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  「共感の身の丈」

 今からちょうど10年前の夏に、雑誌『現代思想』の9月号が出た。この号の特集は「貨幣とナショナリズム」である。これをふと思いたって、ぱらぱらと読み返してみた。大雑把に言ってしまえば、国内保護主義的経済政策を通して遂行されるナショナリズムを検討しているのであるが、この特集タイトルと同じ表題のインタビューが、社会学者の大澤真幸を聞き手として経済学者の岩井克人に対して行われている。

 私は経済学の方には疎いのだが、この人間の言葉は真剣に耳を傾ける価値があると思っている経済学者の1人が岩井なのである。もう1人カール・マルクスの名前も挙げておこう。マルクスの名が出たのはべつに私が共産党員だからというわけではなくて、マルクスの認識力の深さに私が畏怖の念を覚えるからである(テレビのコメンテーターたちには、岩井やマルクスレベルの認識力および感性の鋭さを持ってほしいと、いつも密かに願っている。「マルクス」というと通俗的なイメージを先行させてしまうポカをテレビはすぐにやるのでこのことは書いておく。私は認識者としてのマルクスには並々ならぬ関心を持っているが、思想家としてのマルクスには興味は持っていない)。

 ところで岩井のくだんのインタビューであるが、10年前のそれらの言葉は、今現在もそっくりそのまま当てはまる。それはまあ、インタビュー中何度も「常識的なことなのですが」と言われているように、常識的なことの確認が行われているのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、その「常識的な確認」があまりテレビを見ていても受け取れないように思う。

 岩井は「資本主義とは本質的に世界資本主義です」と述べて、世界市場の情勢と日本の関係、および産業資本主義からポスト産業資本主義への歴史的移り変わりを通して生じる「資本の論理」と「労働の論理」の対立という、「当たり前」の事実確認を行なう。今社会問題化している「ニート」というよりは「フリーター」の問題もここから説明することが可能である。資本の論理は「異なった価値体系の間の違いを媒介して利潤を生み出していくという純粋に形式的な原理にしたがって動いている存在」であるのだから、利益を得るためには、「先進国と後進国」「都市部と農村」「生産性と賃金率」「革新的な技術と既存の技術」といったような「価値体系と価値体系との間の差異性」が是非とも必要なのである。具体的には「デジタル技術」といったような他国を差別化する「革新的な技術」であったり、ユニクロにとっての「中国という後進国」がそれにあたる。また産業資本主義の時代つまりはいわれるところの「高度経済成長」の右肩上がりの時代においては、国内において「異なる価値体系」が用意されていたのである。それは都会の資本家と農村の安い労働力である。自国内のみで経済成長をすることのできる時代があったのである。岩井いわく。

 「すなわち、産業資本主義とは、まさに国民国家の資本主義であり、本来インターナショナルであるはずの資本が本来ナショナルな労働者と長い期間にわたって共存し得た、ある意味で「幸福な」時代だったというわけです」

 この時代には資本の論理=インターナショナルと労働の論理=ナショナルの対立が顕在化せずにすんだ。ナショナルな資本主義は、完全に語義矛盾で、これがうまく機能したのはただ単に運が良かったというだけの話しである。だから経済が成長すれば、当然、「インターナショナリゼーションの現実の推進力である資本と、インターナショナルというスローガンはあっても本質的にインターナショナルにはなれない労働者のあいだの対立がここに生れてきます。そして、その労働者の側から、そして、何らかの理由で国内から逃げ出せなくなってしまった産業資本の側から、国を閉じろという保護主義的なナショナリズムの声が上がってくるのです」この光景はつい最近も我々が目にしたものである。「郵政民営化」をインターナショナルなものとすれば、「民営化反対」はナショナリズムだからである。

 ところで(あまり長い原稿を書きたくはないので)ここで話を飛躍させるが、インターナショナルにはある種の倫理というものが不可避的につきまとう。そしてそれはナショナリズムと不可避的に衝突する。岩井は「基軸通貨」としてのドルの特殊な性格に着目する。手っ取り早く言うと、ドルはドル以外の複数の貨幣を安定させる役割を担わされているがゆえに「たとえば世界がインフレーション傾向にあるとき」「アメリカは、たとえ自国がデフレ気味であったとしても世界経済のインフレ傾向に抗して、ドルの発行量を抑えることが期待されるのです」「基軸通貨国はまさに世界資本主義のなかでほかの国とは非対称的な位置を占めているがゆえに、その通貨発行にかんしてもほかの国とは非対称的な行動をとることが要請されているのです」すならち「倫理」を保持するためには、超人的な意志や忍耐力が要請されるということである。この倫理をなし崩しにするのは、きわめて容易であり、かつ後ろめたさを感じずに行える方法がある。「自然体」や「人間力」というレトリックを用いればよいのである。さらに「国益」という言葉を上乗せするならばもはや無敵である。

 岩井はこのインタビュー内で次のように懸念していた。「ところが、私が恐ろしいと思っているのは、最近アメリカがこのような規律を失いつつあるのではないかということなのです」「たとえば現在のクリントン政権は、あきらかにその政策指向を国内向けのものに転換しています。国内の労働者の雇用を守るために、もっと露骨にいえば民主党の票田を守るために、アメリカの国内産業の輸出能力を短期的に高めるよう、ドル安を放置している。場合によっては、意図的にドル安傾向を仕掛けたりしている」

 以上のような光景はアメリカに限らず、日本においても公的資金の無駄遣いというかたちでよく見る光景である。私は地方は切り捨てられるべきではないと考えるが、優しさの堕落形態としてある公共事業に対しては批判的である。

 このインタビューの最後で、岩井は「社会主義が崩壊した後の世界における倫理のあり方」について語っている。資本主義社会の特徴は自由経済にあり、そこでは何を売るか何を買うかは基本的に自由である。こうした商品の複数性にこそ、岩井は独裁体制への批評を見出す。「自分の労働力であれ、自分の生産したものであれ、それは他人による評価を通してはじめて価値を持つことになる。つまり、自己疎外とは、ある種の「批評」の別名でもあるのです。その意味で、資本主義とは、独裁におちいる危険を最小限に押しとどめるメカニズムをそなえたシステムである、ということができるのです」

 商品は売れなければ価値を持つことはできない。これは買い手の同意がなければ地位を保つことができないことを意味している。逆に言うと、最も売れた商品は最高権力者であることを意味している。けれどもここに問題は残る。最も売れた商品が普遍的な正義を担っているとは限らないからだ。素晴らしいテレビ番組でありながら、視聴率的には惨敗することはよくあるからだ。こうした世界について岩井は次のように語っている。「人間とは、他者による評価を通してはじめて自己を自己として確立することができる存在であるというわけです。そして、このような世界において人間が何らかの意味で主体性を発揮できるとしたら、それは自分を批評する他者をいったいどのレベルに想定するかというところにあるはずです。たんにいま現在の大衆を想定するのか、それともたとえばまだ生れていないかもしれない少数の選ばれた人々を想定するのかといった他者の特定化にこそ、新たな倫理のあり方が見いだされるはずだとおもっているのです」

 「まだ生れていないかもしれない少数の選ばれた人々」という言い方に敗北の予感を感じてしまうが、要は「身の丈」と「数量」の問題である。美的感覚にしろ、道徳的感覚にしろ、その身の丈は高い方が良いに決まっているが、小数であるならば多数決の原理の中では負けるしかないのである。例えば今回の「郵政民営化問題」で衆議院選挙の結果を受けて、態度変更を表明した参議院議員が何人かいる。選挙前は確か「政治家としての信念に従って」というふうに言っていたが、選挙後は「民意に従う」と発言している。ここには「垂直=単独性」と「水平=連帯」の問題が横たわっている。私なりのこの両者の折り合いのつけ方は、85点レベルでの連帯というものである。連帯にも質というものがある。15点レベルでの連帯のようなものではお話にならない。ファシズムのような拙劣な連帯というものもあることに注意は払っておくべきだ。

 「ファシズム」というと強権的なイメージのものばかりが用いられているが、そもそも「ファシズム」というのはスペイン語の「ファッショ」が語源であり、これは「束ねる」という意味である。自堕落な偽りの連帯こそが、最も悪辣なファシズムである。強権的なファシズムなど判りやすいぶん、陰湿なファシズムよりはまだましである。かつてファシズムの問題を考えた時、「ファッショ=束ねる」の反対は「束ねられない=単独性=孤立」という単純なイメージをもとに100枚ほどの原稿を書いたことがある。そこでのポイントは吉本隆明の「自立」であった。

 このへんでこの原稿は切り上げることにするが、要は世の中を良くしたいのであれば、各自がレベルアップするしかないということだ。それが唯一の近道なのだと思う。きわめて常識的で凡庸な結論であるなあ。

(2005・9・15)
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