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  「猛暑の後の由無しごと」

 去年もそうであったが、今年の夏も猛烈に暑かった。おかげでお盆の時期にダウンしてしまい、多大なる損失を被るはめとなった。かえすがえすも口惜しい。

 これまでさんざん指摘されてきたことだが、地球温暖化のなせるわざなのであろう。湿度には弱い体質とはいえ、蝉しぐれ、風鈴の響き、冷えた西瓜にドラゴン花火だと、夏は、私にとって、特別な季節だった。とりわけ私は昆虫少年だったので、夏は「虫の甲子園」のような季節であった。

 しかし、である。「異常気象」という言葉が口にされるようになってからは、夏は忌々しい季節へと変貌した。夏の犯罪的な暑さに悩まされる度に、「エコロジー大王よ、降りて来い」と願うようになった。地球温暖化問題は、地球上の国家で解決するのは、もはや無理である。アメリカよりも上位にある「エコロジー大王」が降臨し、「金融システムに天誅を加える」と暴力的にこの問題を処理するという『ウルトラQ』のような展開に期待するしかない。

 この問題に対しては、養老孟が「原油の生産および消費を削減せよ」と提言している。また、「地球温暖化問題」ではなく、「少子高齢化問題」に対しての提言だったと思うが、山崎正和が「日本人は身の丈以上に過剰で贅沢な生活水準を手にしているから、1割程度生活水準を下げてみてはどうか」と発言している。こういう本気な言葉は好きである。「自分にできる範囲でエコに協力しましょう」というユルい言葉よりも、真剣な思考が実践されていると思う。

 ただ養老も山崎も、もともと「持てる者」だったから(ようするに「アッパー・クラス」の出ということ)、このような上品な態度がとれるのだと思う。2人とも「戦前のブルジョワ階級」の雰囲気を身にまとっている(比喩的にいえば、ヨーロッパ的である)。

 団塊の世代あたりに犇めいている精神的な価値に対する感性を根本的に欠落させている成金どもは、養老や山崎の発言を認めないだろう。「地味なのはダサいんだよねー」とポピュリズム的感性を巧みに動員して、養老・山崎的品の良さを粉砕しにかかるだろうと予測される。まるでアメリカとEUの対立のようだ。アメリカのネオコンの連中は、古きヨーロッパの理念を「古臭いカント主義」だと嘲笑した。

 いま思い出したのだが、1985年に出版された本に『オールド・ファッション――普通の会話』(江藤淳・蓮実重彦)というのがあって、彼らの体現する「オールド・ファッション」というのは、「戦前のブルジョワ階級」の感性であった。この本が「1985年」に登場したのがミソである。1985年から蓮実の口から「反時代的」という言葉が漏れるようになる。現在の「新自由主義」的風景と言うのは、80年代に淵源している。1979年にはイギリスでサッチャー政権が誕生、1986年にはロンドン市場で金融ビッグバンである。1981年にはアメリカでレーガン政権が誕生、小さな政府を標榜した。1982年には中曽根政権が誕生、電電公社や国鉄他が民営化。新自由主義が世界の潮流となり、文化もまた、この流れに同調した。

 80年代前半では、「マル金」「マルビ」が流行語大賞。「弱肉強食」「適者生存」というダーウィニズムが肯定的に語られ、イジメはいじめられっ子のための「矯正」「教育」として正当化された。この流れは、最近の中高生間の「プロフ」の書き込みを巡る殺人事件のような陰惨な光景につながっている。一方でこの頃は、「一億総中流化」という言葉が飛び交い、文化面では、これはネガティヴな評価を受けた。広告業界で盛んに「差別化」ということが叫ばれ、今では信じられないことだが、「一億総中流化」の状況では、もはや文学は生まれないと、文学者自身が嘆いていたのである。「一億総中流化」現象において、国民は、潜在的に「格差」を欲望していた。

 80年代後半において、「小学校の運動会の徒競争で全員が一等賞を取るのは間違っている」ということがメディアで盛んにいわれていた。2000年代の政策としての「小泉改革」は、雰囲気としてはすでに80年代において先行されていた。80年代の時点において、国民自身が「格差」を要求していた。「政治家=悪vs国民=善」という、視聴率目当てとしてメディアが捏造する「水戸黄門」的物語は、見ていてシラけるばかりである。

 「小泉改革」のことであるが、これもまた、ここ1年でころころ評価が変わりまくり、それはとりもなおさず、世論の移ろいやすさを露骨なまでに示している。去年の参議院選挙直後には、「国民は「小泉改革」にノーを突きつけた」とメディアはわめき散らし、その流れに乗った形で、公共事業(大きな政府)を復活させる方向を持つ福田康夫が自民党総裁=総理大臣となった。けれども、「サブプライム・ローン」破綻後の株価下降の折には、「海外の投資家は日本の株式市場を見放している。小泉改革の流れを止めるな」というメディアの論調が強くなり、その流れに乗って、竹中平蔵が久方ぶりに復活した。そしてさらには、「リーマン・ショック」後の自民党総裁選では、「上げ潮派」ではなく、「バラマキ派」の麻生太郎が当選され、またもや流れは変わった。

 「国民目線」って凄いよな、とつくづく思う。自民党総裁選を報道するニュース番組を見ていたら、麻生の人気が高く、20代の若者たちは麻生支持を表明し、「政策はご存知ですか?」の記者の問いに「知りません」だもの。70ぐらいのおじさんも麻生を支持し、「麻生さんなら、消費税をきちんと上げてくれる」と言っていた。「財政再建は後回し」って言ってたじゃないか。減税という形での「バラマキ」も麻生はちらつかせていただろうに。

 「国民目線」という言葉を、水戸黄門の印籠のごとく、メディアは安易に振り回しすぎじゃないだろうか。その一方で無節操に「理念」という言葉も、メディアは濫用する。「理念」なるものは、「崇高=サブライム」とむすびついているのであり、サブライムとは「高さ」のことである。「高さ」に対する感覚なしで「理念」は成り立たない。人間の手にはほとんど届かないようなものなのである。「資本主義」にとっても、それは異質なものであり、であるがゆえに、岩井克人(東京大学元経済学部長)は、90年代から「純粋化した資本主義は危険だから、もっとそれを不純にしろ。資本主義に倫理を導入して、資本主義を不純化しろ」と叫び続けたのである。

 このあいだ、週刊誌を読んでいたら、中森明夫が「80年代は資本主義の時代だった」と書いていた。中森によれば、70年代は「家族の時代」で一家にテレビが1台あればよかったが、80年は家族を解体し、例えば4人家族であれば、4つの個体に分解し、4台のテレビを消費させることによって、高度消費社会を推進した、というのである。確かに、「これが流行だ」「あれを買え」と、われわれは消費社会の奴隷として踊らされていた。「ダサい」と言われたくなくて、DCブランドを買わされた。被差別民や弱者として蔑まれたくなくて、男までがプチ整形を施すはめとなった。自由を享受するというよりは、ソフトな管理社会の中で、巧みに操作されているような状態である。感じやすい者たちは、神経症の危機に常に晒されているような状況である。ショボいハイエナのような弱者同士が、常に監視し合い、弱みを見つけたら、襲いかかるような陰惨な光景がやたらと目につくようになった。「秋葉原の事件」もそのようなものとしてある。「恋人のいないオレは負け組」という犯人の言葉がクローズ・アップされたが、そのような価値観はメディアを通して形成されてきた。「卓球差別」など差別の快楽を手にし、それを刷り込まれてしまった。こういう感覚形成は、不可逆的なもので、逆戻りすることはできない。

 80年代の最大の皮肉は、「反制度」を標榜していた「脱構築」が、そうとは自覚できないまま、資本主義のイデオローグとして機能したことだろう。「ポスト・モダン」なるものが意味を持っていた時期にあった雑誌『GS』は、「戦争機械」特集を組んだが、これは消費社会の差異化のゲームの文脈で導入された、と2001年9月11日の「同時多発テロ」の直後、その特集の関係者たちが反省していた。

 また当時は「ノマド」という「遊牧民」を意味する用語がもてはやされ、それに対立する農民および農村共同体が、さんざんバカにされていた。ところが、最近では、資本主義(それはノマドと等しい)によって解体された農村共同体を回復しろ、と農村共同体を嘲笑しまくった連中が言いだす始末である。私は目が点になる状態を通り越して、脱力しきっている。

 「政治家の言葉は貧しい」とは、メディアの常套句であるが、そのことはメディア自身にも当てはまる。紋切り型であることが言葉の社会的条件であるとはいえ、エッジの利いた感性=知性が不足している。この夏、豊かな知的興奮を感じさせてくれたのは、マス・メディアではなく、「現代音楽批評」という超マイナー・メディアであった。片山杜秀という初耳の著者による書物は、「生きていりゃあ、貴重な体験に出会えるもんだ」と「貧しい言葉」の群れに窒息しそうなげんなりした気分を爽快に吹き飛ばしてくれた。

(2008・10・1)
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