大」から「軽薄短小」への転換は、八〇年代に大きく花開いた消費社会の淵源となるものである。青年的な労働から少女的な消費への時代のモードの転換が用意されたのが七〇年代の初頭だったのである。例えば、七〇年に「an・an」七一年に「nonno」といった女性誌が、七二年には「ぴあ」のような情報誌が相次いで登場する。

 また、七三年には山下シルクセンターがサンリオに改称し、七四年にキティちゃんを開発する。乙女ちっくなファンシーグッズが時代の気分を体現するようになり、七〇年代後半以降は「かわいい」という新たな価値観が時代を席巻することとなろう。

 このような劇的なモードの転換を、大塚英志は七二年の「連合赤軍事件」の核心の中に鋭く読み解く。大塚は、七二年の惨劇に、青年的な労働と少女的な消費との相容れない衝突の劇を見出すのだ。後論を先取りすると、小松の『日本沈没』は、「青年的な労働」の終焉をとらえた最後の実存小説である。そこへ話を進める前に、ひとまずは大塚の議論をみてみよう。

 大塚が注目するのは、先日(二〇一一年二月五日)病死した永田洋子が獄中で描いていた乙女ちっくなイラストである。「彼女のポエム画ふうのイラストを改めて見せられることで永田洋子がどういう女性なのか容易に理解できる気さえしたのだ。彼女の精神はぼくがこれまで批評の対象としてきた七〇年代から八〇年代にかけて「かわいい」という語にその心性を託した「少女」たちに確実に通底している」(『「彼女たち」の連合赤軍』p.10)大和和紀に影響された「連合赤軍」らしからぬかわいいイラストに、大塚は、早く到来しすぎた感性の悲劇の有りようを嗅ぎ取る。早く到来しすぎた感性とは、八〇年代の消費社会の感性のことだが、永田自身はそれを連合赤軍のリゴリズム的な左翼の論理で抑圧する。だが、永田以上に乙女ちっくな女性であった小嶋和子は、乙女ちっくであったがゆえに、リンチ殺人の最初の犠牲者となる。小嶋和子、遠山美枝子、大槻節子など、連合赤軍内でいわゆる「総括」の対象となった女性たちに共通するのは、左翼の風土とは相いれないような少女まんが的な女性性だったと、大塚は指摘する。「永田にとって、自らの「女性性」に輪郭を与えるために選ばれたのは、マルクス主義のことばだったが、小島が獲得していたことばは「少女まんが」に連なっていくことばだった。(略)連合赤軍の人々が山岳ベースで対峙せねばならなかったのは、少女まんが的な「私」語りの「お話」であり、それは小嶋を初めとする連合赤軍の女性たちが共有する時代精神だった。だが、その「敵」について、森は、それをただ感覚的に嫌悪するだけである。その両者の乖離が連合赤軍をめぐる悲劇の根底にある」(p.19)

 大塚が見出すのは、「重厚長大=重化学工業」イデオロギーに連なる身体と「軽薄短小=情報サービス産業」イデオロギーに連なる身体の齟齬と衝突が、ある極限状況において、最悪の結末へと暴走してしまった悪夢のようなドラマである。七〇年代初頭にその新たな現象が萌芽としてきざしつつあり、「かわいい」という少女の身体感覚によって、無化されてしまう運命にあった(左翼・右翼両陣営の)理念の失墜という時代の流れこそが、大塚によれば、連合赤軍の真の敵だったのである。見田宗介や吉見俊哉のような社会学者が見出す戦後の切断線もそこにあった。それは「六〇年代までの「思想による自己実現」の時代が、七〇年代後半以降の「消費による自己実現」の時代へと転位していく」(吉見俊哉『ポスト戦後社会』p.13)さまをあまりに見事に象徴していた。この光景は、私自身、鮮やかに感受した経験がある。中学生だった私は、「少年チャンピオン」を愛読していたが、一九七五年の秋ごろ、あきらかに「少年チャンピオン」の画風が変化するのを感じ取った。いろいろな作品でそのことは指摘できるが、特に顕著だったのは、石井いさみの『750ライダー』である。連載開始の頃のハードボイルドな劇画タッチは、七五年の秋以降、少女マンガのラブ・コメ風のタッチへとドラスティックな変貌を遂げる。青年劇画が少女漫画に敗北する現場を目撃したように思う。

 小松左京の『日本沈没』にもまた、見過ごせない「転換」とそれをめぐる対立が描かれている。日本政府が密かに進める「D計画」のメンバーに引きぬかれ、多忙な毎日を送る小野寺が、久しぶりにアパートの自室に戻ると、部屋は見知らぬ若い男女の一群によって荒らされている。「ドッピー族」と呼ばれる「豊かさの中に生きる方向を見失った都会の若い連中」の無軌道さとだらしなさに腹を立てた小野寺は、彼らに対して過剰な暴力を振るい始める。「小野寺は、男たちを一人ずつ襟髪をひっかみ、ベッドの上の缶詰の中身と床の上の反吐に、顔をギュウギュウこすりつけた。――怯えきって、土気色の顔をしている娘たちも、一人ずつ髪をつかんでひきずって来て、汚物の上にベッタリ顔をおしつけた」(上巻p.270)この場面の「豊かさの中に生きる方向を見失った都会の若い連中」を、「思想による自己実現」には微塵の関心も憧憬も持たない「消費による自己実現」の時代の申し子だとすれば、小野寺の過剰ともいえる暴力は、山岳ベースにおける連合赤軍のリンチに似ているといえはしまいか。

 『日本沈没』においては、小野寺より年下の若い世代は、ひたすらダメな連中として表象されている。クライマックスの富士山大噴火後の被災地で、不眠不休の救援活動を続ける小野寺は、遭難した四、五人の若者たちと遭遇する。彼らを描く小松の言葉は、ここでも消費主義的で享楽的な若者への侮蔑を隠しはしない。「髪も服も泥だらけだったが、着ているアノラックやズボンなど、妙にけばけばしい、洒落すぎたファッションショー向けのようなデザインで、靴紐の結び方などから見ても、あまり山なれていないことは一目でわかった。こんな小娘をつれて、難コースの縦走をやったのか、と小野寺はげっそりしたような思いを味わった」(下巻p.301)「労働」に自己の全実存を賭ける小野寺と「消費」に没入する下の世代との対比において、小松は労働に従事する世代の側に軍配を上げる。『日本沈没』で日本国民を救うために崇高な活躍ぶりを発揮するのは、田所博士や渡老人のような、より上の世代なのである。「かわいい」に対してまったく価値を認めず、崇高な事業に無垢な情熱を傾けることを良しとする態度には、ある世代の譲ることのできない思いが映し出されているようだ。(「1973年の『日本沈没』(2)」へと続く)

(2011・7・1)
【このページのTOPへ】
 
| 目次 | A.文学系 | B.サブカル系 | C.ノンセクション | D.どうでもいい話 | Abou me |
Copyright © 2004-2012 -Be curious!- All rights reserved.
by Well-top