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　「アシモフの二つの顔――ファースト・ヴァージョン（１）」

１　夜明けの太陽と帝国の太陽

　アシモフを読むことは、二つのタイプの美質に魅了されることだ。ひとつは、夜明けを信じるアトラスと呼べるような、崩壊に瀕する世界を頑強な背骨で支えて、世界の再興に全力を注ぐ大人の男の美質である（註１）。もうひとつは、幼少年時の途方もない幻惑の体験の価値を信じ、常識の体系など知らぬかのように、たとえば父親の目を盗んでＳＦ雑誌に読みふけることのかけがえのなさに殉じて恥じない、痛ましさと甘美さを併せ持つ熱狂状態にある少年の美質である（註２）。

　このことはＳＦの二つの美質に相当するのかもしれない。恐ろしいほどの魔力を秘めたサイエンス・テクノロジーを、それにふさわしく管理操作し、調和と進歩のヴィジョンに基づいて、全人類のための公的秩序の建設に奉仕することは、ＳＦの良心的な側面であろう。けれども、人間という複雑な生き物は、公的存在であると同時に私的存在でもあるのであって、文学（フィクション）としてのＳＦは、常識の秩序に抵触するのかもしれないが、魂を戦慄させることを通して世界を開示してみせる、あくまでも個人的な幻惑の体験をも肯定するだろう。

　公的な価値と私的な価値という相反し、時には矛盾することもあるだろう二つの世界のはざ間で、絶妙なバランスをとりながら人の生は営まれるのだともいえるが、アイザック・アシモフという作家には、複数の勢力の力関係に対する明晰な判断力が、文学者らしからぬほどに、備わっているという印象がある。社会的責任を背負ったベイリ刑事が公的な視線を掻い潜って、愛する女性との密会という私的な事情をちゃっかりと押し通すように（『ロボットと帝国』）。そしてまた、ファウンデーション設立発展の立役者サルヴァー・ハーディンやホバー・マロウが、それぞれ市長や貿易商人といった現実的な散文精神の持ち主であったように。

　ハーディンにしろマロウにしろ、彼らは、自分および自分を取り巻く世界の状況を、明確におのが視界に収めうる健康な瞳の持ち主たちである。その明視力が発揮されるには、世界は透明に澄み渡っていなければならない（あるいは「世界は見透かせる」という信念がなければならない）。そしてまたそのような世界が安定して存在するには、しかるべき価値の秩序に則って世界は律されていなければならないが、そうした世界秩序の在り様は、「宇宙船に太陽」というシンボル・マークによって表象されるものであろう。

　「銀河百科辞典」に伝説的な人物として記録される以前の、まだ田舎出の無名の数学者にすぎない三十二歳のハリ・セルダンは、首都トランターでおこなわれた数学者の大会での論文発表によって、時の皇帝クレオン一世の関心を引く（『ファウンデーションへの序曲』）。皇帝の拝謁要求を伝えに目の前に現れた若い士官の制服の上着の左側の上で、セルダンの瞳を打つのが「〝宇宙船に太陽〟の精巧な紋章」（上巻p.20ー21）なのである。

　このいかにも輝かしいエンブレムは、「銀河帝国」を舞台とする物語群のところどころで登場するのだが、「太陽」は、多くの文化においてそうであるように、共同体を安定させ、その平穏を保つ権力の建設的な側面を、誇らしげに肯定する象徴である。『宇宙の小石』の主人公ジョゼフ・シュヴァルツ老人が、その特異な能力によって、銀河帝国の危機を救った功績に対して贈られるのも、「太陽」がデザインされた紋章である。

　〈その勇敢な行動はいまは政府当局から公式に認められ、彼のポケットの中には第一級の〈宇宙船と太陽〉勲章が入れられていた。生前にそれをもらった者は、銀河のあらゆる世界の中で二人しかいなかった〉（p.345）

　「隠居した仕立屋にとっては異例の栄誉」である「〈宇宙船と太陽〉勲章」の授与とともに、『宇宙の小石』の世界は、秩序の回復の中にハッピー・エンドをむかえる。いささかの疑念も差し挟む必要がないほど、太陽と幸福は、堅く手を結びあっているかに見える。

　けれども、そうたやすくは帝国の太陽と折り合いをつけずに、それが隠蔽している欺瞞を嗅ぎつけ、それとは別にある価値観を守ろうと行動する人物たちが、アシモフ作品には登場して、作品世界に厚みと広がりを付け加えるのである。例えば、帝国の抑圧に苦しむ最下層の人々の側につく地下組織のリーダー、ダヴァンや、彼のことを慕う不良少年レイチからは、「宇宙船に太陽」の紋章は、「太陽印」というふうに侮蔑的なニュアンスをこめられて呼ばれている（『ファウンデーションへの序曲』）。また、トランターと敵対するサークに「根が生えるほど」長く住んでいるトランター大使のアーベルは、自室の書斎で、次のように自分の心の内を確認する。

　〈アーベルはそれを望んでいた。五百年前なら、四百年前なら、いや、二百年前でも、彼はトランターに反対したであろう。いまわしい、唯物主義的で好戦的な民族の不愉快な故郷、他の星の権利を無視し、他の星の人間を下等な奴隷とすぐ考えるくせに、本国では、中途半端な民主主義を振り廻す、貪欲きわまりない、あのトランターに、彼は反対しただろう。しかし、すでに歴史は作られてしまっているのだった。
　彼はトランターのやり方に賛成ではなかったが、トランターによって代表される全面的な平和を求めていた〉(『宇宙気流』p.103)

　「大使」という職業柄にふさわしく、理念や正義にこだわるよりも、現実に存する力の均衡関係において、ことの判断をアーベルは求めようとする。完全無欠な正義の実現ではなく、あくまでも「より少ない不正義」を妥協基準とすることが、アシモフ的責任者にとっての現実的な正義の理念形なのである。であるがゆえに、クレオン一世暗殺後の権力の空白期間に樹立された軍部による暫定政権を自壊に導くべく、セルダンがテナール将軍に人頭税の導入という政府にとって致命傷となる「おかしな考え」を吹き込んだ時、その危険性に抗議するレイチに対して、セルダンは「人死にが少なくなるよう」な形で秩序を無秩序から守るのだと言明するのである。

　アシモフ的正義は、崩壊への抵抗という形をとって発露する。だから、それはあくまでも防御的な自己保存という形態に納まっているのが最善のスタイルなのであり、太陽の攻撃性を模倣することは、できることなら避けておくのが望ましいのである。アシモフ作品における責任感ある男たちの美質は、あくまでも「守る人」であり、自分たちを「攻める人」に仕立て上げようと必要以上に欲望する時に、その美質を失う（註３）。

　攻撃の機先を奪い取り、ひたすら守ることを強要しにかかる「ロボット工学の三原則」もまた、その規則に縛られるロボットたちを、先鋭的なまでに「ディフェンダー」に仕立て上げる。数あるロボットたちのエースに相応しいダニール・オリヴォーが、ヒューミンなる謎のジャーナリスト（帝国の宰相エトール・デマーゼルとの二役を兼ねる）として、セルダンの前に登場する『ファウンデーションへの序曲』において、彼は銀河帝国の崩壊の混乱を最小限にとどめるべく、セルダンを訓育し、かつセルダンを援助する。「銀河帝国は、死にかかって、います」（上巻p.88）とセルダンに告げ、セルダン自身がその可能性を信じていなかった「心理歴史学」を完成型へと導く重要な役割を担っているのがダニールである。

　ダニールは、セルダンが活躍するはるか以前の時代には、地球の刑事イライジャ・ベイリとコンビを組んで、難事件の解決にあたる。事件の背後には、必ず銀河系の覇権を巡る勢力争いが存在しているが、事件が落着する度に、作品で強調されるのが「太陽」という表象なのである。『鋼鉄都市』では、「地球を出る」ことが称揚され、『はだかの太陽』では、やはり、「人類を外へと誘いだそうと宇宙に高くかかげられたのろし火、輝きわれわれを見おろしている裸かの太陽」（p.353）が、作品のエンディングを不気味に輝かせる。また、『夜明けのロボット』では、ダニールの良き相棒である非ヒューマノイド・ロボット、ジスカルドが、最後の最後に次のように語る。「さようなら、フレンド・イライジャ。これだけは憶えておいてください。〝夜明けの世界〟という言葉を、人々はオーロラに対して用いますが、いまこの時点から、地球こそ、まことの〝夜明けの世界〟だということを」（下巻p.339）

　アシモフのＳＦミステリというジャンルでは、事件の謎という夜の闇が、太陽の光によって暴かれ、事件の解決は、即、作品世界における政治的争いの決着とも重なり、「光が闇に勝利する」＝「善が悪を打ち倒す」＝「フロンティア精神としての夜明けの登場」というストーリーがなぞられる。アシモフのＳＦミステリは、松本清張の作品のように、「夜のメロドラマ」を歌い上げることはない（註４）。『アシモフのミステリ世界』の中で強調されるように、アシモフにとってＳＦは、ミステリと同様、合理精神の原理の上に構築される物語であり、物語内容もまた合理性の勝利に貢献するものなのである（註５）。アシモフが正統派のＳＦ作家であると同時に、正統派ミステリの書き手であることは、必然的な結びつきなのだ。「正統派ミステリ」に対するオルタナティヴである「アンチ・ミステリ」の精神からは、アシモフは遠いところにいる。だから、アシモフのニュー・ウェーヴＳＦへの反発は、ごくごく自然な反応といえよう。

　（註１）アトラスは、ギリシア神話に登場する神の一人で、罰として、天空が落下しないように、天をその巨躯で支えている。ガストン・バシュラールは、そのようなアトラスの姿を「アトラス・コンプレックス」と名づけて、次のような美しいイメージを描き出す。「こういう指摘にはすべて、アトラス・コンプレックスと命名できそうな、無意識のコンプレックスを構成する種々の要素が作用していることがわかるであろう。このコンプレックスは、目ざましい力への愛着と、また――非常に独特な性格であるが――非挑戦的な途方もない力、いいかえれば隣人を手伝うことしか要求しない力への、愛着を表わすものである。そのため頑丈な粉ひきの男がその驢馬をかつぐにいたるのである。この方向をたどれば、重荷を共にかつげという教訓を与える、苦痛軽減、相互扶助の隠喩がすべて見出されるであろう。しかし、他人を助けるひとは強いからであり、自己の力を信じ、力の国のなかに住んでいるからである」（『大地と意志の夢想』p.359）

　（註２）成人になってからも、現実感覚を放棄し、無意識のうちに敗北を選んでしまう側面をアシモフは残していた。一九四七年のアメリカ化学会の職業紹介所で、アシモフは魔が差してしまった自分を肯定してしまう。「私は、時を選ばず高邁な理想に拠ろうとする例のアシモフ的高揚のもとで、身上書と適性を書きこんだカードに、まったく不必要な注釈をつけ加えた。「原爆に関連のある仕事には興味なし」」（『アシモフ自伝Ⅰ』下巻p.194）

　（註３）『ファウンデーション対帝国』に登場する宮廷の鼻つまみ者の軍人、ベル・リオーズもまた「守る人」と呼べるかもしれない。クレオン二世は「あれは奇妙な先祖返りだ」と言い、内務秘書官ブロドリッグは「かれは過去に生きております。古代を、というよりはむしろ、古代はこうだったという神話を、夢見ている男でございます」（p.51）と言う。リオーズは、ファウンデーションと敵対する旧帝国の美徳を守ろうとした。彼もまた、一人のアトラスである。

　（註４）例えば『砂の器』は、ハンセン病と犯罪をメロドラマ的に結びつけることで、「闇の抒情歌」というものが、強度を放っている作品である。ミュールの物語（『ファウンデーション対帝国』第二部）では、アシモフはダーク系の歌を歌う気配を、若干垣間見せた。「しかし、〝ミュール〟はけっしてヒトラー的人物ではない。それどころか、この小説の筋の運びは、まさに〝ミュール〟がまったくの悪党ではないということに基づいているである」（『アシモフ自伝Ⅰ』下巻p.107）

　（註５）『アシモフのミステリ世界』の「序」で、アシモフは「科学それ自体、推理小説とごく近い関係にあり、科学者はシャーロック・ホームズによく似ているのだから」と述べている。同書にはデビュー作「真空漂流」が収められているが、この作品では宇宙で遭難事故にあった乗組員たちが、科学的論理思考によって、窮地を脱する様子（合理性の勝利）が描かれている。

　（「アシモフの二つの顔――ファースト・ヴァージョン（２）」へと続く）

（２００９・６・４）

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