Be curious!


目次 A.文学系 B.サブカル系 C.ノンセクション D.どうでもいい話 Abou me
 

  「吉田一穂と極北(1)」

 吉田一穂の第一詩集『海の聖母』の冒頭には、北原白秋が賞賛した有名な次の作品が収められた。

あゝ麗はしい距離(デスタンス)、
つねに遠のいてゆく風景……

悲しみの彼方、母への、
捜り打つ夜半の最弱音(ピアニツシモ)。(「母」)

 「母」から遠ざかり、「麗はしい距離」そのものを生存の根拠として生きることに、吉田一穂の人生の営みのすべては賭けられていた。吉田の作品を読むことは、「遠さ」の体験を確認することにほかならない。では、存在を温かく包みこむ親しい大地としての「母」から離れていこうとする運動に身を委ねる吉田は、どこへ向かおうとするのか。彼の向う先は「北」だ。

人は垂直の点を指し、鳥は水平に北へ向ふ。垂直性脳脊髄が人間を自然の不可逆像とした。いと高きところ、聖なるもの、永遠や無限の離れ難きに、手をあげて誓ふTotemの萌芽、これを神獣性と解したら誤りだらうか。鳥の声に人は空を仰ぐ。水平も垂直も、その延長に於て極星とつらなる一直線である。(「極の誘ひ」)

 「極北」という無の地点において、吉田は生の営みを造り上げなければならなかった。自然や伝統のような連続性を当てにして、過去から持続する文化的パターンに自堕落に身を委ねることができる人間的な幸福は、吉田には縁のないものである。微温的な人間性ではなく、燃え上がるような、あるいは凍てつくような厳しい環境に耐えうる「神獣性」の掟に忠実であることが吉田の唯一の法である。

 吉田の法の世界にあっては、弛緩よりは緊張が、連続よりは切断が、自然よりは超越性が選ばれるのであって、その逆の選択は絶対にありえない。「龍」という神聖なものに憑かれた精神は、悲しいまでに、極限を目指す。「否、わたしはただひとすぢの糸で、天と連なり、水を潜つて、未知の深淵から龍を描かんとするのである。天人地を貫く落雷の劇しさ、徐々たる死灰泥化の目に見えぬ速度、自然は暴力である。荒い始元に対して人は眩暈し、からうじて内なる生理反射、己れの心音を和して之れに抗ひ、身を支へる。逆にまた人間の自然没入は死を意味する」(「龍を描く」)

 「自然没入」への拒否という態度は、吉田の基本的な詩の身振りであるが、これはすぐれて近代的な身振りである。マラルメやボードレールに親しんだ吉田は、自身自覚していたように、日本近代詩の確立者の系譜に自分を位置付けていた。吉田は伝統的な短歌定型詩と決別を告げて出発した表現者だった。15歳のころから短歌を7,8年詠んだとエッセイ(「『海の聖母』に就て」)で語っているが、20代に入ると彼は口語自由詩の世界へと向かう。歌との別れが母との別れでもあったのだ。処女詩集の冒頭で彼はそれを確認したのだった。吉田と同じように、定型詩(短歌)から口語自由詩に向かった寺山修司について、瀬尾育生は面白いことを述べている。「地獄篇」のような物語詩のような作品を除くと、寺山において詩はすべて1行で完結してしまう。それはなぜか。そこに瀬尾は寺山の生々しいオブセッションである「母」とのねじれた関係を想定する。「詩は定型も物語も旋律もなしに十数行、数十行を持続しなければならないのだが、それを可能にするのは詩人のなかの体内のリズム、原初的に無条件で与えられている存在の確かさのようなものだ。寺山修司の詩が流れようとして流れず、いつも一行ないし二行で切断されてしまうのは、いつか幼いころからどうしても確信できなかった母の愛が、無償の流れを彼の体のあちこちで塞ぎ止めてしまうからだ」(「猫背の寺山修司」)

 瀬尾が見出す寺山の個人的な体験は、近代の体験と言ってもよかろう。「原初的に無条件で与えられている存在の確かさのようなもの」とは、ふるさとや大地のようなものだ。あるいはそれを「伝統」と呼ばれるものと見なすこともできよう。「伝統」を喪失し、すべてを独力で作り上げねばならないのが、近代人の宿命である。マルト・ロベールは小説の主人公の原型として「捨て子」と「私生児」を見いだしたが、近代人は、血統を保証されずに、「自分で自分を産み出さなければならない」のだ。このことは定型と手を切った「自由詩」において、ひときわ顕著なものとして生きられる。芸術のアウラが喪失した複製技術の時代の中で、散文詩へと向かわざるを得なかったボードレール。純粋詩という不可能な試みを企てたマラルメ。そうした極端さに不健全なものを嗅ぎ取り、江藤淳は散文精神に裏打ちされたイギリス文学を選んだ。また、詩人の鮎川信夫は、サンボリズムやドイツ観念論を育てたヨーロッパ大陸合理主義の対岸にあるイギリス経験論に寄り添うことで、イデアとしての詩を拒否しようとした。

 ところで、寺山修司の話に絡めつつ、内部世界としての「詩」について考えてみる。松浦寿輝は、瀬尾とは違う角度から、寺山の詩歌におけるみずみずしい単数性の様態について述べている(「一であることの抒情」)。松浦は、寺山の歌集のいたるところに「一」がちりばめられていることを指摘する。例えば、

 一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを

 一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

 わが埋めし種子一粒も眠りいん内部にけむる夕焼け

 そしてまた、「一」という言葉は登場しない作品であるが、

 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

 という印象深い歌に注目して、松浦は、「われ」の「両手が、少女に触れるために前に伸ばされるのではなく、あくまで世界との接触を回避しつつ、しかしそれを大きく抱擁する身振りで、つまり海の幻像としての世界と平行するかたちに横に広げられるとき、開いた腕がそこにかたちづくる感動的な一の文字」というイメージに深く打たれるのだが、これらの潔いまでの「一」の美しさは、吉田一穂の詩の世界に通じるものがある。一であることと一でないことの比較の身振りによって、通俗的な情緒のドラマと戯れるのではなく、即自的に一であることの絶対的な肯定の身振りによって充実した内部の世界をかたちづくること。そこでは内部と外部が正当性を主張しようとして、対話を始めるわけではない。松浦は「ただ一なる一としての自己を衒わず率直に肯定すること」の鮮やかさに着目しつつ、次のように語る。「詩人は、一と多とをただちに戯れさせることでたとえば寂寥といったような偽りの詩情を捏造し、自己と世界とを感傷的に狎れ合せるといった安易な途は選ばない。一を一として静かな確信をもって肯定し、他なる多との、成熟という名のまやかしの妥協を拒みつつ、潔癖な怯えのうちに斜めから世界と遭遇しようとしているのだ」

 吉田の世界もまた、野生としての一とでも呼ぶべきような力強いイメージが、その作品を向日的なものとして彩っている。「力強いイメージ」というのは、少し間違いで、正確には、イメージに先行する「韻律」といったほうがよい。例えば、「韻律」そのものを謳った吉増剛造の次のような作品を思い浮かべるといい。

ぼくの意志
それは盲ることだ
太陽とリンゴになることだ
似ることじゃない
乳房に、太陽に、リンゴに、紙に、ペンに、インクに、夢に!なることだ
凄い韻律になればいいのさ     (「燃える」)

 声の調子は、吉増とは、いささか異なるが、吉田もまた、「凄い韻律」に詩の本質を見いだす。それが表現を要求するとき、吉田が偏愛する「龍」がそうであるように、吉田の詩は、気高い「一」としての動物の形象を作品世界に呼び入れる。

現身(うつそみ)を破って、鷲は内より放たれり。
自らを啄み啖ふ、刹那の血の充実感(みちたらひ)。 (「鷲」)

円転する虚空、溢れる海水(みず)の、爽やかにして荒い阿巽(オゾン)(「海鳥」)

 読まれるように、吉田の詩は、形式を突き破るような、あるいは新たなる形式を要求するような韻律を表現の動因として、言葉を組織してゆく。吉田自身は、「白秋論」の中で、それを「古代韻」と呼んでいるが、その韻律をすぐれて知的な形式として表してみせたのが代表作「白鳥」である。全編引用したいところだが、長いので(15連ある)、冒頭と最終連のみ引いておく。

掌(て)に消える北斗の印(いん)。
……然(け)れども開かねばならない、この内部の花は。 背後(うしろ)で漏沙(すなどけい)が零れる。

(略)

地に砂鉄あり、不断の泉湧く。
また白鳥は発(た)つ!
雲は騰(あが)り、塩こごり、成る、さわけ山河(やまかは)。

 鮮やかなイメージを残す北の空に浮かぶ星の残像。静かに開き始める花の映像。生命力に溢れる清冽な泉の水。虚空に飛び立つ白鳥。世界の声そのものとなって、韻律を響かせる山と河の新鮮な佇まい……吉田の尊ぶ古代韻の完成されたフォルムを体現するのが「白鳥」という作品だ。じつは、この作品は、1940〜1945年という戦争期に書かれているが、この困難な時代を吉田は、内部の韻律に耳を研ぎ澄ませ、それを結晶化させることで、外で吹き荒れるファシズムの嵐に抗い、それをやり過ごしたのだった。 (「吉田一穂と極北(2)」へ続く)

(2012・3・3)
【このページのTOPへ】
 
| 目次 | A.文学系 | B.サブカル系 | C.ノンセクション | D.どうでもいい話 | Abou me |
Copyright © 2004-2012 -Be curious!- All rights reserved.
by Well-top