Be curious!


目次 A.文学系 B.サブカル系 C.ノンセクション D.どうでもいい話 Abou me
 

  「ハイカルチャーとサブカルチャーの行き違い」

 柄谷行人が1984年に発表した評論「批評とポスト・モダン」は、次のような一節で締めくくられた。

 「ポスト・モダンの思想家や文学者は、実はありもしない標的を撃とうとしているのであり、彼らの脱構築は、その意図がどうであろうと、日本の反構築的な構築に吸収され奇妙に癒着してしまうほかない。これを消費社会のせいにすべきではない。日本の消費社会こそこのせいなのだ。日本の自然=生成に揺さぶりをかけない思想は、制度的である。依然として、われわれは「一人二役」としての<批評>を必要とする」

 ここでは「思想家や文学者」などのハイカルチャーの担い手たちが批判されているが、私がこの評論を読んだ当時に思い浮かべたことは、柄谷行人(や蓮実重彦)を参照しているらしいサブカルチャーの担い手たち、とりわけ広告文化人たちは、この評論を読んでどういう感想を持つだろうか、ということだった。私自身は、これによって、彼らは根本的な軌道修正を図らなければならないはずだと思ったのだが、その後も状況に変化がなかったところをみると、彼らは柄谷の批評を読まなかったか、読んでも理解できなかったか、あるいは読んでも読まなかったことにして自己批判や反省を怠ったか、のいずれかなのであろうと、「やれやれ」と不正を働いて開き直る政治家や官僚に対する一般国民のような諦めにも似た気持ちでいたのだった。

 蓮実重彦の名前が登場したのでついでに言っておくと、同じ年ではあるが、柄谷よりも少し前(1984年3月)に、論壇誌「中央公論」に原稿を発表していて、そこで蓮見は、サントリーの先進的な戦略を「文化のサントリー化現象」と呼んで、批判している。「事件としての他者性の抑圧は、たちどころに偽りの他者を啓蒙的な風土の最先端に生産する。そこでは教育とは無縁の、きわめて啓蒙的な文脈の組換えがすぐさま顕揚されることになるだろう。現在、あたりに流通しているもっとも口あたりのよい言説は、踏みはずしによる文脈の脱臼を啓蒙することでさえあるといえるだろう」「だが、啓蒙的であることをまぬがれ、真に教育的なコマーシャル・フィルムというものが存在するのだろうか。あるいはテレヴィジョンという媒体が、誘惑と快楽とは無縁のイメージしか生産しえないのだろうか。文化のサントリー化現象が二十一世紀を準備するには、この問いに答えることが先決である」

 けれども「この問い」に答える者は、あれから二十数年という時間が過ぎたというのに、広告文化人の中からは誰1人として登場しなかった。「事件としての他者性」とは差異の体験のことであるが、当時は差異のイメージによって差異の差異性が抑圧されていたことはいうまでもない。上の引用部で多少の説明をつけておくと、「踏みはずしによる文脈の脱臼」というのは、当時あらゆるものに優先されていた「変化球カルチャー」のことで、「はぐらかし」という言葉が盛んに飛び交っていて、まれに登場しそうになる直球勝負を挑む者は、いい笑いものにされていたのである。柄谷は「批評とポスト・モダン」の中でこの「はぐらかし」に触れて次のように言っている。「そしてその中でのはぐらかしに彼らと同じ意義を与えているならば、まったく滑稽であって、はぐらかしとはたんに率直にものをいう勇気の欠如とこずるさを意味するだけである」

 蓮実が「文化のサントリー化現象」と呼び、柄谷が「はぐらかし」と呼んで、斥けようとするものを、彼らと同時期に、松浦寿輝は、「なまぬるい楽しさ」と呼んで「本当の楽しさ」の復権を試みようとした。1985年に発表された「情熱について」というエッセイの中で松浦は次のように書いている。

 「しかし、こんなまわりくどい言い方をするには及ばない。こうしたものたちをひとことで定義するごく簡明な言葉があるからだ。それは「抒情」とか「才能」とか「革命」とかと同様に、今日では、疾走したり逃走したりの速度を誇っているカルイ連中からとことん馬鹿にされている反時代的な言葉なのだが、要するに、生ぬるい偽の楽しさをおのずから崩壊させてしまう事件の体験を指して、人はふつう情熱と呼ぶのである。サルトルのジャン・ジュネ論の全体がそれをめぐって旋回し、またゴダールがその悲劇的作品のタイトルに貸し与えた「パッション」の一語こそ、「軽さ」の時代の真の敵と言うべきである」

 松浦が言うように、「情熱」はあの時代、嬲り殺しにされていた。ファシズムの顔をしていないファシズムを、あの時代のサブカル文化人や広告文化人のふるまいから、私は学んだように思う。松浦は他のところで「われわれは、誰しも自分のうちに一人のムイシュキン公爵を隠し持っている。それは、<知>の届かない動物的な暗がりのなかで意味も目的も倫理も知らぬままうごめいている欲望の束といったもの、ヴァレリーが「錯綜体」という言葉で呼んだ運動する「第四の身体」といったもののことなのだが、テレビとは、こうした肉体の暗がりをクライのひとことで罵倒しさり、すべてをアカルイ表層へと引きずり出し貧しく平坦化する<知>の装置なのである」と書いているのだが、「貧しく平坦化する<知>の装置」こそファシズムとして機能するものなのである。だからこそ、全員一致のディスクールに対する非和解のディスクールが必要とされるわけだが(最終的には妥協のディスクールが目指されるべきである)、いまもなお、「異論反論」を封じ込めようとする広告文化人がいる。以前は「悪意万歳」とはしゃぎまわっていたものだったが。

 1985年ごろに一時的に起こった実に浅はかでくだらない文化現象に「悪意礼賛」というのがあった。出典は、蓮実重彦経由のジル・ドゥルーズである。「善意」の限界について、講釈をひとくさり述べ立てた後、悪口を言うことを根拠づけて、悪口を言いまくるというものである。これにサブカル文化人や広告文化人それにハイカルチャー文化人が乗ったのである。「今度は悪意が流行になるのかやれやれ」と、当時は慨嘆したものだった。私は、「悪意」も「善意」も肯定する人間だから、それはそれでかまわないとして、周囲に悪意をまき散らかしておきながら、いざ自分が正当な(悪意なしの)批判を受けると、ぴいぴい騒ぎ立てるというのは、卑怯すぎると思う。なんなのかね、あやつらは。ほんとにこずるい連中だよ。この頃はハイカルチャーとサブカルチャーが相互誤解を演じながら癒着をしていたというか、ミスリーディングな行き違いがあった。「僕は時代の感性を信じている」(浅田彰)という失言もあった。浅田のミスリーディングは、その後、田中康夫をはじめ、いろいろな面々から批判を受けることになる。

 例えば、サブカル文化人とともに、何かにつけて、無邪気に「悪意悪意」とはしゃぎまわっている浅田に対して、当時、蓮実重彦は「悪を貫くには徹底した暗さが要求されるはずだが、浅田にはその覚悟があるのか」と釘を刺したことがある(逆に言えば善を貫くにも徹底した暗さが要求される)。蓮見の言葉は浅田は理解しただろうが、サブカル文化人には理解されたのだろうか。

 上記の事柄は、ハイカルチャーにおいては、いわずもがなの常識ではある。例えば金井美恵子の小説「アカシア騎士団」には「地球の磁場、世界を支える南極と北極であった。おそらく、無垢と汚濁の極は同じような寒さを持っているのだろう。神と悪魔、王と非人は同一の存在なのだろう」という一節が読まれるのだし、小林秀雄は次のように書いた。「スタヴロオギンは、ムイシュキンに非常によく似ている、と言ったら不注意な読者は訝るかも知れないが、二人は同じ作者の精神の砂漠を歩く双生児だ。真反対の方向に歩き出して再会したのかも知れないし、「白痴」はエネルギイの不足した「悪霊」なのかもしれない」(「悪霊」について)

 ここ数年にわかに持ち上げられている「理念」の問題にしたってそうである。「カントのオートノミーは、なんていかれているんだろう。こんな「意志の自立をなせ」という無条件の命令に、「人間」が耐えられるはずがない」と杉田俊介は、カントの著作を読みながら慄然とする(「自立と倫理」)。カント的正義とサド的暴力が表裏一体であることは、ラカン派の精神分析哲学では常識である。

「カントの極度に抽象的な自立(倫理)が、それゆえに、そのままで主体の欲望の次元に関わることをフロイトが、悪の次元に関わることをラカンが洞察してみせたことは、よく知られている。極端な倫理への意志は、そのままで、サド的な邪悪さ、他人を傷つけ痛め続けることの享楽に地下水脈を通じているというのだ。アカデミックな哲学者のみならず、精神分析/政治学者/文学者などの多くが躓くように、あるいはカント自身でさえそこで躊躇しわずかに引き返したのかもしれないように、ここにはなおも不可解な躓きの岩がる」(杉田俊介「同上」)

 私が「理念」という言葉を積極的に発話することができないのは、上記のような事情があるからである(別の理由としては、理念というのは不可視の領域に身を潜めて主体に促しを働きかける無意識の力のようなものであって、それが可視化(実現化)されれば、それは理念としての力を失うというのもある)。いま現在「理念」という言葉を殺し文句のように発言する者の大半は、この言葉を用いることがイケてるイメージにつながるという時代の空気を察知して口にしているにすぎない。凡庸なコメンテーターたちとは違って、「理念」におけるカント/サド問題を正確にとらえているサブカルチャーの表現者の1人に松本大洋がいる

 例えば松本の長編作品『ナンバー吾』第8巻の81ページの右側のカットで、理念の権化たる王(ワン)=マイク・フォード・デイヴィスと邪悪の権化たるビクトル大佐が横並びに立つ姿が描かれるのだが、この絵は理念のおぞましい美しさを的確に表わしている。この作品は石森章太郎の『サイボーグ009』を先行モデルとする人造人間SFなのだが、その中心的存在マイクは「この星は僕が守ってみせる。そのために僕は生れた」と自らを規定している。けれども「その精神構造は人間の社会通念と大きく異なる」がゆえに、破局へと突き進まざるを得ない。「君の歪な才能はやがて大きな悲劇を生むよマイク」とは、マイク暗殺を任命されながら最終的には自殺することを選ぶナンバー2尚昆の台詞である。悲劇の種を蒔いた科学者パパとマイクが親子としての最後の場面で向き合い、理想と現実の妥協が、ある悔恨とともに、求められようとする場面は切ない(この後に続くマイクとユーリとの対決の場面はさらに切ない)。『ナンバー吾』のような深度と強度を持った作品と、マス・メディアにおいて出会うことは難しい。じっさいこの作品は、「イッキ」という知名度の低い漫画雑誌(スモール・メディア)で連載されていたのである。<

 私の考えでは、80年代におけるハイカルチャーとサブカルチャーの最大の行き違いは、「主体」を巡る問題にあった。ただし、正確を期するなら、80年代前半にはハイカルチャーとサブカルチャーが手を取り合って主体の芽を摘み取り、80年代後半に入ってハイカルチャー側が慌てて、特異性としてある主体の擁護にとりかかった(「オウム」には間に合わなかった)。さらに正確を期するなら、84年ごろには一部の文化人がサブカル側の「誤読」を訂正しようとしてはいたのである。

 すでに取り上げた柄谷行人の「批評とポスト・モダン」がそうであるし、蓮実重彦もまた、「テレヴィジョン番組「オールナイト・フジ」を低俗の一語で切り捨てて顔をそむけるのではなく、あくまでそれが表層化現象の不徹底な模倣、不徹底であるがゆえに実は表層化の名を借りた深層の擁護にすぎないとする視点の確立が必要なのである。悪しき表層化の指摘こそが批判の名に値するのであり、それはかつて『表層批評宣言』として実践してみせたものではあるが、表層化現象の急速な進展に伴い、その新たな再構築が試みられねばならない」と「中央公論」で書いていた。この時代のカルチャーの不幸は、サブカル文化人が参照していた元ネタをきちんと理解することができず、イメージのつまみ食いに終始していたことであった。80年代における「主体」とは、おおむね次のようなものであった。

 「村上の「僕」は、無意味なものに根拠なく熱中してみせることによって、意味や目的をもって何かに熱中している者への優越性を確保するといった姿勢において存する、超越論的な自己意識である。
 くりかえしていうが、これは国木田独歩以後の「近代文学」にあったものであり、その反復である。いいかえれば、「闘争」を放棄し且つそのことを絶対的な勝利に変えてしまう詐術の再現である。村上春樹は「内面」や「風景」を否定したかのように見える。しかし、実は彼がもたらしたのは、新たな次元での「内面」や「風景」なのであり、その独我論的世界が今日の若い作家たちにとって自明のベースになったのである」(柄谷行人「村上春樹の「風景」」)

 現在の「オタク」に通じるところがあるかもしれない。けれども決定的に違うのは、「オタク」は「意味や目的をもって何かに熱中している者への優越性」などいささかも狙ってはいない、ということである。むしろ無意味なものに熱中してしまう自分にひけめを感じている。そういった意味では「オタク」は謙虚な人種といえる。むしろ悪質なのは、「オタク」的な人間をスケープ・ゴートにして、自分は加害者の側に回ろうとする隠れオタクみたいな連中である。自分の弱さを隠蔽するために他者の弱さを声高く攻撃する者は、ファシズムの顔をしていないファシズム支持者である。80年代にはこういう連中がごろごろいて、「強気を挫き、弱きを助け」ようとする者を、嘲笑して攻撃した。現在の中学生の「いじめ」の起源は、80年代の隠れファシストにあるのではないかと思う。

 ところで「主体」の話題に戻ると、ハイカルチャー側とサブカルチャー側ではこの問題に対する応接の仕方が違っていて、サブカルチャー側の「主体」批判ないしは嘲笑は、結局は、主体にまつわる様々な機制に拘わることは面倒だから(重労働だから)、そこにある最も重要である「政治的な」ポイントをはずすという、とんでもない代物であったのである。ショボくさい「快感原則」を正当化するための手段に利用された。このことは、後に、「ニート」の大量出現という「負の遺産」を残した。平成不況期の一方的に被害者を演じる失業者に、私があまり同情的になれなかったのは、こうした背景がある。さんざんアリを馬鹿にしておきながら、冬になると、キリギリスたちは「政治が悪い。社会が悪い」と自分のことを棚上げにして、虫のいい発言を繰り返していたのである。この責任のかなりの部分は、団塊の世代に属するキリギリス系文化人にあると思えるが、彼らはむろん責任を取ろうとはしない。私も責任追及しようとは思わない。彼らの度し難いナルシズムには、もう匙を投げた。「ああはなりたくはない」と反面教師にするばかりである。今後右肩上がりの経済がさほど期待できない日本は、同じ過ちを犯さぬよう、しっかり記憶に留めておくべきである。

 さてハイカルチャー側の「主体」批判についてだが、政治的なポイントを鮮明に打ち出しているという点では、スガ秀美による議論を参照するのがよかろう。西欧を中心とした近代の発展の流れの中で、それと平行してある「植民地支配」の問題を視野に入れつつ、スガはサイードや竹内好を、「主体」問題の中心に導きいれる。スガは、名著『小説的強度』のイントロダクションにあたる部分で次のように書いている。

「東洋が主体化を敢行すること自体が、西欧の支配に組み込まれることになるのだ。サイードのオリエンタリズムへの批判はこの点に向けられている。それは、後述するように、東洋が東洋として自立(主体化)しようとする戦いではなく、主体化=オリエント化への永久的な抵抗という戦いのイメージに帰結していくだろう。それはまた、サイードがいかに違いを強調しようと、「啓蒙」という「大きな物語」への抵抗としてポスト・モダン戦略を提起する、リオタールの構えとも相即する面を持つのである」

 引用部を読めば一目瞭然なように、真の主体批判とは、「主体化=オリエント化への永久的な抵抗という戦い」のもとにあるものなのである。だからその主体批判の行為は、途方もない重労働を強いられることになるのだ。いうなれば、真の主体批判は主体の確立以上のエネルギーが必要とされるのだ(絶えざる緊張と覚醒を強いられるのだから)。それに対してサブカルの主体批判は、「主体の確立」はきつそうだからやだもん、楽して生きたいんだもん、という情けない代物だったのである。蓮実重彦風にいうならば、それは「不徹底な主体批判」「悪しき主体批判」だったのである。こんな低レベルの主体批判なら(じっさいそれはニートの大量出現にしかならなかった)、「より良く生きたい」という願望に淵源する主体の確立のほうがよほどましである。80年代前半においては、この「より良く生きたい」という願望は、周知のように、行くあてがなく、「オウム」のようなものに吸収されてしまった。「なぜ「より良く生きたい」という願いが犠牲にならなければならなかったのか」という悔しい思いが、80年代のことをふり返る時、私の胸を去来する。

 スガの主体批判は、「より良く生きたい」という願望すらも批判の射程に入れている。その願望は優秀な奴隷になることにしか帰結しないだろう、と。これに対しては、私は「社会の中で生きるということは、優秀な奴隷としてふるまうことであり、そのふるまい方の優劣が社会的評価というものだろう」とスガに反論しておきたい。世界経済に参入することはそのシステムの奴隷になることである。ちなみにスガはニートを支持していたように思う。ニートという立場は皮肉なことに、世界経済システムから落ちこぼれることによって、奴隷という立場を免れるのである。

 スガによって、サイードとともに参照される抵抗者のモデルである竹内好は、つぎのような存在として描かれている。「強者とは、「奴隷」が「主人」から後れてあることを回復しようとする時の意識だと言えようか。それは「弱者」としてのナショナリストたる中野や竹内のあり方とは、絶対的に隔たっている。中野重治や竹内好は、「ドレイ」であることをナショナリストとして甘受しながら、しかし、「後れ」を回復しようとはしない弱者なのだ。彼らは「後れ」を回復しようとしないことによって、強いのである」なるほどここに描かれた「ドレイ」は、ニートの姿と重なり合う。「「後れ」を回復しようとしない」「ドレイ」とは、世界経済システムに参加しようとしない(あるいはできない)ニートのことだからである。

 ところで、「「後れ」を回復しようとしない」という意志は、スガが絶対に手放すことのない「疎外論批判」の倫理と、完全に重なり合う。その倫理は、「本来性を目指すことはしない」という意志の中にあるからである。いうまでもなく、それは「主体批判」のポイントとも重なり合う。スガの読者なら知っているように、この倫理=意志は「68年の革命」に淵源する(後述するように、私自身は「革命」のことはうっちゃっている。精神分析学でいう「去勢」を受け入れている。私は「凡庸な善人」にすぎない。けれどもラカンやジジェクのいう「剰余」が、回帰してくるのであり、その「剰余」をうっちゃることが出来ないがゆえに、このような文章を書いている。この回帰する「剰余」に対して鈍感な人はいいなあと思う以上に、この剰余に敏感な人の数が増えればいいのにとひそかに思っている)。「68年の革命」は、同時代的には、「疎外論」として認識されていた。「小ブル急進主義批評とはなにか」と題された文章の中で、スガは次のように書いている。

「六八年革命は、その時代的な制約のなかで革命として表象された限りにおいて、疎外革命論あるいは「抑圧の仮説」(フーコー)を採用せざるをえなかった。抑圧され、疎外された人間性と世界の解放が革命と呼ばれるとすれば、それを担うのが詩であることは、ほとんど自明と思われたのである」

 『小説的強度』のスガ秀美であれば、「詩」ではなく、「小説」を重んじる。『小説的強度』と同じ年(1990年)に刊行された現代詩人論(『詩的モダニティの舞台』)では、「詩」を「散文」の方向で読もうとする視点が提示されたが、これもまた「疎外革命論批判」にほかならない。スガ秀美という書き手は、歌を歌わぬ(えない)不可能な詩人なのである。

 「小ブル急進主義批評とはなにか」の言葉は、80年代のサブ・カルチャー(スガはそれを「カウンター・カルチャー」と呼んでいるが、スガも認めているように、それには「カウンター」の政治性はなかったのである。そもそも当時は「政治性」そのものがダサいものとされていた)に好意的すぎるように思う。「八〇年代のカウンター・カルチャーにおいては唯一脱落することになる「現代詩」」ではなく、当時は広告のコピーがイケてる表現としてもてはやされていた。それは、俵万智の「短歌」がそうであったように、「大衆の歌」としてあった。吉本隆明も「広告批評」も、そのようなものとして応接していた。彼らに「六八年革命」の問題意識が欠落しているのは明らかではないか。

 「抑圧」と「主体」の問題に戻ろう。スガは問う、「抑圧あるいは疎外概念に依拠せずに、「革命」を遂行することは可能か」と。私の答えは「可能性は低い」というものである。「ニート」になにがしかの可能性を見いだすことは、私にはできない。ニートが途方もない量的拡大をするのなら、なんらかの影響を世界に与えることはあるだろう。たぶん悪い方へ。そしてまた、確実にいえることは、「抑圧」がなければ「主体」は成立しないということである。父の抑圧があった後に、子は「主体」として立ち上がってくるのである。スガが参照するヘーゲルなら、そこに主人と奴隷の対立を見るだろう。父(主人)と子(奴隷)の闘争劇が、疎外論的革命というものである。

 長くなりすぎているので、急ぎ足で書く。
 アナーキストのシュティルナーはアソシエーションを構想したが、その前提として「自立した個人=エゴイスト」の存在が不可欠であった。主体がなければ、アソシエーションもありえないのである。その主体が「奴隷」だというのであれば、主体は「奴隷」と「ドレイ」の一人二役を担えばよいだけの話ではないか。むろんニートとは比べものにならないくらいの重労働である(精神的に追いつめられているニートが存在しているのは知っているが、私がここで念頭においているのはアリを馬鹿にするキリギリスとしてのニートである)。「奴隷」と「ドレイ」の一人二役を担える主体の数が足りない、というのが私の印象である。

 断っておくが、私は社会に対してなんのビジョンも希望も持っていない。むしろ社会に参加すること(社会と折り合いをつけること)は、(パーソナルな)希望を断念することだと、思っている。「三方一両損」のような「痛みわけ」というのが、私にとっての社会のイメージなのである。「複数性の世界」とは、私にはそのようなものとしてしかイメージできない。痛みのない調和ある世界というのは、どこかに矛盾や葛藤を隠蔽しているのである。その矛盾や葛藤を梃子に世界を変えようとするのが「革命」ともいえるが、ここではそのことについては書かない。不快に耐えつつ、私は「去勢」を受け入れるものである。「去勢」を拒否して、社会にパーソナルな希望(欲望)を持ち込もうとすることも「革命」というものなのだろう。

 だから「寛大」というものを自らに強いている。それは自分の「免疫機構」の力を弱めて、異物を受け入れる不快を肯定することである。寛大という態度は「快感原則」とは対立するものなのである。快感原則に執着する人間は、免疫機構が強すぎる人間なのである(不快なものは排除するというのだから)。快感原則に執着する人間は、他者や異物を知らない。

 誰もが自分を損なわずにいられる世界というのを夢見ないわけではない。それは「アナーキズム」と呼ばれるものなのだろうが、「アナーキズム」が成立するには「人類全員が天才である」という条件がいる。しかしそれは「種」としての性質が変わってしまうような空恐ろしさがある(ポルポト派の人間改造のような)。

 このあいだテレビを見ていて吃驚したのは、政治の話題で(「無党派層」のことだった)、養老孟が「自分は1人1党がいい」と発言していたことだった。これって「アナーキズム」のことではないか。いつから養老孟は「革命家」になったのだろうか。私の養老観は、「論理というよりは直感の人であり、その存在感覚はあくまでも保守的(エドマンド・バークのような)なもの」というのであったのだが。まあ面白い人ではある。

 「議会制民主主義」というのは、「政党政治」であろうし、だから私は、英国のチャーチルの「民主主義は最悪だが、ほかに選ぶものがないのだ」という言葉に同意する。「快感原則」に「政治」が接続することなんて、だいたいあっていいものなのだろうか。よく「政治がつまらない。もっと面白くしろ」と発言する人を見かけることがあるが、政治の世界に「熱狂」や「興奮」が降りてくることは、ふつう、「ファシズム」と呼ばれているのではないのかね。実を言うと、私はそういう「陽気なファシズム」には親和してしまうのである(高度経済成長時代の子供だったから)。けれども「祭りごと」と「政治」は、分離しておいた方がいいと思う。また「弱者」を陥れ、「同化圧力」を強いてくるような「陰湿なファシズム」は、どうあっても認める気にはなれない。

 なんだか尻切れトンボであるし、いろいろと書き落としたこともあるが、このへんでこの原稿は終了とする。

(2007・3・15)
【このページのTOPへ】
 
| 目次 | A.文学系 | B.サブカル系 | C.ノンセクション | D.どうでもいい話 | Abou me |
Copyright © 2004-2012 -Be curious!- All rights reserved.
by Well-top