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  「日本における北朝鮮的光景」

 (この原稿は2004年8月3日に書かれたものであり、これが人の目に触れる時は、古い話題となっている可能性があるが)今年の3月に脳梗塞で倒れ、リハビリ中の長嶋茂雄野球日本代表監督のオリンピック出場が断念されることとなった。代表選手のみならず、一般人の中からも「残念」という言葉が発せられているようだが、私はむしろほっと胸を撫で下ろし、よかったと思っている。当然のことだとすら思っている。

 ほんの5ヶ月前に大病で倒れ、回復の途中にある者に、過大な負担をかけようとすることは常軌を逸していることである。取り返しのつかないことになったら、いったい誰が責任をとるのか。病気療養中の人間の健康よりも、ただ甘ったれただけの人間の期待のほうが重視されるというのは、明らかにまちがっている。

 長島監督が3月に倒れた時、アテネのことはいいから軽負担の範囲において野球と関わってほしいという声がいっこうに上がらず、早く治療してアテネで活躍してほしいという声ばかりが強調されていた時、私が思い出していたのは膝に怪我を抱えていた横綱貴乃花のことである。長島監督は貴乃花の二の舞にされるのではないかと危惧した。

 3年前千秋楽の前日対戦相手の強烈な投げ技を食らって右ひざを脱臼した貴乃花は取り組みを行うべきではなかった。失望の空気が流れるだろうことはわかっていたが、つまらぬヒロイズムよりも出場辞退の方が尊いはずだと、負傷した時点で私は思った。私が願ったことは、日本相撲協会理事長(当時は時津風)が貴乃花に対して出場禁止の命令を出すことだった。貴乃花には出る意志があったにもかかわらず、理事長の命令によって優勝戦は武蔵丸の不戦勝になったという形をとれば、一時的に失望感が漂い、理事長も泥をかぶることになったかもしれないが、とられうる選択においては最良のものではなかったか。理事長は馬鹿な大衆によって見当違いの批判を受けただろうが、そこは歯を食いしばって堪えるというのがグループのリーダーというものだろう。

 私が最も恐れたことは貴乃花が優勝戦に出場し、しかもその取り組みに勝ってしまうことだった。たとえ相撲をとったとしても貴乃花が負けてくれれば、あの日の相撲は救いがあっただろう。相撲に泥を塗るような勝利よりは、救いのある爽やかな敗北を。私はただそれだけを祈った。

 しかし結果は、予想通り、最悪の展開となってしまった。貴乃花は八百長相撲に勝利し、首相になったばかりの小泉総理が「感動したー」と土俵の上で叫び、観客もそれに喜ぶという「人生」に対する侮蔑をみんなでそろって演じてしまうという醜悪な光景が出現してしまった。「人生」をないがしろにするという態度は、当然、退廃にむすびつく。それなりに覚悟はしていたものの、ここまで「退廃」は進行していたのかと、改めてがっかりしたことを覚えている。

 その後貴乃花は足の怪我を回復することができず、早すぎる引退を余儀なくされた。甘ったれた馬鹿の犠牲になったとしか思えない。長島監督には同じ過ちを犯してはほしくない。だから今回のアテネ不出場はよいことだと思っている。3月の時点で、監督の不出場の可能性も考慮に入れて五輪対策はなされているはずだと私は思っている。そうでなければ日本の野球界は本当にダメな所ということになってしまうだろう。

 いまだに監督にアテネに出てほしいという声があるのは理解に苦しむが、やはりよくわからないのは、みっともない爽快さのかけらもない勝利を演じながらも、贔屓のチームが勝利すれば感動してしまう野球ファンのメンタリティーである。あの自堕落なアイデンティティーの放棄の様子は、二言目には「将軍様」と口走ってしまう北朝鮮人民の姿に似ている。こうした無自覚な自堕落さを伴っているメンタリティーが、皇室の一人の女性の不幸に加担していると思えてならない

(2004.8.3)
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