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　「アシモフの二つの顔――ファースト・ヴァージョン（３）」

３　膨張するナショナリズムとしての光

　わが身の周囲に差し迫り、視界を覆い尽くすかに見える「暗黒」のいずこかに「一条の光」を見いだすこと。『銀河帝国の崩壊』のアルビンの船が銀河系の外にある未来を目指し、『ファウンデーションの彼方へ』『ファウンデーションと地球』の主人公トレヴィズが乗るファースター号が、銀河の未来を握る鍵を求めていくつかの星々を経巡るように、『ミクロの決死圏』のプロテウス号と呼ばれる潜航艇もまた、闇に侵された世界に光の秩序を取り戻すことを、その任務として担っている。

　病としての夜と健康としての昼という対立図式を、一応は、この作品は受け入れているかに見える。元々は映画として作られたこの作品は、舞台の背後に冷戦時代の東西の対立を控えさせており、東側の謀略により瀕死の重傷を負った亡命科学者の生命を救う物語が、勧善懲悪調戦争アクションに重ね合わされているかのようだ。「われわれ＝健全な治療者＝光」が「かれら＝邪悪な病＝闇」を打ち倒すのだという、ひと頃ありがちだった物語の強化を目論んでいそうである。「軍隊（Forces）」という言葉が使用されたり、プロテウス号は軍事兵器を連想させがちだし、クライマックスに登場する「白血球」は作品で「怪物」というふうに呼ばれたりもする。

　けれどもこの作品は、そのような図式それ自体を拒んでいる。「はだかの太陽」のようなむきだしの光とは別種の、もっと非暴力的な間接照明のような光を求めている（註９）。『ミクロの決死圏』は原題をFantastic Voyageといい、軍事的作戦というよりは、アミューズメント・パークのアトラクションとでもいった雰囲気を作品世界に湛えている。「ミクロ大」にまで縮小された乗組員たちが注入された科学者の体内で対面するのは、「エキゾチックな大水族館」（p.150）であり、最終目的地である大脳に入ると「なんという素晴らしさだ。造化の妙の極致だ」（p.292）という言葉が、乗組員の一人から洩れもする。プロテウス号は、軍事兵器としての潜水艇よりは、ディズニーランドの「ジャングル・クルーズ」のボートにずっと似ている。

　クライマックスの脱出劇において、粉砕されたプロテウス号の残骸を体外へ運び出すことに協力者としての役割を担うのが、「怪物」として乗組員たちから恐れられる「白血球」である。この大がかりな脱出劇は、「傷に反応するように作られた、原形質の自動機械」（p.318）としての「白血球」の特性が利用される。だから、彼らの作戦は、医学（善）が病（悪）を無理やり抑え込むといった軍事的戦略ではなく、あくまでもエコロジカルな発想、方法に基づいているのだ。

　この手のストーリーのお約束である敵方のスパイが仲間の中に紛れ込んでいるが、この人物も「小説に出てくるような悪玉」ではなく、科学を軍事的支配から守ろうとした共感すべき人間として扱われている。軍事的政治的には「どちらも勝たせたくない」という欲望の力が、この作品には働いている。この救出劇の任務の指揮をするのは、「Combined Miniature Deterrent Forces（総合ミニアチュア統制軍）」という名の団体である。「Forces（軍）」が「Miniature（ミニアチュア）」と巧みに戯画化されている。縮小された軍隊が、原寸大に膨張することこそが、この作品の真の敵というべきである。じっさい脳に傷を負ったベネシュ博士の体内で、プロテウス号および乗組員たちがタイムリミットをオーヴァーし「膨張」することによって、ベネシュ博士の肉体を破壊してしまうか否かに、この作品のサスペンスがかかっている。

　科学者たちが「平和利用」としてこだわる「無制限縮小法」が、国家間の「膨張」を巡る競合に対する批判的な喩えともなっていることが『ミクロの決死圏』という作品に読めるとすれば、銀河帝国を舞台とした一連の作品（「ファウンデーション」シリーズやベイリとロボットたちが活躍するＳＦミステリ・シリーズ）には、「膨張」運動を是とし、その運動のリズムに積極的に同化しようとする欲望の力が感じ取れる。それは、ナショナリズムとしての国民国家の創設発展が、帝国的な勢力拡大へと膨張するさまに対応している。

　『鋼鉄都市』に始まるロボット・シリーズは、純粋娯楽のミステリとして読まれがちだが、政治的経済的闘争のドラマが物語の中心的な核となっていることは明瞭である。日本史の文脈でいえば、幕末の開国派と鎖国派の争いから、近代日本の日清・日露戦争へと膨張してゆく物語を見るようだ。アメリカ史の文脈でいえば、商工業（北部）と農業（南部）の対立から勃発した「南北戦争」を経て、対外膨張政策（「米西戦争」など）へと転換していく流れである（一九世紀末から二〇世紀前半への世界史の流れである）。

　『鋼鉄都市』においては、植民事業推進派とそれに反対する「懐古主義」派の対立があり、推進派の刑事が反対派の犯人に勝利するという政治的寓意が語られる。「なぜ前進しないのだ？」とベイリ刑事は回顧主義者に問い質すが、この飽くなき前進運動は、増殖（膨張）することが唯一の目的である資本の特性そのものに由来している（註１０）。不健康なまでにポジティヴな帝国主義病は、アシモフの宿痾といってよく、ロボット・シリーズの最終作『ロボットと帝国』において、地球が放射能によって滅亡する危機を故意に回避しなかった理由をジスカルドという名のロボットは次のように語る。

〈人口緻密な巨大世界、地球を抹殺することは、わたしがすでに危険であると感じていた神秘主義的崇拝熱も消滅させることになり、そしてセツラーに新しい活力をあたえることになるのだから、彼らはこれまでより二倍も三倍も速いペースで銀河系にとびだしていくだろう、そして――いつも振りかえってみる地球というものがなければ、過去という神を祭りあげる地球がなければ――彼らは銀河帝国を築くだろう。それを実現させることが必要なのだ〉（下巻p.329）

　ジスカルドの判断によれば、「地球人とセツラーは、地球の神聖と不可侵性に、神秘的な、非理性的とすら思われる信頼をおいている。この神秘的な崇拝は彼らの進歩にとっては致命的なもの」（p.271）ということになるが、このような見解は、ベイリの「懐古主義」に対する態度と同じである。さらにはジスカルドやベイリの精神傾向は、ハーディンの「きみたちは前向きに働くことを考えたことがありますか？」（『ファウンデーション』p.84）という台詞や『第二ファウンデーション』における発言者の「かれらは自己推進的でなければなりません」（p.191）という言葉とも呼応しあうものである。そしてまた、『はだかの太陽』の末尾で、ベイリは次のようにも語る。

〈ぼくはあなたに聞いていただきたい。われわれが袋小路から抜け出せる道はたった一つしかありません。それは外へ、宇宙への道なのです。あそこには百万の惑星があり、宇宙人が占拠しているのはそのうちたった五十です。かれらは少数で、寿命が長い。われわれは多数で、寿命が短い。つまり、探検や植民にはかれらよりわれわれのほうが向いている〉（p.348）

　ここでベイリは宇宙空間におけるフロンティア開拓競争に積極的に加担する決意を語っている。国民国家の発展（ここでの文脈においては地球の宇宙進出）のリズムとベイリ自身の個体としてのリズムの幸福なまでの同調ぶりが実現されている。自己の推進運動とそれを担う「主体」たちの展開する競争によって成長発展してゆくのが新進の国民国家の姿であるが、じっさい、事件の解決が地球の国家的危機を救うことに相即するベイリを主人公とするＳＦミステリ・シリーズにあっては、ベイリの社会的な身分は「Ｃ‐５級刑事」から、事件解決の度ごとに、「Ｃ‐７級」へと階級上昇を果たし、最終作の『ロボットと帝国』においては、地球的英雄として祭り上げられるまでにいたる。

　このような行け行けリズムに楽天的に乗れるのは、アシモフの世代的特徴のひとつといえるだろう。いわゆる「黄金の二〇年代」を幼年期に体験し、恐慌後の混乱を経て、一九三九年には「ニューヨーク万博」に昂揚したアシモフの世代は、アメリカの拡大発展と個人的な子供としての成長が一致しえた世代である。アシモフの個人的体験は、筆者にも、なんとなくわかるような気がする。筆者は、一九七〇年の大阪万博の昂揚を子供の時に体験した世代の一人である。当時は水前寺清子の「三六五歩のマーチ」が時代のＢＧＭの主調音であった。この曲を聴くと、今でも、思わず握り拳を固めている自分を発見する。大阪万博では、岡本太郎の「太陽の塔」がシンボルとなっていたが、これは（新）左翼の側からは評判が悪かった。端的に言って、「太陽」は帝国主義やファシズムのシンボルである。銀河帝国の紋章が「宇宙船に太陽」なのは、当然なのである。

　国家的英雄ベイリ刑事を絶えず誘惑し、影響を与え続けるのも「人類を外へと誘いだそうと宇宙に高くかかげられたのろし火」としての太陽である。ベイリの眼の前に「広々とした宇宙」が「自由への予祝」として広がっている。主体を圧倒する無限が、太陽の光に満たされた「からっぽの空間」として顕現する。ベイリは「無限」と対峙する主体の自由に酔いしれるが、彼の手にする「自由」は「魅惑」であると同時に「恐怖」でもあるという両義的な性質のものである。「自由」とは、本来、そういうものだ。「自由」が内包する「恐怖」に打ち克ち、主体の勝利を更新し続ける歩みが「近代」の、そして「グローバリゼーション」という時代の歴史的発展だといえる。

　「広場恐怖症」に苦しみ、直射日光を直視した直後、失神せざるを得なかったベイリは、恐怖を克服し、「からっぽの空間」と「戦う」決意を固め、国家的プロジェクトの中心にその決意を据えようと思う。「そして一世代、三十年ほどでわれわれはふたたび宇宙へと乗り出していくのだ」「それから息子のベントリイ、もう十七歳だ。あいつの息子が十七歳になったとき、ベンはどこかのからっぽの惑星の上に立って、広々とした人生を築きはじめているだろうか？」（p.351）

　ベイリは地下の「鋼鉄都市」を「子宮」と呼んで、一貫して、非難し続ける。ベイリは、アシモフがそうであるように、コスモポリタンとしての自分を疑うことはない（註１１）。ベイリのようなコスモポリタンは、グローバリゼーションのような巨大な均質化運動に難なく同調する資質に恵まれているが、その時見失われるのは、近年よく言われるように、「中間的な集団・領域」におけるパブリックかつパーソナルな体験である。ベイリは、「子宮だ」「懐古だ」と一方的に難じて、個体を苛酷な形ではなく健全な形で育成する契機を人生から追放してしまう。けれどもそのような中間領域におけるプライベートな（かつパブリックでもあるような）体験が、国家という巨大すぎる太陽の光から、存在を保護し、かつ養分を与える機能を果たすものなのである。

　ところで太陽のような強大な光が世界を満たし（支配し）尽くしてゆく過程において、国民国家に作用する資本が大きな力を発揮する一方で、科学技術の力もまた、世界を光で満たそうとする。

　（註９）この作品が書かれた同時期に泥沼化していたヴェトナム戦争に対するアシモフの嫌気が反映しているようだ。「私が〝つまらない不名誉な戦争〟といったのは、まさにヴェトナム戦争のことであり、アンギン公の殺害についてのフーシェの有名な警句〝これは犯罪にも劣る、致命的な間違いだ〟を、みんなに繰り返しつづけたものだった」（『アシモフ自伝Ⅱ』上巻p.442）

　（註１０）「サブプライム・ローン」破綻後の異常としか言いようのない原油や食物価格の高騰は、資本の増殖（膨張）衝動をグロテスクな姿であらわしている。「子供は成長しなければならないが、大人になっても成長したがるのは、一種の病気だ」とだれかが言っていた。

　（註１１）アシモフのコスモポリタン気質は、彼の美質のひとつである。偏狭な民族（人種）主義から、アシモフが生涯免れ得ていたのは、この美質ゆえである。アシモフはユダヤ系であるが、ユダヤ主義には批判的であった。「反ユダヤ主義」によるユダヤ人の不当な扱いについて議論される会合の中で、アシモフは「そのとおりですが、その種のことは、どこにでもあることです。われわれ白人が黒人をいかに虐待しているか、考えてごらんなさい」と、正当にも発言している（『アシモフ自伝Ⅰ』上巻p.371）。その一方で、アシモフは後で述べるように、コスモポリタン気質とは矛盾するような側面も、持ちあわせている。

　（「アシモフの二つの顔――ファースト・ヴァージョン（４）」へと続く）

（２００９・８・１）

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