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　「アシモフの二つの顔――ファースト・ヴァージョン（２）」

２　夜の崩落に抗って

　二〇世紀前半の少年時、ＳＦという新興ジャンルに夢中になり、やがて大学生になると、自らもそれを創作する側へとまわり、そのジャンルの勃興に多大な貢献を果たしてきたアイザック・アシモフは、ＳＦ界の重鎮としての地位をほぼ手中に収めた一九六〇年代後半、「ニュー・ウェーヴ」と呼ばれる新しい世代と遭遇し、これに反発を覚える。ボストンで開催されたＳＦファンによるコンヴェンションにおいて、アシモフは、「この傾向に私は反対する。私はサイエンス・フィクションを読みたいのだ。サイエンスが欠けたサイエンス・フィクションは、サイエンス・フィクションではないと思う」と、かなり強い非難を含んだ発言をすることになる。「ニュー・ウェーヴ」とて、アシモフが非難するようには、「サイエンス」を欠落させているわけではなかろうが、忖度するに、アシモフが口にする「サイエンス」とは、比喩的にいえば、「昼の側の秩序」というようなものなのであろう。

　「ニュー・ウェーヴ」を代表する作家バラードの『結晶世界』の第一部は、「春分」というタイトルがつけられていて、その第一部の中で、登場人物たちは、「夜と昼の長さが同じになる日」であるところの「三月二十一日」当日にあたる場面で、「夜」と「昼」のどちらを選ぼうかと、充分に余裕のある態度で語り合うのだが、作品の最終章にいたって主人公は、知人宛ての手紙の中で「太陽そのものが風解し始めたのにちがいありません」という言葉を語ることになる。世界の崩壊に、心身ともにほとんど同調する主人公と彼の不倫の相手である女性は、次のような歩みを、彼らの人生において、全うしようとするだろう。

〈二人にとってのあの森の意義というのは、二人のいずれにとっても、心の中のアンバランスを――春分の暗い側へとかしいでゆく二人の傾向を――最終的に解決してくれる唯一のものは、あの水晶世界の中にしか見つからない、ということにほかならなかった〉（p.239）

　アシモフが本能的に忌避するのは、『ファウンデーション』に登場するミュールが体現するような、秩序からの逸脱や秩序の崩壊といった「夜」の露呈（合理性の崩壊）であろう。だから、「ニュー・ウェーヴ」のような不健康な連中がのめり込んでしまう「春分の暗い側へとかしいでゆく二人の傾向」を目の当たりにすると、「夜の秩序とばかり戯れていてはいけない」と、思わず顔をそむけずにはいられないというわけだ。そしてまた、ここには、アシモフ（一九二〇年生まれ）とバラード（一九三〇年生まれ）との間にある世代的な体験の差異もあるように思える。

　なるほどアシモフは、ソビエトからの移民であり、ブルックリンでけっして裕福とは言い難い生活を強いられた一種の苦労人だが、進歩主義に対する揺るぎない信頼が、その生涯を貫いている。イギリスの有名なＳＦ作家のアーサー・Ｃ・クラーク（二〇〇八年三月一九日没）もまた、アシモフと同世代の一九一七年生まれなのだが、彼らには、世界は建設的に発展する（せねばならない）というポジティヴな生存感覚が身に沁み込んでいる。クラークの代表作『幼年期の終わり』は、「ヒューマニズムの終焉」といふうに語られることもある作品だが、あの作品では、ヒューマンな「善」の価値観はいささかも疑われてはいない（善と進歩を維持するために超人間の登場が要請されさえする）。人類の上位に位置すると設定されている「オーヴァー・ロード」にしたって、善意に満ち満ちており、これっぽっちの悪意も感じられない。『幼年期の終わり』で描かれるのは、「人類の終焉」ではなくて、「人類の幼年期の終焉」なのである。この作品の結末後に想定されているのは、「人類の青年期」や「人類の成人期」であり、人類の進化の一本道は、無傷のまま温存されている。

　彼らに対して、バラードは、十代前半という柔らかすぎる感性を身にまとっていた時期に、上海において戦争を深刻な形で経験してしまった。世界の崩壊に目を背けることなく、それを通して、生と死の実相をつかみ取ることのうちに、バラードの文学の営みがある（いくぶんか「死」へと傾きすぎるきらいはあるとはいえ）。

　そもそも世界は、「夜」ばかりからでも、あるいは「昼」ばかりから成り立っているのでもなく、「夜と昼の長さが同じ」であるような、どちらか一方が選択排除されるのではなく、両者ともどもが肯定されるべき差異としてあるのが、世界の具体的な姿であるだろう。このことは、マジョリティーのみに世界が属し、マイノリティーにはごくわずかな権利のみが許されて世界があるわけではない、ということと同義である。バラードが「夜」の方へとかしいでゆくとするなら、アシモフは、「昼」を志向し、「夜」に対しては恐怖のみを喚起される存在といえるかもしれない。アシモフを一躍有名にした出世作「夜来たる」は、「昼」しか存在しない世界を舞台にしていた。

　舞台となるラガッシュという惑星は、太陽を六個携えるがゆえに、夜を知らない。そのような特殊な性格の天体に「二千四十九年ごと」に「日蝕」が訪れる。日蝕の周期に歩調を合わせるように、ラガッシュの文明は「文明の絶頂にある時に火災で灰燼に帰している」ことが、考古学の調査から判明する。

　ＳＦ史上に燦然と輝く「夜来たる」は、よく知られるように、この作品が発表されたアスタウンディング誌の編集長ジョン・キャンベルがアシモフに提案したアイデアをもとにして創られた。キャンベルは、エマーソンの「自然論」の中の「もし星が千年に一度、一夜のみ輝くとするならば、人々はいかにして神を信じ、崇拝し、幾世代にもわたって神の都の記憶を保ち続ければよいのだろうか」という一節を示したのである。「夜来たる」は、「夜」や「闇」への恐怖をテーマにしているというよりは、正確には、「星」という未知なるものとの遭遇によって、「昼の秩序の風景」を支えてきたラガシュにおける共通感覚が、大きく揺さぶられる様子を、緊迫感あふれる筆致で描いた作品なのである。

　共通感覚の動揺は、風景の変化として経験される（たとえば、三万にも及ぶ無数の星の出現のような）。「夜来たる」の背景には、アシモフ自身が蒙った時代の風景の劇変がある。一九二九年十月二十四日の「暗黒の木曜日」に端を発した世界恐慌による一九三〇年代の混乱状況が、「夜来たる」（一九四一年発表）には刻印されている。

　「夜来たる」は、冒頭から、異様に浮足立った雰囲気に包まれており、「六個の太陽の中で、空に残っているのはベータだけ」（p.17）という状況である。一触即発直前の空気の中で、誰もがぴりぴりしており、新聞記者セリモンは、「民衆の怒りが形を変えて大変なことになるかもしれません。なにしろ、ご存知のように、この二カ月来、景気は落ち込む一方です」（p.19ー20）と警告を発する。ベータが沈んだ後に、天文台へと通じる道を埋め尽くす群衆の「黒々とした塊」の不気味な姿も、三〇年代の不穏な空気を生々しく伝える（註６）。

　一九四二年に第一話が発表されたファウンデーション・シリーズもまた、そのような状況と無縁ではない。資本主義の危機としての世界恐慌から世界大戦へと至る歴史的状況において書かれた初期ファウンデーション・シリーズは、作品における「銀河帝国の崩壊」と同時代の現実世界の未曾有の大混乱を反映対応させている。世界恐慌後の三〇年代の混乱を乗り切ろうとして、世界各国がとった政策は経済のブロック化であった。植民地や各地域を巻き込み、一大経済圏を作り上げ、ブロックごとに崩壊からの防御を図ろうとした。当時の日本も、満州・中国を相手に「円＝ブロック」を行った。それは、イデオロギー的には「大東亜共栄圏」として謳われ、統合体としての「帝国」の勃興を目指す。ハリ・セルダンのファウンデーション設立（帝国再建）も、このような時代の空気への鋭敏な対応を反映している（註７）。

　一九三七年に書き始められたクラークの『銀河帝国の崩壊』も、アシモフと同じような危機意識を共有している。『銀河帝国の崩壊』の原題はAgainst the fall of nightであり、一方、アシモフの「夜来たる」の原題はNightfallである。『銀河帝国の崩壊』の主人公アルビン少年は、作品の終末部で次のように想念する。「アルビンはだまりこんで、みずからが構想した、しかし、決して見ることはないかもしれない未来を見詰めていた。人間が、この世界の再建にいそしんでいるとき、この船は、かなたの銀河のあいだに横たわる暗黒のなかを突き進み、また帰って来るのは数千万年も先のことだろう。そして、船が帰って来たとき、自分はきっとまだ生きていて、それを出迎えるだろう」（p.205）この引用部の少し後の箇所では「朝の光」（p.206）という言葉も読まれるが、クラークもアシモフも「朝の光」への意志を、強靭なまでに保持している。「世界に対して責任を負う」という高貴なる者の責務としての観念に、彼らはいささかの照れも感じることはない。

　父や祖父そして祖先たちが、わたしたちのために築きあげ守り通してくれた世界は、いまや崩れ落ちようとしている。べつだん義理や負い目を後ろめたさとして負っているわけではないし、誰に頼まれたというわけでもないのだが、自発的に責任を背負うことを引き受けて、いま一度世界の秩序を回復させることに、おのが青春を賭けてみよう。バラードのような作家にはなく、アシモフやクラークのような作家にはある世代的な美質とは、そのようなものであろう（註８）。

　（註６）ファウンデーション・シリーズのそこかしこで見られるように、大衆の動向が状況の行く末を左右する大きな要素であることを主要な登場人物たちが自覚しているのは、アシモフが二〇世紀の世界状況に敏感であることの証左である。第一次世界大戦時に群衆状況を体験し、その後一九三八年のヒトラーのヴィーン入城に戦慄を覚え、それらの体験を踏まえて、「群衆と権力の研究に没頭した」というエリアス・カネッティ（一九八一年ノーベル文学賞受賞）とアシモフは、同じ危機意識を共有している。群衆状況は、ＳＦで度々取り上げられるテーマであり、『盗まれた街』（ジャック・フィニイ）のような「ボディスナッチャー」ものは、そうした系列といえよう。ミュータントが群衆の中を逃げまどう『スラン』（ヴァン・ヴォクト）もまた、群衆（mass＝塊り）への恐怖の感覚を鮮明に描き出していた。

　（註７）この時代のアメリカは、ローズヴェルト大統領によるニューディール政策導入で、危機を乗り切った。それは自由主義経済政策とは異質の、国家が経済に積極的に介入して、景気や国民生活の立て直しを図る政策だった。これは、同時代のイギリスの経済学者ケインズの革新的な経済理論（『雇用・利子および貨幣の一般理論』）に対応する。一九三四年にワシントンにやってきた時、ケインズはローズヴェルトに彼の政策をさらに推進すべきことを力説した（ハイルブローナー『世俗の思想家たち』参照）。ケインズ、およびローズヴェルトの姿は、セルダンのイメージとダブって見える。アシモフは、ローズヴェルトの熱烈な支持者だった。「私はローズヴェルトを見放したことは、一度もない。彼の選挙によって私は〝ニューディール派の民主主義者″となり、以後その立場に疑念を抱いたことはない」（『アシモフ自伝Ⅰ』上巻p.151）。笠井潔もまた、「心理歴史学」とケインズ派経済学の同型性を指摘している（「銀河帝国の社会学」p.198）ただし、アシモフ自身は経済学は自分の肌には合わないといっている。「まったく恥ずかしいことに、私には経済学が理解できず、教師が何と説明しようと無駄だったのだ」（『アシモフ自伝Ⅰ』上巻p.171）

　（註８）「クラークと私は驚くほど共通の魅力を持ちあわせているのだ。彼の本を読む者はかならず私のものも好きになるようだし、その逆も成り立つのである」（『アシモフ自伝Ⅱ』上巻p.103）と、アシモフは書いている。彼らのような倫理的柄の大きさを、日本ＳＦの第一世代に属する小松左京も持ち合わせている。小松作品は、純文学の「第一次戦後派」（世界を倫理的に問う文学）に相当する。小松自身、「第一次戦後派」へのシンパシーを語っている（「わが読書歴」）。一九七〇年代後半からは、「第三の新人」（「意味」には背を向けて個人的な享楽を優先する文学）的なものが優勢となり、八〇年代の日本のカルチャー・シーンにおいては、ついに、「第三の新人」的な軽い文化が覇権を握った。

　（「アシモフの二つの顔――ファースト・ヴァージョン（３）」へ続く）

（２００９・７・３）

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