高校生の時にたまたま用いていた国語の問題集は、今振り返ってみると、なかなかユニークなものであったと思う。その問題集のタイトルも、編纂者の名も、出版社も、どれひとつとして覚えてはいないのだが、ある確固たる文学的な嗜好性が、意図せずに、滲み出ているようであった、と記憶している。
小川国夫の「アポロンの島」が、教材として採用されていたりして、「アポロンの島」に見られる、中途半端な抒情を非情なまでに排した、美学的意志を感じさせる透明な文体に、新鮮な驚きを覚えたものである。「アポロンの島」をはじめとする、いろいろと刺激的な教材群(谷川俊太郎の名作「ネロ――愛された小さな犬に」が収められたりしていて、今思うと、なかなかハイセンスなセレクションだった)のひとつに清岡卓行の『アカシヤの大連』があった。
清岡卓行は、2006年6月3日、間質性肺炎のため、惜しくも死去した。清岡についての文章を2006年以内には書こうと思いながら、ずるずるとここまで先送りになってしまった。ところで高校生の私が読んだ『アカシヤの大連』の文章は、次のようなものであったと思う。
「ある種の青春は、いつかしら急激に、より強く、しかしまた同時に、より優しく生きようとしはじめて、そこに生じる自他の利害のどうしようもない矛盾に、何かのきっかけから異様に悩むものである。その悩みは、時として、生きるということ自体に、行動的にではなく、夢想的に、べつなふうに言えば、日常生活的にではなくむしろほとんど形而上学的に傷つくところまで行きつく」
「しかし、そうしたのどかな雰囲気に溺れている場合、以前と変わったことは、どこからともなく、大きな寂しさ、あるいは深い虚しさのようなものが、背後から彼に襲いかかってくることであった。それは日常的な理由のない離群への拒みがたい誘惑ともなった。彼は結局、周囲との和やかな生活の繰返しに妥協することができなくなり、その孤独な憂鬱ばかりが、徐々に、しかし確実に、その度合を増していたのである」
こうした言葉を引き写しながら、高踏派的なナルシズムに、いささか鼻白むところがあるが、当時はそれまで出会ったことのない散文のスタイルに目を瞠ったものである。とりわけ「彼」という人称の使われ方は、強烈な印象をもたらした。ある種の知見なら、書く「私」と書かれる「私」の分裂というような言い方で注目する書くことの根源にある分裂の次元を、この「彼」という人称は見事に照らし出していた。私は『アカシヤの大連』において出会った「彼」という人称によって、「超越性」の次元に目覚めさせられたと思う。大学生になると、私は「批評」というジャンルに強い興味を持つようになるのだが、そのきっかけは『アカシヤの大連』の読書体験にある。清岡作品の魅力は、「批評」と「詩」の緊張に支えられた官能的な結合にある、と私は思う。「氷った焔」という戦後詩を代表する第一詩集の表題は、緊張の極限(氷)と官能の極限(焔)を、その中間(凡庸)の状態を抜かして結びつけていて、青春の潔癖な側面を見事に言い当てている。「青春の潔癖」といえば、ある人々は、『二十歳のエチュード』のことを思い浮かべるかもしれない。
じっさい、清岡卓行は、『二十歳のエチュード』に神話的にその名が登場する人物その人であり、すなわち『二十歳のエチュード』の作者原口統三の旧制一高の先輩である。清岡作品の透明な抽象性は、彼の故郷である植民地「大連」、および旧制高校の精神的風土からきている。旧制高校的なものに親近感を抱けるのは、私の世代がぎりぎり最後の世代かもしれない。私が「旧制高校的なもの」を「旧制高校」として意識したのは、中学生の時に北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』を読んだ時であった。北は旧制高校の世界に憧れて、旧制松本高校に入学したのだった。北が所属した卓球部の活動ぶりに笑わされたが、北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』に描かれた旧制高校の世界に、私は「性善説」の生きた世界を感受していた。旧制高校的な「性善説」や「理念」が生命力を失うのは、『どくとるマンボウ青春記』が読まれなくなる80年代からである。
「性善説」については一先ず措くとして、清岡の肉感的な「超越性」について触れてみたい(ところで超越性は肉感的でなければ、十全な超越性とはいえないだろう。この点を人は誤解している。凡庸な認識は超越性を、無機的なものとして、平板さの中に閉じ込めてしまう)。小林康夫は、絵画論『青の美術史』の中で、「青は超越の色」と語ったが、清岡にとっても「青」は特権的な色である。
わが罪は青 その翼空にかなしむ (「空」)
戦慄的なほどに完璧な一行である(「ネット」という性格上、横書きにしたが、少々間抜けな感じである。私が参照している『円き広場』では、当然、縦書きで、これが正しい表記であることは間違いない。この作品が潜在させているテーマの「垂直」の佇まいが、横書きでは消されてしまう)。平板な超越性であるなら、「青」は「罪」とも「かなしみ」ともむすびつかないはずである。この世の約束事に逆立するというかたちで、真の(肉感的な)超越性は現象する。「青」とは「空」という超越的(と思われている)な場所で、その超越性の運動(例えば「翼」の打ち羽ばたき)を発揮するわけだが、「海」もまた、清岡にあっては、運動を束縛しつつ運動のエネルギーを内向させ妖しい力を充填させるような魅惑的な場所である。
見よ
鏃(やじり)にわが紫の血は塗られぬ
いづこに向きて
このかなしき矢を放たむ
非力の腕(かいな)に 狙はむ空の
涯しなく青かるを
唇かみて
なほ遥かに望むべし
いかにせむ わが生ひ立ち
ましろき矢は
むなしく海に堕ちむ (「矢」)
「わが紫の血」とは、いうまでもなく、「わが罪」の「青」とほぼ同質のものであるし、宙を切って飛んでゆく「矢」は、空を羽ばたく「翼」の運動を模倣している。「ましろき矢」は、空の青さを体現する以前に、「むなしく海に堕ち」るとされているが、海の底の静けさは、空の青さが垂直に落下する場所でもあるのだ。
刀を見たり
蒼く深き怒りを見たり
われとわが身を投げむ海のごとく
そが底ひなき誘(いざな)ひ
わが胸にしばし騒めき
そが鋭き切先に
風絶ゆる遠き空より
凍れる虹のごときもの
さと きらめき落ちぬ
刀はよきかな
刀見て腹切らむと思へり (「刀」)
「刀」の立ち姿といったものをほぼ完璧に模倣しつくした超越的な精神に、頭上の「遠き空」から「凍れる虹のごときもの」のような神聖な力が、事件として、強度として、天空から海底への垂直軸を、世俗的な地上への怒りのごとく、一瞬のうちに走りぬける。「きらめき落ちぬ」という詩句は、「詩」と「存在」の遭遇でなくしてなんであろう。最後には「切腹」のイメージが登場するが、この「切腹」のなんとエロティックなことか。神的暴力(強度としての「詩」)は、神話もどき(地上の「物語」)を超える、という見本のような作品である。「社会」を超えた「世界」に触れる体験は、「青」の誘惑に応えるところからきている。「青」に打たれることが、詩の発生の条件であることを、知識としてではなく、肉体的に察知し、それを引き受けた詩人に谷川俊太郎がいる。
空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通つてきた明るさは
もはや空へは帰つてゆかない
陽は絶えず豪華に捨てている
夜になつても私達は拾うのに忙しい
人はすべていやしい生れなので
樹のように豊かに休むことがない
窓があふれたものを切りとつている
私は宇宙以外の部屋を欲しない
そのため私は人と不和になる
在ることは空間や時間を傷つけることだ
そして痛みがむしろ私を責める
私が去ると私の健康が戻つてくるだろう (『六十二のソネット』 41)
谷川俊太郎は、高校生の私が、清岡卓行と同様、ひりつくような感覚とともに読んだ詩人である。「青の抒情」といったものが、自分の存在感覚の中心部にあるのは、だから、確実と言えるが、この感覚はおそらくオールド・ファッションなものとはいわないまでも、ある時点から社会の中では退行していったものだろうと思う(いわゆる「動物化」の問題)。大学生の時に、同級の女生徒と喫茶店で話していた時に、たまたま谷川俊太郎の話題となり、「え?谷川俊太郎のこと知ってるの?」と、互いに顔を見合わせたことがあった。変な比喩になってしまうのだが、谷川俊太郎(および「現代詩」)の読者であるということは、当時の文化状況からすると、今の「アキバ系」のような扱いを受けるところがあった。だからその時も、そうとは口に出さなかったが、「お互いマイノリティーで苦労するね」みたいな負の連帯感が生じそうになり、そうしたことは当時は恥ずかしいこととされていたので、さりげなくその話題から離れることに2人で暗黙の協働体制に入ったような記憶がある。
最後に清岡卓行の奇跡のように美しい作品「石膏」を取り上げる。
氷りつくように白い裸像が
ぼくの夢に吊されていた
その形を刻んだ鑿の跡が
ぼくの夢の風に吹かれていた
悲しみにあふれたぼくの眼に
その顔は見おぼえがあった
ああ
きみに肉体があるとはふしぎだ
★
色盲の紅いきみのくちびるに
ひびきははじめてためらい
白痴の澄んだきみのひとみに
かげははじめてただよい
涯しらぬ遠い時刻に
きみの生誕を告げる鐘が鳴る
石膏のこごえたきみのひかがみ
そこにざわめく死の群のあがき
★
きみは恥じるだろうか
ひそかに立ちのぼるおごりの冷感を
ぼくは惜しむだろうか
きみの姿勢に時がうごきはじめるのを
迫ろうとする 台風の眼のなかの接吻
あるいは 結晶するぼくたちの 絶望の
鋭く とうめいな視線のなかで
★
石膏の皮膚をやぶる血の洪水
針の尖で鏡を突き刺す さわやかなその腐臭
石膏の均整をおかす焔の循環
獣の舌で星を舐め取る きよらかなその暗涙
ざわめく死の群の輪舞のなかで
きみと宇宙をぼくに一致せしめる
最初の そして 涯しらぬ夜 (「石膏」)
はじめてこの作品を読んだ十六か七の頃、崇高的な官能美(あるいは官能的な崇高美)といったものに、思わず息を飲んだ。この世にはこんなにも美しいものがあるものか、とかけがえのない驚きにうたれた。これほどの作品を自分は書けそうにないとも思った(詩人を目指したことは一度もないが)。
第一連第一行の「氷りつくような白い裸像」という詩句が、前回の原稿(「阿久悠作品私的ベスト10および極私的芸能論(3)」)で触れた資生堂のCM「ゆれるまなざし」の窓ガラスごしの真行寺君枝の姿とダブることに気づく。第二行では「ぼくの夢に吊されていた」という言葉が読まれるが、やや上方を見上げる視線の先で、見る者の動きを奪いつつ見る者の心に官能の炎の熱量を充填させてゆく、距離の彼方で招く姿が「石膏」と冬の風景の中の真行寺と重なり合うのだ。
「氷りつく」ような白さに同化していた「ぼく」の無時間的な夢の世界に、新しい時間(それは赤味を帯びているものだろう)が導入され、「ぼく」に純粋な強度としての驚きをもたらす。「ああ/きみに肉体があるとはふしぎだ」その瞬間生命の鼓動が脈打ちはじめる。「ひびき」や「かげ」のおとずれとなって。それはとりもなおさず、「愛」という意味の萌芽、いいかえれば意味の原初の力が開示される瞬間でもある。「きみの生誕を告げる鐘が鳴る」
ラストの三連は「赤」の信じ難い氾濫である。「石膏の皮膚をやぶる血の洪水」「石膏の均整をおかす焔の循環」日常の「白」を超えた極北の「白」から、これまた日常の「赤」を超えた危険すぎる「赤」への劇的な変貌は、美しすぎる神話の力を漲らせ、臨界点ぎりぎりのところで作品の均整を保っている。この作品には「白」と「赤」という極点しかないのだ。凡庸な(美しくない)散文性をこの作品の中に見出すことは難しい。
批評家の宮川淳は、オルフェのイメージに託しながら、「非日常から日常への帰還」という意味のこと(「出口について」)を述べているが、この作品に描かれた「白」と「赤」の祝祭は、あくまでも「非日常」の領域に属している、と私は思う。最終連の「ざわめく死の群の輪舞」、「宇宙」、「最初」の「涯しらぬ夜」といった言葉は、非日常的な出来事を指し示している。「日常」は、「最初」の神話的な力が治まり終息した後の、白茶けたような「生活」の時間の中から開始されるものだ。
この作品は1954年に発表されたが、超越的な力(「空気を読め」という空気を切り裂く力)への感度が失われ、消滅していってから久しい。
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