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  「中曽根康弘の時代における『岬一郎の抵抗』」

 テクノロジーというものが、世界をおのが意のままに動かしたいという欲望を、その根本の動機に内包しているとするなら、SF小説もまた、テクノロジーと同様、世界をおのが夢の色で染め上げたいという、甘美かつ危険な誘惑に絶えず身を曝している、と言えよう。20世紀のスターリニズムは、党の夢を世界において実現しようと、果敢、かつ、過酷な意志で挑戦した。その意志がもたらした悪夢のような状況は、ジョージ・オーウェルに『1984年』のような作品を書かせた。ディストピアSFは、今もなお、SFおよびSF以外の作家が好んで取り上げるジャンルである。それは、SFが内包する善意に根差した暴力の危険性への、貴重な批評である。

 そしてまた、国家や大陸のような大きな世界に背を向け、絶海の孤島のような、小さな世界をささやかな安息の地にしようと、それ自体は、牧歌的な願望から始まった島SFもまた、一つ間違えば、残酷な世界へと変貌する。ウェルズの「ドクター・モローの島」や江戸川乱歩の『パノラマ島綺譚』『孤島の鬼』といった作品は、社会的な重力から解放された独善的な想像力の危険な側面を描き出す。

 権力を握った者は、どこかで必ず冷静になる時間を確保し、反権力の契機を擁護せねばならぬ、と第71〜73代内閣総理大臣を務めた中曽根康弘は、人知れず密かに自戒していたという。これは、為政者の最低限の倫理である。だが、それにもまして中曽根という人物が興味深いのは、治者と被治者のリズムの同調といった現象をわが身に引き寄せてしまったところにある。かつて雑誌「広告批評」は、中曽根の自信に満ちた笑顔と加山雄三の顔写真を並べて、両者の酷似ぶりを鋭く指摘し、中曽根康弘が時代の顔を担っている、と断言したことがあった(この顔の系譜には長嶋茂雄も含まれる、とされる。これらの指摘は「広告批評」最大のヒットである)。確かに、中曽根が首相の地位に在位した1982年から1987年にかけての時期、時代は中曽根的な欲望に共鳴していた。それを証する最大のモニュメントが1986年の衆参ダブル選挙における自民党の圧勝であろう。

 「ロン」ことロナルド・レーガンに身をすり寄せるヤス(=中曽根康弘)の姿に呼応するかのように、「東京」が国際都市として世界の舞台に浮上してきたこの時代、図らずも、中曽根は、SF作家の相貌を身に纏い、変貌しつつあった東京を中曽根カラーに染め上げたのだった。日本電電公社や国鉄の民営化に見られるが如く、市場原理を革命的道具に利用することで、彼は大衆の物質的欲望を操作することに成功し、古臭い理念と鈍臭くも戯れる社会党を壊滅に追い込んだ(都市の消費者の感性に追いつこうと慌てるに社会党に、「社会党は愚鈍に徹しろ。中曽根(東京)の真似はするな」と、浅田彰が警告を発したのもこの頃である)。

 「正史」を王道SF作家として自信たっぷりに描いていた中曽根に、真っ向から対立したのが、「偽史」を妄想するジャンル「伝奇小説」の担い手半村良であった。彼の選んだ伝奇小説は、「正史」からのディタッチメントを試みようとする。中曽根総理の時代に書かれた半村の『岬一郎の抵抗』は、中曽根色に染まりつつあった「新東京」への抵抗を試みる作品である。プラザ合意後の中曽根の経済政策と連動しながら、東京の風景はこの頃、大きく変容した。東京のみならず、日本全体がバブルの空気に包まれ、東京とは異質の原理を貫く他者が消滅し、すべてが東京化しようとする状況の中で、半村は、ぶっきらぼうにバブル日本(SF化した東京)の他者を指し示す。それは「福井県」だ、と。つかこうへいが屈折を強いられながら、「熱海」への愛を語った(『熱海殺人事件』)のとは違って、なんの韜晦も弄することなく、80年代において福井を擁護したことは、今振り返っても、やはり剛毅だと言える。それは現実を見つめる半村の剛毅さでもある。こうした剛毅さをSFは、いつでも必要としている。

(2010.9・3)
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