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  「硬質な夢―柄谷行人」

 夢は夢であってはならぬ。夢は現実化されねば意味がない。そのためには可能性と不可能性を厳密に認識すること。そして夢なるものが孕む強度を恐れぬことが必要だ(ただし夢の実現可能性という問題以外に、複数の人間のあいだでいかに夢は共有されうるのかという夢の不可避的限定性という問題がある)。

 ここで「夢」と語っておいたものは「倫理」「思想」「精神」はたまた「欲望」といった言葉で語ってもかまわないものである。あるいは、たぶん、これらの言葉を最もふさわしく表象する言葉は「差異」ということになろう。だから当然「差異=夢」に対立する言葉は、いかにもそれらしく甘やかではあるが、その内実は軽薄極まりない「イメージとしての夢」ということになろう。それはちょうど次のものと対になっている。怠惰な「現実主義者」とやらが、安易な居直りの手段に利用する薄っぺらな「イメージとしての現実」と甘ったるい夢は、両者共々手を取り合って怠惰な精神を増長させている。劣位としての夢と優位としての現実という図式を安易に語る人間は、結局のところ出来事の生成という労働を避けようとする非労働的な人間である(そのくせ虫の良い自己満足と、他人の労働の産物である「感動」は欲しがるのだから、たちが悪いのだが)。「夢」というやつにも、「現実」というやつにも、質があるということは強調しておかねばならない。私が欲しているのは良質な現実=夢である。

 柄谷行人が常に目指してきたものは「良質な現実」としての「夢」といえるのではないかと思う。批評家としての出発点から、彼はこの一点のみを巡って運動し続けている。

 批評家としての評価がそれなりに定まった1975年に、柄谷は彼自身の資質に極めて近い作家坂口安吾についての論考で次のように書いている。

 私はもう戦後に考えられた事柄にほとんど興味を持つことができない。関心をもつとしても、結局戦争期に考えられ、且つその緊張した姿勢をそのまま持続しえた作品だけである。

 戦争の時代の緊張がひとを明晰にするのだろうか。たしかにそうだ。が、ものを考えるのに理想的な状態などというものはありはしない。本当は外的条件とは無関係なのだ。思考を明確にするのは、明確たらんとする意志のみである。あいまいな比喩に終始し、けっして“底”に到達しえないダブついた思考に、私はもううんざりしている。        「『日本文化私観』論」)

 また、この文章が書かれたほぼ10年前(1966年)に、若干25歳の若さで書かれた論文の中で、彼は次のようにも書いている。

 すべて思想の名に値する思想は自己の相対化されるぎりぎりの地点の検証から始まっている。あるいは、思想家は自己を相対化してしまう現実の秩序と生活の地平に耐えねばならぬという恐ろしさを見極めようとする所からのみ生れる、といってもよい。
(略)即ち勝負はつねに個人の内面における矛盾をどれだけ検証しえているかによって、つまり各人の固有の幻想の根源の所で静かにつく、意識されると否とに拘らず。凡庸な思想家は殆ど現実的情勢の変転に応じて「無自覚のうちに」しかも「大義名分によって」めまぐるしく変転して行かざるをえない。 (「思想はいかに可能か」)

 ここで思い切り世俗的に「鍛錬」という言葉を用いてみたい。私が柄谷行人そしてまた坂口安吾のうちに見出すのは、「アスリート=商人=単独者としての兵士」というイメージである。アスリートにしろ商人にしろ兵士にしろ、彼らは現実と冷静にかつ活き活きと渉りあい、そこから潜在的な可能性の芽を見出し、新しい現実を作り出してゆく「理念」を担う技術者である。「新しい現実」というものは、過去から持ち越されてきた事実および条件や蓄積されたマニュアルや偶然性や新しい方法や気合や根性など、さまざまなファクターの組み合わせの上に成り立つものであるが、不当にも軽視されているのが「鍛錬」という古典的なファクターである。

 一時期フォーマットばかりに縛られていると新しい発想が生まれないという、けっしてウソばかりとはいえない話が共有されてしまって、基礎的な訓練が置き去りにされてしまったことがあり、それが一部の負け組みの増加にもつながっただろうなと個人的には思いもするのだが、「ファンタジスタ」と呼ばれるサッカー選手が閃きに満ちたプレーを披露するにあたり、どれほどの基礎的な訓練をつんできているかは今一度思い起こしてみるべきだろう。

 ところで「素晴らしい」からではなく、なんとも「好ましくない」がゆえに記憶に残ってしまっている光景がある。何年か前の報道番組の特集で、反核のメッセージをとなえるけな気な女子高生を紹介していた。「自分は何も出来ないから、反核の署名運動をする」というのが彼女の言い分であった。その姿勢に戸惑い、署名を拒否する大人の姿も放映されていたが、ニュースキャスターは「嘆かわしい大人の姿ですな」という意味のコメントを発していた。その番組を観ながら私は苛立ちを覚えていた。「本気」の不在が腹立たしかったのだ。「何も出来ない」のであれば、「何かを為しうる自分」を鍛え上げるのが先決であろう。それはもの凄く時間のかかることであるし、事の成否もわからないことであるが、その困難さを引き受けることが真の誠実さというものだ。残酷なことを言えば、その高校生は大人に褒められたがっている子供であり、そう簡単に成果を要求してはいけない(ちょっとキツいかな)。

 これと似たようなものに世間的には名曲扱いを受けている「エボニー&アイボリー」(ポール・マッカートニー&スティービー・ワンダー)がある。私は世評に反してこの曲が嫌いである。「ピアノの黒(エボニー)と白(アイボリー)の鍵盤のように、黒人と白人も調和しようよ」というのがこの曲のメッセージであるが、ピアノの鍵盤と現実としてある人種問題を安易にも置き換えてしまうことに、余裕たっぷりの白人の勘違いがある(「これでオレもいっぱしの社会派だわい」と悦に入るポールのバカ面が思い浮かんできて腹立たしい)。この安易な発想の曲は黒人と白人の現実問題を隠蔽する機能を果たしかねないものでもある。この曲を感動の名曲などとは私にはとても言えそうにない。

 ようするに不真面目なのだ。この種のぬるい良心的ポーズというやつは、希望の現実化を流産させるものであることをきちんと認識すべきである。ここに登場した「希望」という言葉は「必要」というより硬質な言葉に置きかえた方が「柄谷=坂口」的であろう。ぎりぎりの状況において、「必要」という切迫したものとして到来するものこそが、真の「希望」というものである。坂口安吾は次のように言っている。

 僕の仕事である文学が、全く、それと同じことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生れてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。実質からの要求を外れ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たわいもない細工物になってしまう。   (「日本文化私観」)

 この一節を引用して、80年代サブカル文化人が「遊び心がどうのこうの」と言い出しそうだと思ってしまった。ちなみにフロイトは次のように言っている。「遊びの反対物は真剣ではない―現実である」このフロイトの言葉は80年代的イメージカルチャー批判のみならず、坂口および柄谷の本質を的確に言い当てている。「遊び対真剣」という底の浅いイメージの中で自足していたのが80年代のメインカルチャーだとすれば、坂口=柄谷は「遊び対真剣」というイメージを突き破った差異の場所において思考していたのである。

 その場所は具体的には、安吾であれば「文学のふるさと」というエッセイで語られた「宿命などというものよりも、もっと重たい感じのする、のっぴきならぬもの」であり、柄谷であれば『探求』において全面的に論じられた「共同体と共同体の間」である。

 ところでこの「差異の場所」ほど反日本的なものもない。自堕落な比喩を弄せば、それは農村と対立する砂漠(都市)のようなものであるからだ。そこは構造が成立するダイナミズムそのものの空間であり、真の独創や才能が試される場所でもある。むろんそれは時が過ぎれば平板な構造の内に閉じ込められることになる。経済学や非世界宗教や言語学や哲学や科学のように。けれどもこの構造(農村的共同体)のなかでこそ繁栄してしまい我々はイケてると思い込めるのが日本的民族の特性のようなのだ(かならずしもそれを悪だとは言うつもりはないが)。坂口安吾の歴史観に引き寄せて言うと、差異の場所で固有の生のスタイルを作り上げたのが織田信長で、安眠欲しさに村の論理を貫徹させ人民に奴隷根性を叩き込んだのが徳川家康ということになる。

 織田信長といえば今では小泉純一郎の名がでるようになってしまっているが、小泉改革のアンチとして「日本的云々」というふうに語られていた時、私は、そういうふうに語る人々の無意識の中に徳川体制へのノスタルジーを感じてしまった。べつに私は小泉の支持者ではないけどね。

 話のついでに書いておくと、「政治」に関してはメディアで妙にむきになっている人のように、私は細かい要求はないんだよね。私はパブリックとプライベートははっきりと区別しているから。であるから「夢の持てる政治が欲しい」とかいう言い草がまったく理解できない。「夢」というのはあくまでもプライベートに属するもののはずである。プライベートなものに公権力が介入することは絶対にあってはならないことである(最低限の「統治」は必要だとは思うが、内面の「統治」は「暴力」であるとして断固反対する)。逆に言うと個人的な願望を公的空間に持ち込もうという意欲は私には希薄である。というよりまず、公的空間は断念(妥協)の場所という諦めが私にはある。一般的には私的利益の調整が政治の役割ということになるのだろうが、私的利益を超越することを「公的なもの」に期待したいのだ。「国益」がぶつかり合う国際社会におけるニュートラルな「国際法」のようなものを(真の「ニュートラル」とは何かという問題はおいておくとして)。こういうことを言うと「飯が食えるか」とか「腹の足しにならない」とか言う人間が必ず出るのだが、そういうことを言うやつに限って、舌の根も乾かぬうちに「政治家には信念が必要だ」とか軽い思いつき程度のことを喋り散らすのだ。

 私が政治家になってもらいたいと思う人材は「能力があり志も高い人」であり、私が政治家に作ってもらいたい社会は「公正で快適でかつ品格の高い社会」というあっさりとシンプルなものでしかない(「品格の高さなどクソ食らえ」と思う人間もいるだろうなとは思う)。

 あとあまり好きになれない言い草に「平和を作り出したい」とかいうやつがある。「どうして世界に平和が訪れないのでしょう」と目を潤ませてのたまうカマトトを見かけたりするが、それは人類が複数であることの条件ではないか。多様性が真の多様性として機能するには、少しぐらいの葛藤はむしろ健全である。最悪の衝突には注意を払うべきだが、偽りの多様性を「平和」という言葉を被せて語るイデオロギーは戦時中の「京都学派」がやったことではないか。私は「真の多様性」にはこだわりたい人間なので、いきなり「平和」を持ち出すよりは「仲良く喧嘩する」というか「うまい具合に対立する」というか、そういう上手な葛藤の技術を身につけることの方に有効性を見出す立場である。

 話があらぬ方へと行ってしまった。柄谷行人や坂口安吾に関しては書きたいことは山ほどあるが、それらは別の機会に譲るとして最後に一言。坂口安吾のうちには一種の「企業人の精神」が認められるのだが、だから「IT長者がどうのこうの」と言いたい訳ではなくて、そういう精神の中にこそ権力批判や行き過ぎる金儲け主義への対抗の実践的可能性があるということを指摘したかったのである。何か一般的には(というよりは癒し派が抑制せずに語ってしまう言説には)、「無為」や「無用」の中にこそ変革の可能性があるかのような幻想が共有されているみたいだが、正当なカウンターを担う人間は自律的能動的な企業人の方に遥かに近いところにいるのである。「自分には才能がないことを自覚する才能は自分は持っている」とか言うようなクズはお話にならない。「企業人」であることと「市民」であることの「一人二役」を担い続けるには、「企業人」のみであることや「市民」のみであること(ようするに「一人一役」)以上の「才能」や「努力」が必要とされるのである。

(2005・10・10
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