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  「『岬一郎の抵抗』における東京の変容」

 1980年代半ばに「毎日新聞」に連載された半村良の『岬一郎の抵抗』は、第9回「日本SF大賞」を受賞した(1988年)。同時代の社会的事件である「メキシコ大地震」や「いじめ自殺」などを取り込みつつ展開するこの作品は、東京の風景の変容を通して、同時代の日本を覆っていた気分やメンタリティをヴィヴィッドに捉えることに成功していた。

 では80年代の東京においては何が進行していたのか?一言でいえば、それは新東京による旧東京の解体現象とでも呼ぶべきものである。そして旧東京という共同体の解体は、経済至上主義というあからさまな世俗的価値の猛威によってもたらされた。この時期、経済活動の流れにおいて、「生産」から「消費」へという重要な価値の転換が起こった。文化シーンにおいては、「アリ」から「キリギリス」への価値転換である。「生産」は「勤労の精神」にのっとっており、それは「アリ」のストイックさに通じる。一方、「消費」は「奢侈的享楽の精神」にのっとっており、それは「キリギリス」のエピキュリアニズムに通じている。80年代のメンタリティの場面においては、「生産の精神」と「消費の精神」が様々な領域でせめぎ合っていて、究極的には「東側の体制の崩壊」というかたちでひとつの結末を迎えた。

 『岬一郎の抵抗』の物語は、資本の力が東京下町の松川三丁目周辺の地域を徐々に圧殺してゆく光景を、その冒頭においてサスペンスフルに描き出す。松川町の犬や猫、そのほかにも小鳥や植木などが、原因のわからないまま、次々と衰弱し命を奪われてゆくのだ。やがて小動物たちの死の原因は、町内の工場が制作する化学物質であることが判明するが、その新しい農薬が農産物市場における経済競争の切り札になりうるがゆえに、有楽町にある役所は下町住民の陳情を受け入れようとはしない。「資本(肉食動物)=国家=新東京」と「小動物(草食動物)=下町共同体=旧東京」の対立が鮮明化し、一種のパワーゲーム、というよりは小動物の受身の防御戦のさまが物語をおしすすめる。

 生存の手段としての抵抗を繰り広げる旧東京のほかにも、経済競争のリズムだけには同調すまいと、追い詰められた小動物の頑固さで、繊細さに徹しようと身を寄せ合って生きている重要な二人の登場人物がいる。それが岬一郎とその恋人の梶伸子である。「その二人はただ気の弱い者同士なのかもしれない。人を傷つけることに憶病でありすぎ、それよりは傷つけられて耐えるほうを選んでしまうたちなのだろう」彼らの消極的な希薄さは、瞠目すべき強度に達しており、彼らのスタイルは同時代への批判と成り得ている。一郎と伸子は、ともに、福井県の出身である。半村良の「福井県」への言及は、70年代におけるつかこうへいの「熱海」へのこだわりを想起させるところがある。70年代において、つかは『熱海殺人事件』を通して、熱海やブスや工員への屈折した愛を語ったが、80年代には貧しき者の連帯は消滅し、熱海もブスも被差別民として蔑視されていた。彼らを嘲笑したのは「近親憎悪」を抱え込んだ田舎者であり、尊敬に値するところなど何一つない彼らによって、新自由主義的な醜い光景は広められていった。

 当時の「東京」に対する「田舎者」の羨望は異様なほどに膨張していた。小中学校を私は、目黒区の自由が丘で生活したが、大学生時にクラス会で、ネイティヴ自由が丘人と会ったりすると、地方出身者から、聞いたこともないような自由が丘の店のことを尋ねられると、呆気にとられていた。地元の人間は、静かにつつましく暮らしているのだが、ネイティヴ東京人の慎み深さを欠いた田舎者が、東京の風景の下品化に加担したというのが現状である。当時は「埼玉」差別など、田舎差別が娯楽と化していたが、田舎差別は田舎者の手によってなされていたのだ。田舎出身の文化人が、東京の風景をさんざん駄目にしておきながら、東京の風景は味気ないと、京都での生活を礼賛したりするのだから、まったくもってけっしからん。少しは責任取れよ。無責任ぶりは、政治家だけの専売特許ではないのだ。

 このような旧東京解体に加担した田舎者の姿は、作品中においては、岬一郎の最良の理解者である野口の妻昌代によって、体現されている。「昌代は東京の生まれではないし、美意識が野口とは少し違っている。地方の町に育ち、東京を特別な都会として感じて来た。丸の内、銀座、赤坂、六本木、青山といったイメージで東京をつかまえていて、下町には外来者としての情緒しか感じていないようなのだ。彼女にとってその情緒は好ましいものだが、野口から見ると架空のものに近い」昌代という人物は、当時の大半の日本人の姿に重なっている。とにかく金を持っている奴が偉く、貧乏人は第二市民以下という共通感覚がほぼ完成形態をみせていた。『金魂巻』(渡辺和博)がベストセラーで、「マル金マルビ」というのが流行語大賞を取っていた。のちの「勝ち組負け組」への通路や「格差」肯定の欲望の下地はこのころ作られたと言っていい。小泉純一郎や竹中平蔵だけを批判するのは、あきらかに欺瞞的な態度である。

 かつては敏腕の雑誌編集者だった野口を、昌代は次のようになじる。「貧乏臭さが身についちゃったのね、とうとう。町のおじさんたちに仕事をまわしてもらって喜んでいるなんて、以前のあなたとはまるで別人よ」そして田舎の俗物が喉から手が出るほど欲しがるようなスーパーパワーを手にした岬一郎が、そのパワーを相殺することで、倫理的な抵抗を試みる姿をさして、昌代は次のようにも言う。「あの岬という人を見てごらんなさいよ。ばかみたいじゃないの。あれだけの力を持っているくせに、こんな貧乏たらしい町でこそこそやってるじゃないの」

 『岬一郎の抵抗』とほぼ同時期に、ホリエモン的新自由主義を体現する『愛と幻想のファシズム』(村上龍)が書かれたが(ホリエモンも『愛と幻想のファシズム』の主人公も、資本主義を「狩猟民族」のメタファーで正確に掴んでいる)、田舎者の都会幻想をめぐる欲望が、東京原住民の生存感覚を凌駕し、それを飲み込みつくす過程がほぼ完了するのがこの頃なのである。それは生産から消費への価値の転換であり、二人の経済人の名を登場させるなら、ウェーバーに対するケインズの優位ということになる。

「ケインズは供給よりも需要が、生産よりも消費が資本制のシステムにとって決定的な問題であることを洞察していた。ケインズはこの洞察を、マルクスのように資本主義を否定するためではなく、資本主義を肯定するために用いた。「ケインズ革命」と、その反ケインズ主義的な徹底というべき「情報消費化」は、資本主義の精神の、プロテスタンティズムの倫理からの解放と自立の完成態であるだけでなく、資本主義のシステムとしての純化と完成にとって、プロテスタンティズムの倫理の否定が不可欠であったということの、構造的な必然を解き明かしている」(見田宗介『現代社会の理論』)

 消費優位の経済活動と消費を善とする文化シーンが、結託する形で倫理や理念の息の根を止めたのが80年代であり、それは旧東京が金融都市東京へと変貌するさまと平行していた。そうした状況において、『岬一郎の抵抗』の岬と野口は、時代の交換価値にはとうてい成りえなかった「精神」を擁護しようとして、周囲から孤立してゆく。バブルのとば口期に書かれたこの作品は、土地の意味論的な配置および産業構造が、そのまま価値の熾烈な闘争を反映していて、政治小説としてめっぽう面白い。要するに「有効需要」としての「欲望」をめぐる政治小説なのだが、「理念」や「精神」のような資本主義にとってのノイズを失って純粋化した裸の資本主義の力への危惧を感受したこの作品が、ソ連崩壊の前に書かれていることは、驚くに値する。

 「資本主義」にとっての不純物としての「倫理=精神」は、「プラザ合意」後の中曽根経済政策の前に、まずはポストモダン現象としての文化、特にテレビジョン・カルチャーによって、その足腰を弱体化させられていた。テレビジョン・カルチャーにおいては、「理念」はギャグでしかなかったし、ポスト・モダニズムを云々していた所謂「現代思想」においては、「理念」や「理性」を攻撃することは、ソ連的な「全体主義」批判をすることに通じ、ひとまずは、新左翼の存在感をアピールすることにはなった。当時の文化が、中曽根康弘の先兵隊として、サッチャー=レーガン=中曽根らが推し進めていた新自由主義の地均しを行っていたと言っていい(今や「デコンストラクション」が資本主義を肯定するイデオロギーとして機能したことは明らかになっている)。彼らが均してくれた道を、中曽根は苦労せずに歩めたというわけだ。のちに小泉純一郎がそのコースを歩むことになるだろう。

 当時の日本が置かれていた経済状況は、一言でいえば、「外需」から「内需」への転換期であった。80年代前半までは、国内の経済発展を促進する手段として、輸出商品の生産が最重要視されていた。これによって「ジャパン・アズ・ナンバー1」は達成された。この経済活動の過程においては、「節倹」が美徳とされ、「奢侈」は生活の価値観からは追放される(金は使わずひたすら稼げ)。だが、貿易黒字の拡大を目指す「重商主義」が限界に達し、「外需」が不足した時には、国内の経済活動は「節倹」から「浪費」へと方針を転換せざるを得ない。80年代においては「プラザ合意」による「円高」がその主要なドライヴとなったわけだが、それ以前にカルチャー・シーンでは、すでに、「見せびらかしとしての消費」が、時代のモードとなっていた。ブランド・ブームとか、「人間は内面ではなく外見が重要だ」(精神よりも物質)とか、すでに社会は十分に「動物化」していた。いまは凋落してしまった「西武グループ」が、消費生活の美意識を先導していた。ホイチョイ・プロダクションの「見栄講座」とかありましたな。けれども、やはり決定的なのは、日本経済を直撃した「円高」であろう。

 1985年、アメリカ・ニューヨークのプラザ・ホテルで、いわゆる「プラザ合意」が取り決められた。アメリカの「双子の赤字」に起因するドル相場の不安定化を防ぐために、先進諸国が「円高ドル安」の方針に合意した。これにより、1ドルに対し、円は240円から1年後には150円までに、劇的に価値を上昇させることとなった。この急激なレートの変化を目の当たりにして、『岬一郎の抵抗』の登場人物の一人は次のように憤る。「汚い。一国の首相としてあまりにも自制心に欠ける。潔癖でない。彼は円とドルのレートについて話し合ったのだ。全国民を代表し、大きな責任を持ってだ。先方からの圧力が非常に大きいのは最初から判っていた。円高の方向は決定的だった」「結局急激な円高がはじまった。短い期間に高騰した。儲ける者もいたが損をする者も多かった。輸出に頼っていた業者の中には倒産する者も続出した」

 「円高不況」打開の政策として、時の首相中曽根康弘が打ち出したのが「内需拡大」政策である。これは時代の気分ともうまくマッチし、大成功を収めた。86年のダブル選挙では300議席獲得の大勝を手に入れたのだから、中曽根が82年から87年までの長期政権を実現した80年代という時代は、中曽根康弘していたのである。「生産する蜜蜂から消費する蜜蜂へ」という価値の転換を確認しつつ、見田宗介は次のように80年代を振り返る。

「一九八〇年代の末のある年に、成熟した東の消費社会の中心地、原宿から青山にかけての街路街路には、祭りの万国旗のように道幅いっぱいに張り渡された横断幕の列が、「輸入で世界と手をつなごう」という、政府の手による消費性向上運動の呼びかけを反復していた。最初は貧しかった国内消費市場→海外市場への依存→過剰な貿易収支の黒字→国際経済摩擦というふうに回路づけられ、多層化され拡大された、新しい蜜蜂の寓話であった」(『現代社会の理論』)

 ところで、一つ忘れてはならないのは、「消費」はあくまでも、「権利」であって「義務」ではないということだ。自分の金を何に振り向けるかという行為は、個々人の手に委ねられている。自分の欲望を他人の思惑に左右されたくはない。「消費者」は、あくまでも「市民」なのであって、消費社会の「奴隷」なのではない。だが、自分がいったい何を欲しているか、という問題はけっこう難しいものなのだ。「欲望は他者の欲望に媒介されている」とはよく言われることだが、一般的なあり方として、大衆の欲望はメディア(=媒介)に操作されている。多様性としてある個々の欲望は、ファシズム的に一方向へと束ねられ、財布の中身を掠め取られる(アイスクリーム屋がわざと行列を作って大衆の付和雷同を刺激したとかあったなあ)。大衆消費社会にあっては、独自の消費活動にこだわりすぎると、「マイノリティー」の烙印を押されかねない。たとえば、アート系映画の没落、あるいはアキバ系の消費形態は、いまもなお、軽蔑されがちだし、時にはニュースキャスターによって揶揄されたりする。なかんずく、「内需」を盛り上げることが、国家的「是」となっている状況にあっては、「消費」に冷淡な態度をとることは「非国民」扱いされかねない。東京オリンピックの高揚期のさなか、周囲の空気に違和感を持ち続けた小林信彦は、自らを自嘲気味に「非国民」だと呼んでいる。

「町殺しが進行中であるにもかかわらず、反対運動はおろか、批判的言辞を口にしたとたんに、「保守主義者!」とどやしつけられかねなかった空気が私の<不安>になっていた。町殺し(環七工事のような物理的破壊及び町名変更)=東京オリンピックのため=反対する者は非国民――という図式が、すんなり信じられているのがやりきれなかった。立ち退きを拒む家は孤立し、狂人扱いされていた」(『私説東京繁昌記』)

 『私説東京繁昌記』は、1984年9月に中央公論社から刊行された。『岬一郎の抵抗』とほぼ同時期に書かれたわけである。また、小林信彦が1932年生まれであり、半村良が1933年生まれであることを照らし合わせると、感慨深いものがある。二人には、他人には簡単には譲り渡すことの出来ない独自の生存感覚というものがある。東京オリンピック以前の風景としっかりと結びついていることが、彼らの強みであり、かつ、彼らを同時代から孤立させる。この固有の風景への愛着の感覚は、凡庸なエコノミストには、体感することのできないものである。この感覚こそが経済学の限界を暴きたてるものにほかならないが、「経済学批判」という知的に最もスリリングな企てに鈍感な彼らは、「国益」とかいう言葉を添えながら「町殺し」に加担し続けるだろう。小林信彦は、「町殺し」という言葉を建築家・石山修武の次のような文章から得ている。

「……東京の町の風景には独自の後ろめたさがある。アメリカの都市の風景には無い陰惨さがあるのだ。それが江戸の町を殺したという親殺しの記憶にも似た奥深い原罪意識である事はいうまでもない」

 もとより、半村と小林の「故郷」への愛着には違いがある。『岬一郎の抵抗』の舞台が深川周辺であるのに対し、小林の思慕の対象はアールデコ調にモダナイズドされた浅草である。彼らの原風景は、東京オリンピック前後に、いったん破壊されたが、80年代にもさらに大きな変化を被る。風景に対する感性を失った欲望が、土地の精霊を圧殺する蛮行が繰り広げられた。プラザ合意後の円高状況に対する低金利政策が、投機マネーを不動産市場に集中させたのである。地上げの横行、都市再開発、ウォーターフロント計画など、住民の暮らしを慮るというよりは、経済本位での発想が大手を振ってまかり通った。作品中、四軒長屋の阿部家の夫人は、そのような状況に巻き込まれて、次のように嘆息する。「土地がどんどん値上がりしてるそうだし、町工場なんてもうこんなところにはいられない時代だって、みんなそう言ってるわ」

 さらには、バブル崩壊後の銀行の不良債権処理と連動する不動産政策は、東京の風景を経済発想で歪めた。不必要なまでにマンションが続々と建てられた。2002年に書かれた文章で、小林信彦は言っている。「……東京はいよいよ奇怪なことになりつつある。(改行)佃島がその一例だが、高層マンションがにょきにょき立って、人間のいとなみは圧殺されかかっている。六本木、汐留と、あちこちに途方もない計画がひろがっている。関東大震災後の<新しい東京のグランドデザイン>がいかにすばらしく、高度成長時、バブル経済後の東京がいかに街づくりに無計画か、呆れるばかりだ」(『私説東京繁昌記』文庫版のためのあとがき)政治=経済の巨大な暴力と慎ましい一個人の絶望的な戦いを描いた『岬一郎の抵抗』において、半村良が心やさしい一地方人を生き延びさせるために付与するのは、「超能力」というSF的設定である。「超能力」という荒唐無稽で、かつ安易でもあるアドヴァンテージによって、福井県は大東京と対等に張り合える。あるいは大都市をはるかに凌駕することができる。むろんのこと、岬一郎は、同時代に根強く人々の心を支配した価値のヒエラルキーであるところの土地の序列競争に代表される権力ゲームにコミットすることを頑なに拒絶する。適正基準を超えた膨張(成長)への欲望のあさましさに嫌気を覚えるからだ。不健康のレベルにまで達した成長への欲望について見田宗介は次のようなことを言っている。

「子どもは成長しなければならないけれども、成長したあとも成長が止まらないことは危険な兆候であり、無限に成長しつづけることは奇形にほかならない。ましてや成長しつづけなければ生存しつづけられないという体質は、死に至る病というほかない。
 成長したあとも成長しつづけることが健康なのは、「非物質的」な諸次元――知性や感性や魂の深さのような次元だけである」(『現代社会の理論』)

 世俗の欲望に、アンチとして、精神を対峙させることは、ひとまずは妥当だといえる。けれども精神のみを特権化するのは、不当である。大切なのは、バランスだからだ。ただ、ここでひとつ指摘できるのは、世俗と精神のバランスがつり合いを逸していたのが、「バブル」という時期だったということである。この頃オウム真理教が勢力を拡大させていたことは、偶然ではあるまい。『岬一郎の抵抗』に看取できる軽薄な神秘主義は、時代のアキレス腱的な部分を指し示していたのだと、いえる。この作品はオウム真理教がメディアで取り上げられる前に書かれた。ちなみに作家の星野智幸は、『岬一郎の抵抗』の最終場面が富士山麓であることと、オウムの本拠地が一致していることに戦慄を覚えると自身のブログに書いている(私がこの作品の存在を知ったのは、星野のブログによってである)。

 また、さらにつけ加えるなら、岬一郎の、パワーがありながら権力的には無力であろうとする姿は、本作品の言葉は「イエス」の名を指し示しているのだが、どうしても「天皇」という存在を想起せずにはいられない。この作品が書かれたのは、「昭和天皇」の晩年期と重なりあっている。この作品は、何かの終焉に見事に反応しているのである。

 『岬一郎の抵抗』は、一般に自閉的で非歴史的、非社会的だと見做されがちなSFのイメージとは、まるで異なる作品である。「繊細な経済学者」あるいは「詩人の魂を持った経済学者」の眼と呼ぶべきようなセンサーが、剛毅な柔軟さで、世界と向き合っている。旧東京と新東京との闘争を正確に捉えた半村良の生存感覚は、そのまま世界に対する批評へとつながっている。「散文」の文脈において「詩」なるものを見定める、という務めを担うことができるのがSF小説だということを、この作品は証明している。

(2010・1・1)
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