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  「原っぱと文学」

 個人史と呼ばれる時間の移ろいにおいては、いくつかの節目が存在するものだが、私にとって、1969年はそうしたもののひとつとしてある。この年に私は幼稚園を卒園し、小学校に上がるのだが、そのこと以上に、自分の周囲の風景の劇変がこの年に起こったのである。

 「風景の劇変」とは、具体的には、「原っぱ」の消滅である。幼稚園児の頃は、よく遊んでいた自宅のすぐ近くのいくつかの原っぱや空き地が、凄まじいスピードで、次々と消滅していったのである。空き地と言えば、定番の土管が横たわっていたが、私は空地よりは原っぱの方を好んだ。二束三文のほとんど価値のないような雑木林が、宅地開発により、切り取られ、後に寒々とした更地が出現する光景に出会うことがあるが、空地にはあのシラけた感じがつきまとう。人工的な児童公園というやつにも、そのような味気なさがある。

 原っぱには空間にグラデーションがある。それがいいのである。視界が遮られる感じや、空間の濃淡のアクセントがついている感じが、ワクワク感を甘美なまでに刺激してくれる。遊園地のお化け屋敷もまた、前方の見えなさというところに肝がある。原っぱに生い茂る植物の草丈と子供の身長の微妙なバランスの関係が、視界を魔術的に染め上げる。植物に囲繞される感じと見上げた先に空が見える解放感の種々の感覚の魅惑的混ざり合いが原っぱの醍醐味である。

 子供のころ私が特に強い印象を受けたのは、玉川上水沿いに住んでいた遊び友達の家の前にあった壁で囲まれた聖地のような趣のある広大な原っぱであった。自分の身の丈を超えるこの「壁」の記憶ははなはだ曖昧である。気がついた時にはすでに存在していたようにも思うし、あるいはそれ以前は子供らに開放されていた原っぱが、ある日突然、コンクリートの壁によって立ち入りすることができなくなってしまったような記憶もある。おそらく後者ではなかったかと思う。

 当時私たちのあいだで、はやっていた遊びはヒコーキ飛ばしである。自分たちで紙ヒコーキを作るというのではなく、玉川上水沿いにあった駄菓子屋で5円で売っている(後に10円に値上げされた)機体と翼のセットを買って、自分で組み立てるのである(組み立ては機体の差し込みぐちに翼を通すだけ)。機体の先っぽに銀メッキ状の重りがつけられていて、翼には零戦や隼などの戦闘機のイラストが描かれている。好きな戦闘機を各自の好みで選択できるようになっているところがミソ。機体の重りによって、紙ヒコーキでは味わえないダイナミックな飛行が実現された。飛ばす角度や力の入れ加減によっては、空中で3回転ぐらいしながらヒコーキを飛ばすこともできた。

 けれども高度経済成長期の付随現象としての宅地開発のとばっちりをくらって、ヒコーキを自由に飛ばせる空地や原っぱがどんどん少なくなり、道路で遊ぶしかないような状態に追いやられてしまった。道路で力いっぱいヒコーキを飛ばせば民家に飛び込んでしまいかねず、私たちは恐々と遠慮がちに飛ばさざるを得なくなった。そんな頃、私と同じ年の遊び友達は、彼の兄とその友人の4人で、壁の向こうの禁忌の原っぱへ潜り込み、思いきりヒコーキを飛ばすチャンスに恵まれた。すでに小学生であった友達の兄と彼の友人は、壁を乗り越えて、件の原っぱを探索しまくっていたようだ。背の届かない幼稚園児である私たちは、その日、年上の2人に下から塀の上に押し上げてもらい、塀の向こうの世界に侵入することができた(壁の上から飛び降りる時はそこそこ度胸がいったが)。

 壁を乗り越え、目の前に植物の生い茂る広大な景色を見た時は、足もとから高揚感が立ち昇ってくるのがわかった。不当にも奪われていたワクワク感を取り戻した喜びに体が痺れるようだった。年上の2人は、40メートルほど左前方の草叢を指さしながら、「あのあたりで青大将を見たから、あそこまでいくのはヤバいぜ」と大人びて言う。トカゲやカナヘビならいいけど(その頃は空地の石をひっくり返せば、2,3匹のカナヘビは見つけることができた)、ヘビはいやだなと思いつつも、私たちは久しぶりにヒコーキを思い切り飛ばすことの喜びに没入した。調子に乗って3回転飛行を繰り返すうちに、濃い草叢にヒコーキが入ってしまい、失くしてしまった。避暑地や田舎ではなく、身近なところで開放感溢れる原っぱを体験したのはこの時が最後ではなかったか。

 私の同級生らは、潜在的に、原っぱへの飢渇感を有している者が多かったらしく、小学校に上がっても、どこそこで魅力的な原っぱを発見したという情報が流れると、早急に原っぱ探検隊が結成され、放課後に徒党を組んで自転車でその地を目指したのだった。この斜面のスリリングさは完璧だといっては、40度はある傾斜地を駆け降りることを飽きもせず繰り返し、「幽霊屋敷を発見した」「怪しい影を目撃した」「冷気を感じた」という情報には、天にも昇るほど興奮させられた。このお化け屋敷騒動には、私はほとんど発情した。水木しげる原作のテレビ番組でしか見ることのできなかった怪異の世界が、とうとう自分の体験につけ加えられる瞬間がやってきたと、股間を膨らませるような勢いで、私は仲間たちと自転車を走らせた。目の前にあったのは、柱と屋根からできたような藁ぶき屋敷の骨組のような建造物だった。壁が無いぶん、開放的で、陰影に乏しく、妖気は皆無で、むしろ明るかった。「クロネコの1匹でもでてきやがれ」と思ったが、それもなかった。「こんなガセを流したのはだれだ?」と腹立たしくてしかたなかった。「アザミ畑」発見情報というのもあったが、これはヒットで、ビニール袋を持参し、アザミのとげとげの実でビニール袋をいっぱいにしたこともあった。

 いささか導入が長くなってしまったが、本題に入ると、私は「ジュヴナイル」という物語群が好きで、このジャンルの作品は、「原っぱ感覚」といったものにその存在基盤を置いているのではないかと思うのだ。『トムは真夜中の庭で』『秘密の花園』など、大人の公的空間とは異なる場所が重要な役割を果たしていた。『トムは真夜中の庭で』においては、預けられた親戚の家の古時計が13時の鐘を打つのが合図となって、懐かしきヴィクトリア朝の庭園が出現する。「秘密の庭園」「13時」に象徴される、近代の空間・時間からはみ出した様態が、「幼少年期」という特殊な時間帯と重なり合う。

 『十五少年漂流記』は原題を『二年間の休暇』といい、『ツバメ号とアマゾン号』に始まるアーサー・ランサムのシリーズ物も少年少女らの夏休みの冒険を生き生きと描いた作品である。さらにつけ加えるなら、『クローディアの秘密』という作品には、「夜の博物館」が登場し、天沢退二郎の『光車よ、まわれ!』にも「夜の図書館」が魅惑的に登場する。閉館後の夜の博物館も図書館も経験したことはないが、それらは夜の校舎にも似て、アドレッセンスの湿り気を帯びた甘美さを湛えているようだ。

 似たような体験の最初の記憶は、幼稚園の頃にあった。私が通っていた幼稚園では、年長組の夏休みに「お泊り会」という行事があって、夏のある日に集団で幼稚園に泊まりがけを行うのである。夕方の4時頃という通常とは異なる時間に幼稚園に出向いて、一泊し、翌日の昼過ぎに解散するのである。教室にあるいすや机を壁際に積み上げ、できあがったスペースに布団を敷いて寝室代わりに使った。いつもとは違う教室の風景は新鮮だったが、それ以上に印象的だったのは、寝る前に洗面と歯磨きをしに行った時に水飲み場から見た夜の幼稚園の庭の風景だった。昼間のそれの空気感とはまったく異なる感触に軽い戦慄にも似た胸騒ぎを覚えた。体の奥底で浪立つざわめきには甘美で危険な香りがある。日常の平衡感覚を失う時の危うさと体の芯を痺れさせる火照りがある。

 ところで『光車よ、まわれ!』の冒頭には、ジュヴナイルものの多くの作品がそうであるように、手書きの地図のイラストが掲げられている。私は書物に登場する「手書きの地図」というやつには弱いのだ。手書きの地図には、世界と少年(少女)の身体とのエロティックな交感の気配のようなものが感じられる。ドライバーが利用するようないわゆるマップの機能的だが、無機質な感触とは異なる、固有な身体が感受する固有の体験の息づかいが手書きの地図には触知される。

 佐藤さとるの名作『だれも知らない小さな国』にもまた、作品の舞台となる「鬼門山」といずみの周辺の手書きの地図が、冒頭に掲げられている。『だれも知らない小さな国』という作品は、原っぱに恋してしまった一人の男の物語である。戦争が始まる前に、小学校3年の主人公は、偶然発見した小山といずみのある風景に強く惹かれる。「ふいに、そこへ出たときの感じは、いまでも、わすれない。まるでほらあなの中に落ちこんだような気持ちだった。思わず空を見あげると、すぎのこずえの向こうに、いせいのいい入道雲があった」終戦後、勤め人となった主人公は、この風景を「自分のものにしたいという気持ち」に忠実に従おうとする。青年となって、再び訪れた小山の草の上に寝転びながら、主人公は小山の誘惑に全身を開ききり、幸福と受難が同義語であるような領域へと運ばれてしまっている。「世の中ははげしくうずをまいて動いているのに、ぼくと小山は、そこからはみだしてしまったように、静かだった」このようにして、復興期を駆け登る戦後の日本の時間から、彼は「はみだし」ながら生きることになるだろう。戦後の土地開発による小山の消滅の危機を防ごうとして、彼は異人であるところのコロボックルたちと協力し合いながら、開発推進派と戦うことになる。

 産業意識に染め上げられた世俗的な時間から、倒錯的なまでにはみだす受難者たちを描かせたらピカイチの作家の代表格といえば、スティーヴン・ミルハウザーであろう。例えば、中編「アウグスト・エッシェンベルク」を、私は恋愛小説として読んだ。アウグストは14歳の誕生日に、「市」のいかがわしい出し物「魔術師コンラート」のテントへと入り、ぜんまい仕掛けのパフォーマンスの魔力に致命的なまでに魅せられてしまう。この場面をミルハウザーは、濃密な筆致で描き出すのだが、私はそれを「人が恋に落ちる瞬間」の場面として読んだ。

 「あのくすんだ緑色のテントの中の数分間こそが、ぜんまい仕掛けの芸術に対する自分の情熱を生んだのだ、とアウグストはその後ずっと考えることになる。そもそもこの時点ですでに、「ぜんまい仕掛けのおもちゃ」という言い方は彼には耐えがたいものになっていた。なぜなら、そういう名で呼ばれる、多くの人々に愛されるたぐいの玩具は、いままで彼の心の琴線に少しも触れることがなかったからである。ぜんまい仕掛けの手品師はバター作りの娘よりもはるかに高等であり、ほとんど別世界の住人と言ってもいいくらいなのだ。その別世界に、その別世界にのみ、アウグストは恋焦がれた。まさか彼が一生それから卒業しないことになるとは夢にも思わず、父のヨーゼフは息子の新しい趣味を応援してくれた」

 この瞬間以来、アウグストは時間錯誤者としての人生を、栄光と悲惨を同じ身ぶりで演じながら生きることになるが、のちに青年となった彼は次のような感慨を抱く。

 「彼は自分が時代遅れだと言われるのも、時代に属していると言われるのもひとしく嫌だった。自分の芸術はそういう問題とはまったく無関係だと彼は思っていた。それらの問題は、彼にとって何よりも大切なことをいっさい無視してしまう、漠たる脅威にほかならなかった。大切なのは、ある日くすんだ緑のテントにいた自分の内部で何かがぱっと輝き、以来それがいまだに消えないという事実なのだ」

 『だれも知らない小さな国』の主人公や「アウグスト・エッシェンベルク」の主人公が生きた固有な時間のことを思う時、「グローバリゼーション」と呼ばれる巨大で均質的な時間への防御=抵抗のヒントがあるようにも感じられるが、話が大仰になるので、このへんでこの原稿を閉じることにする。

(2008・11・3)
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