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  「天皇およびドント・トラスト・オーヴァー・サーティー」

(1)天皇

 一時期ヒート・アップしていた「皇室典範」問題は、秋篠宮妃の懐妊によって鎮静化した感がある。私はこの問題にさほどの執着は持ってはいない。
 私自身の態度は「天皇制は消極的に支持する」というものだ。「消極的に」と限定をつけているのは、どう取り繕っても、天皇制と民主主義は折り合いがつかないからだ。「天皇制万歳」とする一方で「民主主義万歳」とも唱える人々を見かけることがあるが、彼らの頭脳と感性はどういう仕組みになっているのだろうか。この矛盾を解決する説得力ある説明を聞かせて欲しいと思う。

 私は天皇というのは水戸黄門のラストシーンで登場するあの印籠のようなものだと思っている。私はあの場面は嫌味であまり好きになれないのだが、結局のところあの印籠でも登場しない限りは、人間は自らの悪事を克服できないのかなと、ある種の敗北感を受け入れざるを得ない。真に自律し得るなら、あの印籠は必要ではないわけだ。『仁義なき戦い』の脚本家笠原和夫は、あるインタビュー(『昭和の劇』)で「天皇という存在があるから、例えば田中角栄はあの辺の段階で終ったと思うんだよ。つまり天皇制がないと、どんどん行っちゃって最後には大統領になっちゃって、下手するとものすごい権力者になったかもしれない。そういうふうに天皇家というのは、ある種のブレーキの役割を果たしているんじゃないか」と発言している。私は笠原の意見には同意する。

 私は天皇家に対してはなんらの敵意も持ってはいない。「気高いものには存在して欲しい」と思う人間なので、この種の存在には好意的ですらある。そしてまた一方で、こうした願望は、反民主的な傾向を含んでいると自戒のスイッチに指がかかるところもある。

 結局のところ、「天皇制と民主主義」の問題というのは「垂直と水平」の問題に還元することができそうだ。このことは、また、「絶対的なものと相対的なもの」の問題に重なり合うのだが、これは永遠の人間の問題でもある。まあ最終的な落としどころとしては、あの「日本的な曖昧さ」になし崩し的に崩れ落ちるしかないと思うが、矛盾の隠蔽に対する自覚は維持し続けるべきだろう。この矛盾を無理やり解決しようとするなら、気高い庶民(庶民の皇族化?)という虚構を持ち出すしかないが、「庶民に気高さを担わせるのは暴力だ」という意見が出てきそうな気もする(しかしこれは「大衆蔑視」ではなかろうか)。そういえば去年の衆議院選挙で惨敗後、ある民主党の議員が、その真意はわからないのだが、「垂直的民主主義は認めない」という発言をしていたことがある。好意的に推測すれば、小泉純一郎=竹中平蔵による「新自由主義」批判ともとれるのだが、「天皇の下での平等は許すまじ」という天皇制への真っ向からの挑戦という可能性も否定できない。天皇制にどうケリをつけるのか、この議員に聞いてみたい気がする。いま民主党のことを取り上げるのは、やっぱり、遠慮した方がいいのかな。

 (ここから暫らくのあいだ話題は民主党へ)しかし大失態だったよなあ。例のあのメール問題。今回の騒動後、永田議員の過去の恥ずかし映像がいろいろと流されるようになった。10倍の強さで水を放水してしまったとかいろいろあるわけだが、私がこの議員のことを記憶したのは、彼が新人時代、国会が紛糾した時、「日本の民主主義はどうなってしまうのだろう」とテレビカメラの前で泣きじゃくる姿を披露した時である。「このパフォーマンスにはいったいどのような奥深さが隠されているのだろう?」と私は呆気にとられてしまった。

 思えばこの馬鹿馬鹿しいパフォーマンスを見た時に、民主党の先輩議員は危機感を持つべきだった。彼の感情教育がどのように形成されてきたかをきちんと調査すべきだったのである。もしかしたら『冬のソナタ』を見て本気で号泣してしまったという致命的ともいえるお粗末なセンスの持ち主という可能性もあるからだ。オペラや歌舞伎を鑑賞することが趣味の小泉首相は、それなりにパフォーマーとしての土台を備え持っている。小泉にパフォーマーとして対抗するには映画なり音楽なり、厚い教養体験が必要だろう。その種の兆候というのは日常的に接していてわかるだろう。例えばカラオケでどんな曲を好んで歌うかというところに顕われてしまうものである。そういうところを見逃してはならないのである。永田議員はThe虎舞竜の「ロード」を歌うような男だったのかもしれないではないか。若手所帯の民主党はそれを見て、この男は間違いなくわが党の足を引っ張る危険人物だと早い段階で察知し、パフォーマーとしての感情教育を徹底的にするべきだったのではないか。もしかしてこれは恐ろしい想像だが、代表の前原や野田前国会対策委員長は「オレも虎舞竜の「ロード」大好きだったんだ」と、喜び勇んで永田と3人で「二度とは戻れない夜♪」と合唱してしまったのかもしれない。バカヤロー。もう民主党には投票しないぞ(野田前国対委員長はビジーフォーのウガンダに似ていると思うのは私だけであろうか)。

 話を戻す。ところで無意識について触れてみたい。無意識というと、「意識対無意識」という図式を通して一元的な無意識というイメージが想定されがちだが、私の考えでは無意識は複数性としてある。それは少なくとも2つあり、1つはエロスであり、もう1つはタナトスである。タナトスがカントいうところのサブライム(崇高さ)と関わることはよく知られているが、先ほどの図式を再び持ち出すと、エロスは水平の次元に、そしてタナトスは垂直の次元に関わっている。そして重要なことは、カントの「倫理」はサブライムと深く関わっているということである。世の倫理論争はエロスとタナトスの問題を押さえていないがゆえに、たんなる儀式的なものからそれ以上深まることはなく、不発で終るだろうというのが私の予測である(儀式があるだけ、無いよりはましだが)。


(2)ドント・トラスト・オーヴァー・サーティー

 正確な出典はわからないのだが、ロックの世界において有名なフレーズがある。「ドント・トラスト・オーヴァー・サーティー(30歳以上は信じるな)」というものである。秀逸なコピーだとは思う。「少年期の誰しもが通過する錐のように透明で鋭い時間帯」(佐々木幹郎)のみに許される幼いエゴイズムの輝きがある。しかし同時に体のいい甘えと傲慢さおよび無知蒙昧をも感じる。このフレーズに対しては私の中で凡庸なものと愚鈍なものの2種類の反応がある。

 凡庸なものはこのフレーズの意味の次元に関わるもので、要するに「発想が単純だなあ」というものである。「トラスト」の目的語を「ムスリム」に置き換えてみるがよい。「イスラム教徒を信じるな」という意味になり、ブッシュやラムズフェルドや趣味のハンティングでポカをしでかしたチェイニーと同じメンタリティーになってしまう。けれども「熱狂」というものは、元来、排他的なものであり、「寛容」というものとはなかなか相容れないものである。

 もうひとつの愚鈍なものとは、いま記した「熱狂」と重なるのであるが、このフレーズの発話の強度を支える「享楽」の次元に関わっている。よく言われるように、音楽はディオニュソス的なものであり、ディオニュソスの別名バッカス(酒の神)が示すように、それは人を陶酔や酩酊の状態に導く(とはいえバッハの音楽には私はメタフィジカルに澄んだ世界を感じて、むしろアポロン的なイメージを抱いている)。音楽や祭りの類が「ガス抜き」と云われる所以である。

 ところで私がふと思うのは、「陶酔と公共空間」プラス「享楽」の問題である。「陶酔」と「公共性」というのはどう折り合いをつけるのだろうか。「享楽」に関しては「恋の論理」の動力として後で触れることにする。

 陶酔と公共性のコミュニケーション形態というのは、それぞれ別の種類のコミュニケーションである。社会学者の宮台真司の見立てを借り受けるなら、陶酔は「強度」の次元に属し、これは垂直のコミュニケーションであるが、一方の公共性は「意味」の次元に属し、これは水平のコミュニケーションである。前者は後者の図式を切断する「出来事」として到来する。うまく成功した垂直の力は、乾涸びた共同体を活性化し、より高次のものへと引き上げ組織しなおす。

 現在の私は、垂直の力は「ガス抜き」程度に去勢化しておいていいんじゃない、というふうに考えている。公共的な複数性の世界に同調することは、陶酔が昂進した「享楽」を断念することだと思っている(国連の会議を酒に酔っ払ってやるわけにはいかないだろう)。むろん共同体に収まりきらない「特異性」の問題は残るのであり、その過剰を処理するために公共空間とは別の場所が必要とされ、また用意もされている。
 1990年前後から「公共」という言葉がよく聞かれるようになった。世界的にハンナ・アレントの再評価が高まったのもこの頃である(アレントは重要な政治思想家だが、私の印象では彼女においては「個人」というもののポイントが若干弱いような気がする)。日本でも事情は似たようなもので、ここには、まあ、団塊の世代に属する文化人が主導した浅はかな活動に対する反動があった。彼らのうちのほんの一握りの人材には私はリスペクトを持っているが、大半の人間(特にサブカル文化人)にはもはや軽蔑しか感じていない。まずいラーメンを出しておきながら、「『おいしい』と言ってほしい。人は褒められて上達するんだよ」というようなタイプが多い。「おいしい」と言ってほしかったら、まずは努力すべきはずなのに。

 ともあれ「公共」を蔑ろにするわけにいかないのは当然のことであるが、なにかというと「公共」や「国益」という言葉を持ち出す政治家および政治評論家や経済評論家は垂直や享楽の次元には鈍感のふりをしている、というよりは鈍感そのもののように思える。だから彼らが、小泉純一郎ばりに「アート」について言及すると、聞くに堪えないようなことを発言することになる。アーティステックな感性をも持ち合わせていることを披露したいのだろうが、あれはやめたほうがいいように思う。彼らは非アーティストだからべつだんかまわないのだが、問題はアーティストにおける首をかしげてしまうような例である。

 2001年9月11日の「同時多発テロ」直後の国内外のミュージシャンの反応を見て、彼らに対する評価を目減りさせたほうがいいのかもしれないと思ったのだった。あそこでは享楽の次元が口を開いたのであり、ロック的想像力はそれに共振するはずなのだがそうではなかった。言っておくが私はテロを賛美するつもりはない。攻撃欲動を駆動させるタナトスそのものが、それを抑止する良心(内向化した攻撃欲動)の強度を持続(反復強迫)させるのだと言いたいくらいだ。

 ロックの根は享楽のそばにあったと思うのだが、今では「おしゃれでかっこいい」ファッションアイテムのようなものらしい(それはそれでいっこうにかまわない)。ファッション雑誌的風土において左翼的(反体制的)イメージと戯れてみせる(ちょい悪ミュージシャン?)というやり方こそがスノッブな消費社会において最も賢明なふるまいだろうと思う。こういう発言をする人間がいるのか知らないが、「三島由紀夫は右翼(のイメージ)だからロックからは遠い」と言うような人間がいるとすれば、その人物は三島の足元にも及ばない。

 三島の「文化防衛論」を読んでみれば、三島こそが「血みどろの母胎の生命や生殖行為」とともにある、言い換えれば享楽の力とともにあるロック的なものを欲していたことがわかるだろう。三島は享楽の次元を知っていたのである。そしてまた極右と極左が享楽において通底していることも知っていた。だから三島は、東大全共闘との対話において、「天皇と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐ」と発言したのである。左翼(全共闘)側は、三島のこの言葉を受け止めそこなった。彼らは三島ほどの認識力の高さを有してはいなかった。(三島の認識力の高さには私は敬意を表するが、彼の作品は私の好みではない。ボディビルダーの筋肉のようなあの装飾的文体に馴染めないのである。「三島が運動神経に恵まれていたらなあ」と私はよく仮定する。身体に由来する「唯物論的知性」といったものを、三島は決定的に欠落させていたと思う。運動音痴であった三島は唯一剣道をやっていたようだが、剣道のトレーニングにボディビルディングが必要だとは思えない。そういうところに三島の身体上の頭の悪さを感じてしまう)。
 三島には『葉隠』を題材にした『葉隠入門』という著書があるが、これら2冊を取り上げた「死ぬことと見つけたり」という丹生谷貴志のエッセイがある。べつだん丹生谷は、よくありがちな「武士道」の解説とその賞賛を試みているわけではない。ジュネやサイードの傍らに『葉隠』の話者山本常朝を据えるという風変わりな試みがなされており、そこで「「武士」はむしろ世界の最下層の「病者」に似た者」と規定される。
 丹生谷が描くところの常朝は、一言で言えば「恋する病者」である。私はこのエッセイを読みながらもう一人の「恋する病者」である「わが子キリスト」(武田泰淳)に登場するユダのことを思い出していた。ユダのみならずキリストを含めたこの作品の登場人物全員が「恋する病者」といえる。原始キリスト教の運動を支えた人々も「恋する病者」だったといってもいいかもしれない。

 「恋」という言葉が想像させがちのロマン主義的なものを、丹生谷は山本常朝のなかに見出せずに驚く。「山本常朝にはいわゆるロマン主義的な理想主義というものが不思議なくらい、ない」とはいえ「恋する者」にはやはり似ている。対象との間に程よい距離を設けて余裕を弄ぶ面持ちは無く、ひとたび臨戦態勢に入れば「死に狂う」覚悟を決めた激情を胸に秘めている。三島由紀夫が強い拘りを示した2・26事件の青年将校たちの姿に、常朝はかなり似ている。

 和辻哲郎もまたそのようなラインで常朝のことを描き出している。「公(常朝の主君)のかういふこまやかさに心動かされない者はないであらう。まして人一倍思ひつめた、一本気な、感じやすい魂を持つた常朝のことである」和辻のその公の死の時分を語った常朝の語りの紹介を引用した後、丹生谷は次のように記す。「疑いなく、ここにあるのは「主君に対する恋」なのだ」「ここに常朝の唯一の「理想」、或いは「社会」が提起される。それは「恋」であり、ここでは日本語に相応しい言葉が見つからないままにフランス語を記せば、「Affection」なのだ」
 「主君に対する恋」において常朝と2・26事件の青年将校たちは交叉する。天皇への恋慕ゆえに国家に対して戦争をしかけたのが青年将校たちの事件だったが、常朝における「「恋」の至上である「忍恋」の自己抑制と捨身」にもまたある種の危うさ(要するにファッショ―ところで世の「ファシズム認識」はこのラインでの把握が弱く、ただ徒に「強権」ばかりを言い募っている。無垢なる被害者としての自分を表象したいのだろう)を認めつつ、丹生谷は次のように書く。

「ファッショとは「君主」が「国民」に「恋の熱狂」を要求するものにほかならないからだ。常朝はしかしそれについても知悉していたように見える。彼は「恋」すらも幻であることを知る事において「恋」を「恋」たらしめることに心を砕くからであり、それをこそ彼は「忍恋」と呼んだのであるし、それが「死」という乾き切った見返りの絶対的不在において「批評化」されねばならない事を繰り返すのである。「武士道とは死ぬことと見つけたり」というテーゼ(!)はそれ以外のものを意味すまい。……そして三島が夢見たのはまさにそうした「忍恋の批評性」であったとも言える訳である。三島はその批評性において「近代国家主義」の理念的欺瞞を打ち砕こうとしたのだ」

 丹生谷はこのエッセイの別の箇所で「病者の光学」という言葉を用いているが、それは三島や常朝の「批評性」と重なり合う。いま私たちの文化が最も欠いているものは病者の光学=根源的な批評であろう。健康幻想の肥大が不健康であるのに対して病者の光学は健康の側にある。

 ところでこれが最も重要なことであるのだが、このエッセイの最終部で、唐突に、丹生谷は次のような言葉を記している。「……最後に唐突だが、何はともあれ、おそらくわたしたちは『葉隠』の乾き切った艶やかさから、さらに乾燥した場所、たとえばジュネの残した「恋の囚われ」と砂……或いはサイードの「予言」した「非国家」としての「パレスチナ」、わたしたちの内部における「パレスチナ」を招聘せねばならない。「忍恋」が今もなおそこで具体的に戦われているのだとすれば。その招聘の残余すらないとすれば、今三島由紀夫の『葉隠入門』を、或いはさらに『葉隠』を読み返す意味は何もない」
丹生谷のこの言葉に注釈や余分な言葉を付け加える必要はなかろう。ただ一言だけ、蛇足ながら、言っておくと「招聘の残余」は公共空間の外にあり、戦いは享楽をモーター(動力)として演じられるだろうということだ。「公共」の思想家ハンナ・アレントは、イスラエルを支持し、パレスチナに目を瞑ったのだった。

(2006・3・8)
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