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  「最近の読書から(2)―『凍』その他」

 (2)『凍』(沢木耕太郎)

 大学生の頃、かろうじて存在していた活字好きの間では、やはり、W村上(龍・春樹)がダントツに人気があった。私も2人の本には目を通していたが、彼らよりも沢木耕太郎の方が私の贔屓であった。当時は彼の作品は全部読んでいた。少年劇画のようなテイストがあるのと80年代的なシニシズムをまったく感じさせなかったところに好意を持ったのだと思う。

 その頃『路上の視野』と題された沢木の初のエッセイ集が出された。いろいろと読み応えのある記事が満載であったが、なかでも印象に残ったものが2つあった。ひとつは沢木が中学生の頃「時代小説」に夢中になって、その体験を通して「負のヒロイズム」を幼い感覚に刻印したのではなかったかと振り返っていたことである(評論家の秋山駿は柴田練三郎の「眠狂四郎シリーズ」を「復員者の文学」と喝破している)。もうひとつは沢木の知り合いから「あなたの書くものは旧制高校的ですね」と指摘されたことがあるという話である。どちらも言い得て妙だなと思った。(いい意味で)古典的な好青年というものが私の沢木像であった。ちなみに沢木は寺山修二夫人から「コカコーラみたいな男」(「スカッと爽やか」ただそれだけという意)と揶揄されたそうである。80年代的というよりは70年代的な佇まいを沢木からは強く感じる。その傾向は彼の代表作といっていい『深夜特急』(86年刊)に結実している。海外(特にアジア)を一人で放浪するヒッピー的な振る舞いは、70年代の青年の制度としてあった。この本はやたらと面白く、若い人にはこの本を読んで(別に読まなくともいいが)、外国を若いうちに1人で旅してほしいと思う。

 20年ほど前にはそのように私は沢木のことを見ていたが、今もなお、私のなかには沢木というと「ロマン派歌人」というイメージがある。歌を殺すというよりは歌を擁護するほうにまわる書き手なのだ。現実の人間や事物のなかに「歌」を見い出し、旋律を調整し練り上げる。たぶんここには見過ごせない問題がある。現代思想でお馴染みの「表象」にまつわる問題だ(ここから「物語批判」が派生する)。教条主義といっていいほどに「表象」問題に過敏な評論家スガ秀美は、だから、今から10年程前に、沢木の作品『檀』を取り上げて、沢木が檀一雄夫人の内面を安易に表象していると批判したことがある。じつは私は『檀』は未読なのでこの作品については何も言えないが、一般論的にはスガの批判は正当である。ただ(スガも承知しているとは思うが)、歌には約束事としての歌とそれとは対立する差異としての歌の二種類があるのであり、現代文学プロパーの連中は後者のことをあまりに軽視しているきらいがあるように思う(そりゃあ、安易に歌に乗っかっちゃあいけないけどさ)。簡単に述べておくと、表象批判が表象と同様に「意識」に過ぎないのに対し、歌は「無意識」への通路を開くものとしてある。歌による意識への不意打ちが「出来事」と呼ばれるものである。むろん歌も言葉である限りは表象なのであり、それが「表象しえぬもの」に接近するには、言葉のリズムであったり、言葉の物質性であったり、行間から立ち昇る気配であったりという意味を越えるものの存在という条件が必要である。

 いささか長めに「歌」のことについて触れたのは、沢木の最新作『凍』を読みながら私はしきりに柳田國男の『遠野物語』のイントロダクションの次のような言葉を思い出していたからである。「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」

 『凍』は、一般的な知名度は低いが、その世界では神格化されているクライマー山野井泰史、妙子夫妻による2002年の遭難事件を扱ったノンフィクション作品である。この年彼ら2人は、ヒマラヤの高峰ギャチュンカンをアルパイン・スタイルで登ろうと挑戦する。アルパイン・スタイルとは、頂上を効率的に制覇することを目指す極地法や包囲法とは違って、「より困難なルート」を単独あるいは少人数で無酸素登頂を試みる方法で、先鋭的なクライマーたちに好まれている。言い換えれば「結果」ではなく、「過程」の美しさにこだわる人間に支持されるスタイルなのである。こうしたところにも山野井の特異性が顕れている。「結果」が平地人の属性だとすれば、「過程」はクライマー(山人)の属性であろう。平地人たる私は、山野井のクライマー人生(このあたりの叙述を妙子夫人のクライマー人生も含めて沢木は手際よく描いている)およびギャチュンカンにおける壮絶な戦いの記録を読みながら、結局のところ彼らの内面を理解することはできないだろうと感じていた。ただただ戦慄していた。

 前々から人間の個々人の違いというのは無意識の傾向の違いではないかと私は思っていたが、『凍』を読んで改めてそのことを意識させられた。私と山野井はそれぞれ異なる無意識を持っているということを、痛切に意識させられた。

 沢木は、彼らがなぜ山に登るのか、ということについてはいっさい書いていない。彼ら自身は「山を登るのが好き」という意味の発言はしている。しかしその言葉は何も語っていないに等しい。彼らとて言語化することはできないのだ。彼らは自分たちの無意識の声に忠実だったのであり、一般人の無意識のありようとは大きく隔たっていたということなのだ。

  最後に印象に残っていることを書いておく(「最近の読書から」と言いつつ、実際は昨年読んだので記憶違いもあろうかとは思うが)。

 ギャチュンカンの登頂後、山野井は「朝日スポーツ賞」と「植村直己冒険賞」を受けるのだが、私は本作を読むまで彼らのことはまったく知らなかった。その時の「朝日スポーツ賞」受賞者には、北島康介や丸山茂樹といった華やかな有名人が顔を揃えているのだが、一方の山野井はまったくの無名アスリートである。

 スポンサーをいっさいつけない山野井夫妻は、登山費用を捻出するために、奥多摩の家賃2万5千円の古家に住み、妙子の実家から送ってもらった米をかまどで炊き、近くの山で採ってきた山菜を煮炊きするなどして食費を節約する。登山の時間を確保するために定職には就かず、アルバイトで資金や生活費を稼ぐ。40歳過ぎのフリーターといったところであろうか。

 アルパイン・スタイルにこだわる彼らは、苛酷な試みにより、例えば妙子は手の指10本、足の指8本、そして鼻の頭を失う。一方の泰史もギャチュンカンの事故により、右足の指5本と左右の手の薬指と小指の計4本を切ることになる。その後山野井泰史はリハビリ・トレーニングを経て、2005年7月19日、粘り強い戦いの末に、ポタラ峰北壁の初登頂に成功した。

 本作によって、ほとんど知らなかった登山の世界についていろいろと啓蒙されたが、とりわけ興味深かったのは、「クライミング・バム」と呼ばれる若者たちの存在である。「バム」とは英語で「浮浪者、流れ者」を意味し、クライミング・バムとは、アルバイトのような仕事をしては金を貯め、金の続く限りクライミングをして暮らす生き方をしている者を指している。高校卒業直後に山野井は、当時世界のクライミング・バムたちのメッカであったアメリカのヨセミテに渡り、彼らと腕を競い合っていたのである。山野井は70年代ヒッピーの残党であろうか。山野井のそんな生き方に私は懐かしさを覚えてしまった。そっちの方には行きたくないのだが、そっちの方へ惹きつけられてしまう無意識の蠢きを自覚したことを告白しておく。

 本作の第七、八章が件の事故を描いているのだが、その迫力は凄く、これを読んだ当時病み上がりのせいもあってか、ホラー小説を読むような感覚を味わったのだった。


 (3)『いまどきの「常識」』(香山リカ)

 結構売れているらしい。その理由は私にはわからない。「可もなく不可もなく」というのが正直な印象である。たまたま今、香山と同年生れの佐藤優の『国家の罠』を読んでいて、佐藤が置かれている境遇のためか、生来の資質のためか、(佐藤の言い分の是非はおくとして)ぴんと緊張した精神が持続していて、それと比べると香山の弛緩ぶりは否めようもない。

 今現在「香山的なもの」が劣勢にあるので、あまり香山のことを批判したくはないのだが、ひとつ気になったことがあったのでそれについて書いておく。それは80年代を巡っている。

 私が香山に注目するようになったのは、98年の雑誌「文藝」における田中康夫との対談を読んで以来である。うろ覚えの記憶で書くことになるが、そこで香山は、80年代カルチャーは徹底して「意味」を馬鹿にしまくり、そのような状況の中でもなお「意味」を求めた若者がオウム真理教に向かったのではなかったかと、ひりつくような痛みとともに(私にはそう感じられた)語っていた(公正を期しておくと「意味」批判には権力をはぐらかす批評的意図があったが、結局はたんに楽をしたいという最悪のコンフォルミスムに行き着いてしまった)。ちなみにその対談で田中康夫は「DNAによって年収は決まる」とホリエモンより凄い発言をしていた。「さすがは『なんとなくクリスタル』のひとだ。今度はDNAのブランド化ですかあ」と暗澹としてしまった(今の香山はこれについて何かコメントしなくちゃいけないんじゃないだろうか)。ともあれ上記の香山の発言によって私は香山のことを信頼したのである。

 けれども本作においては、なぜか香山は80年代を素通りし、それどころか平然と誤認している気配すらある。香山は80年代からマイナー雑誌に文章を発表していたらしいが、私はその頃の香山の活動についてはいっさい知らない。

 私の考えでは、80年代に蒔かれた種が、蒔いた当人たちをも当惑させるような毒々しい花を咲かせ、実をつけたのが今現在の状況である。蒔いた本人たちは、悪いのは政治家や官僚であると、他人のせいにしている(自治体に対してアホな訴訟を起こしたヒューザーの小嶋じゃあるまいし)。

「以前に、中曽根が黒人のIQが低いという発言をして問題になったときに、テレビで景山民夫という男が、中曽根さんはほんとうのことを正直に言っただけだと言って、それが受けていました。ぼくはものすごく腹が立った」(『終りなき世界』における柄谷行人の発言)

 これが80年代の気分であり、水準であった。景山はすでに故人となっているが、彼が今生きていたなら「ヒューザーや東横インの社長たちはけしからん。ライブドアの堀江は許しがたい」と発言しているだろう(多くの80年代文化人のように)。1986年頃までは自民党とサブカルチャーは、ものの見事に通じ合っていたように思う。同じ頃同じく自民党議員たちが、「リンリ、リンリで飯が食えるか。鈴虫じゃあるまいし」「政治家に徳目を求めるのは八百屋で魚をくれというに等しい」という問題発言をしていたのだが、私はこれらの発言を聞いた時「サブカルチャーの言葉だ」と思ったし、その感想は今も変わらない。

 つい最近ライブドア問題で興奮していた頃、「額に汗して働くことこそが正しい」という言葉が飛び交い、さらには「アリとキリギリスという寓話がありますが、アリこそがあるべき姿なのです」という発言までもが飛び出し、私は笑うしかなかった。世界のいい加減さを前にしてはそれしか対応するすべはないだろう。80年代においてはアリは徹底的に貶められ、キリギリスこそがあるべき姿とされていたのだから。「夕焼けにゃんにゃん」でブレークしていた秋元康は、この頃、「努力する奴は馬鹿だ」と発言していた。秋元が真に骨のある男であるなら、今こそキリギリス礼賛をするべきであろう(脂肪のある男で終わってしまうのは秋元にとっても不本意であろう)。

 私自身はアリ派でもキリギリス派でもないけどね。私はどちらもありだと思っているし、平板な図式を作ってその上で自分勝手に酔っぱらう振る舞いに対しては不快感を持っている。私が養老孟司に(一目置きながらも)違和感を覚えるのは、「脳対身体」という平板な図式を真剣に信じて込んでいる様子だからである。

 ここで話は、しばらくの間、養老へと飛ぶ。

  養老の論によると「現代は脳化社会であって、ゆえに我々は身体感覚を取り戻さねばならない。脳なんかクソ食らえ」ということになる。しかし本当に脳と身体は対立しあわねばならないのだろうか。私は、脳だって身体の一器官ではないかと思う。そりゃあ脳は特殊な器官であることを認めるにしろ、「脳と身体」の関係は「対立関係」にあるわけではなく、たんに「並置」の関係に置かれているだけではないだろうか。どちらかが一方に従属、服従しているわけではなく、両者共々が充実した「差異」として、我々に手渡されているのではないだろうか。そう考えた場合、どちらが優位であるかという問題など、まったく無意味なものになってしまう。

 養老の論のちぐはぐさの由来を考えると、それはどうも養老の「自然」体験が、それ自体は文化的な営みである「昆虫採集」から来ていることにあるのではないか。正邪の予測がつかないアクシデンタルな自然の自然性が露呈することを、あらかじめ養老は排除しているように思う(養老は脳の暴走は認識しても、身体の暴走はその認識から抜け落ちている)。養老が許容する自然は去勢化された自然、標本化された昆虫のようなもののような気がする。しかしそれはもはや自然ではなく、文化であろう。

 もちろん養老自身もそのことには感づいているらしく、『超バカの壁』では、「女性で虫を集めている人はほとんどいません。虫好きの世界は男専科です。虫に限らず、コレクターというのはそもそも基本的に男の世界です」という文章が読まれる。こう言ってはなんだが、虫のコレクターってパソコンを用いないアキバ系みたいなもんだしね。

 ということで新たなる「電車男」の登場を願って、養老には合コン(合同コンパ)ならぬ合昆(合同昆虫採集)を企画してもらいたい。ここで登場する女性としては、やはり、モノマニアックな男へのシンパシーを描いた(『博士の愛した数式』)小川洋子が適任かと思われる。スガ秀美が指摘するように、小川は「フェティシズム」の作家であるわけだし、昆虫採集が趣味の養老は野生児というよりはあきらかにフェティシストなのだから、この2人はナイスな組み合わせと言えよう。

  養老には本格的な昆虫採集批判を、冗談半分であるが、期待したいと思う。

 ここで話を再び元に戻す。
 香山は次のように書く。「―「ひとにはやさしく」「誰もが平等」「他の国とも仲良く」という発想や発言は、本当に「きれいごと」なのだろうか。いや、そもそも「きれいごと」ってそんなに悪いものなのだろうか。そうだ、私は子供の頃から「理想は高く持ちなさい」と親や教師から言われて育った。「やっぱり世の中、こうあるべきじゃないか」と理想を口にすることが、誰かを侮辱することになるなんて、おかしいじゃないか……。」

 香山は理想が語れなくなった状況の到来をバブル崩壊後と認定しているが、じっさいは、先の田中康夫との対談で香山自身が語っているように、80年代に「意味」が打ち捨てられたのと同時に「理想」や「理念」も打ち捨てられたのである。そんなことは香山は百も承知しているはずではないか(あの時代「きれいごと」はかっこ悪いものとされていただろ)。もしかしたら香山は「意味」や「理想」の廃絶に加担したかもしれないのである。私は80年代の香山の活動については何も知らないが、もしそうだとしたら今さら被害者面するなよ。

 本書の第4章では尾崎豊の「卒業」が引用されて、現代の若者の反抗の不在が嘆かれるのだが、ここにも誤認があるように思える。尾崎のデビューは1983年だったが、彼の存在は反80年代的だった。尾崎が体現していたものは70年代の生真面目な反抗だった(80年代においては「反抗」が芽を出そうとしたとしても、「ニュートラル」なる言葉を切り札に使われてその芽は摘み取られた。そのことも香山は知っているはずである)。それが私には懐かしかったし、彼に対しては危うさをも同時に感じていた。

 当時のメインはサザン・オールスターズである。結局のところ、尾崎はサザンの桑田のような曲を書くことができなかった。ゆえに彼は早死にしなければならなかった。

 香山は尾崎の「卒業」の歌詞を引用している。「行儀よくまじめなんて出来やしなかった/夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」リアルタイムでこの歌を聴いた時、随分と古典的だなと思い、そしてまた良くも悪くも芸がないことに危惧の念を持った。その危惧は不幸にも的中した。尾崎を支持していた若者は新興宗教にでも行きそうなタイプが多かった。そこのところを香山は素通りしている。尾崎に80年代的な価値観を担わせようとする気配を香山には感じるのだが、そのような虚偽を私は認めることができない。

 第6章では吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)が引かれている。「1981年には、まだ「自分はどう考えるかをまずしっかり見定めろ」といった主張が声高に語られていたようだ」という文章が書かれ、次いで丸山真男の解説が紹介される。けれども『君たちはどう生きるか』も丸山の主張もどちらも80年代の価値などいささかも担ってはいなかった。そのことも香山は知っているはずだ。香山は愚鈍な恥知らずではないはずである。

 『君たちはどう生きるか』を、私は小学生の時、ポプラ社版で読んだ。次の一節など胸が張り裂けるような思いで読んだ記憶がある。

 「しかし、そういう苦しみの中でも、一番深く僕たちの心に突き入り、僕たちの眼から一番つらい涙をしぼり出すものは、―自分が取りかえしのつかない過ちを犯してしまったという意識だ。自分の行動を振りかえって見て、損得からではなく、道義の心から、「しまった」と考えるほどつらいことは、恐らくほかにはないだろうと思う。(原文改行)そうだ。自分自身そう認めることは、ほんとうにつらい。だから、たいていの人は、なんとか言訳を考えて、自分でそう認めまいとする。しかし、コペル君、自分が過っていた場合にそれを男らしく認め、そのために苦しむということは、それこそ、天地の間で、ただ人間だけが出来ることなんだよ」

 その後の私の生き方に強い影響を与えたのが、『君たちはどう生きるか』という書物であった。上の一節は、今メディアで軽々しく取り交わされている「倫理」の問題ということになろう。本当の倫理というのは肉体的な痛み(無意識の情動の力)とともにある。上の文章は私の肉体の奥深い部分を確実に染め上げたが、岩波文庫版が出た当時は(正確には1982年であって、1981年とするのは香山の記憶違いであろう)この倫理感覚は時代と大きく隔たっていることを痛感せざるを得なかった。周囲の人間とこの感覚を共有することはないだろうと思っていた。その頃この感覚と遭遇したのは、1984年に放映された『北の国から』の中で、自分の過ちを誤魔化し続けた純少年が場末のラーメン屋で父と妹にすべてを告白し悔悟の涙を流し、父と妹に温かく受け入れられ励まされる場面においてであった。

 『君たちはどう生きるか』が当時の若者には読まれなかったことは確実だし、このタイトル自体当時の気分においては笑いものにしかならなかった。それを80年代の言説として扱う香山の姿勢には首を傾げざるを得ない。不公正な態度を感じてしまうのである。かなりがっかりさせられた。

 香山にはかなりきつい文章になってしまったが、これは80年代文化人の当時と現在の態度に対する不信感が反映されているためである。彼らの一部は紋切型の政治家批判をしたりしているが、批判の対象と同レベルじゃないのと思うことが多い。

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