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  「少女小説としての『本格小説』と『邪宗門』」

 「貧しい庶民と新興宗教」と言えば、「宗教は民衆の阿片だ」というマルクスの言葉のように、普遍的でかつアナクロニックな認識だと、現代ではなってしまうのかもしれない。さらに付け足して「貧しいながらも聡明さと矜持を保持する女性は少女小説を志向する」と書くと、恥の上塗りを重ね、おまえは時代錯誤な偏見の持ち主であり、こっ恥ずかしくて正視に堪えないよ、という批判や野次を頂戴することになりかねないのかもしれない。しかしながら、私はこういうのっぴきならない風景の中に置くことによってしか、「少女小説」を肯定することができそうもない。

 自らの小説に『本格小説』という題名を堂々と掲げてみせた水村美苗は、上巻の171から176ページにかけて「本格小説」として以外の読み方は許さないとおそらくは批評家に向けての防護線を張るのだが、私のような罰当たりの読者はこの作品をもっぱら良質の「少女小説」として読み続けたのだった。だから私はこの作品の最悪の読者であるかもしれない(しかし好きだねこのフレーズ)。けれども例えば、物語の始まる前に置かれた「本格小説の始まる前の長い長い話」と題された章において描かれるところの「私」(=水村)とこの作品の主人公東太郎との最初の関わりあいの場面で、2人の若い男女は日本から新しい居住先のアメリカに持ち運ばれた「少女文学全集」を挟んで、ほんの一瞬、互いの内面を垣間見るのである。またこの作品の主要な語り手である「冨美子」は、「小中学校を通じて一番を通すほど成績がよく、最後の受け持ちの先生から高校に上がらないのをたいそう惜しまれ」ながらも、家庭の経済的事情と時代背景もあって、戦後の成城の上流階級の女中勤めに甘んじなければならないのだが、二週間に一度の休日に18歳のうら若き乙女は上野をぶらつきながら、「高校に上がって勉強を続けている級友」を羨み続ける。「さんざん歩いたすえ、ぼんやりとベンチに坐って午後の光に夕闇がせまってくるのを全身で感じていました」と作品の言葉は、当時はありふれたのかもしれないこの薄幸の少女の孤独を描写するのだが、かつての松竹映画が巧みに画面に(おそらくはローアングルで)定着させたであろう夕闇に浮かぶ寂しい背中の映像が、強烈に私の脳裏に刻まれている。そしてこれが「文学の原風景」ではないのかと思うのだ。こうした風景において少女小説は発生し、孤独な心を慰撫したのではないか。それを私は擁護したいと思う。「フミ子お姉さん、ぼく、フミ子お姉さんに一生に一度ぐらい少しはいい思いをしてほしいんだ」という東太郎の言葉とともに。東太郎というキャラクターは、冨美子と彼女と同じように誇り高い不幸な女性である「宇多川家のお祖母さま」の2人の女たちの共同作業によって夢見られた、切ないファンタジーの主人公のように、私には見える。

 高橋和巳の長編小説『邪宗門』もまた、その作品世界の根底には女性(達)の不幸が横たわっている。戦時下および終戦後において国家と激突する「ひのもと救霊会」(実在した大本教がモデル)の開祖は、「行徳まさ」という貧農に生れた女性である。女中奉公、二度にわたる不幸な結婚と一家崩壊、絶望による心神喪失状態での「一カ月余り」にわたる山中彷徨を経ての宗教活動の開始。まず最初に彼女に集団帰依したのは「山のはざまに住んでいた新平民部落の人々」であった。ここにもファンタジー的なものを要請せざるを得ない切実な状況がある。だから私はこの小説を一種の「少女小説」として読むのだ。真面目な高橋文学ファンからは謗りを受けるだろう。かつて吉本隆明はこの作品を「高級すぎる大衆小説」と呼んだことがあるが、思想的な側面から見た場合は凡庸な研究レポートを読まされているようで、さして刺激を期待できるものではない。「少女小説」あるいは「少年小説」の感触を味わうように読むのが、それなりに趣味のいい読み方のような気がする。例えば『邪宗門』の主人公千葉潔は、餓死寸前の身寄りの無い孤児として作品の冒頭に登場する。「みなしご」というのは少女小説の恰好のアイテムであろう。(『悲の器』で公的に文壇デビューを果たす以前に、高橋には自費出版された『捨子物語』という作品があるが、高橋文学の核心には「捨て子の感覚」といったものがある。それが悪いというつもりはない。文学の言葉は捨て子の言葉だとすら言えよう。問題は高橋が通俗的な捨て子だというところにある。この通俗性がいささか引っかかるものを生じさせているように思う。「通俗的な捨て子」といえば、近頃再注目を浴びている松本清張もまたそうした一人といえるが、妙な観念性が希薄なぶん、相対的には安心して読める作家ではある。)

 『邪宗門』において鼻白むことなく読めるのは、「少女(少年)小説」的な場面であった。例えば、身寄りの無い千葉潔少年と彼が拾われて世話を受けることになる教団の二代目教主の次女阿貴との交流。阿貴は「小児麻痺」の後遺症から足が不自由なのだが(いかにも「少女小説」!)、潔と阿貴は雪の降り積もった冬のある日、共同墓地のはずれの台地で相対する。「さあ、ここならだれも見ていないし、雪がつもっているから転んでも痛くない。歩いてごらん」二人の追いつめられた弱者が手を取り合うようにして、世界の重圧をはねつけようと試みる。真の連帯の萌芽がここにある。高橋がこの場面をどこから着想したのかはわからない。ジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』などが思い浮かぶのだが、ここは「少女小説」というテーマに従って、『アルプスの少女ハイジ』の一場面を想定することにしよう。精神科医の斉藤環は「おそらく、友愛と尊敬という二つの崇高な感情の起源は、少年期にある」(「「少年」という名の倫理」)と書いているが、「少女(少年)小説」のひとつの要件は、「崇高さ」を体験させることにある。

 ところで『本格小説』における多彩な登場人物の中にあって、さほど出番が多いとはいえないにもかかわらず、他の誰よりも「崇高さ」を感じさせる人物に宇多川家のお祖母さまがいる。彼女は宇多川家の「先代が囲っていた芸者で、旦那さまの実母にあたるかたがスペイン風邪で亡くなったあと、後妻で入って」きた女性である。そのような事情があるゆえ、彼女は家の中で肩身の狭い思いに耐えながら生きざるを得ない。とはいえ彼女はもとはちゃんとした「士族」であり、いわゆる没落後に芸者に身を落としたのである。冨美子の眼には「芸者をしていた昔を偲ばせるようなところはどこにも」ないし、「向島あたりで育ったとも聞きましたが、いわゆる下町風のところもありません」。私にはこの人物が今秋五千円札のデザインとして登場した樋口一葉の姿とだぶってしかたがなかった。

 そしてこのお祖母さまが『本格小説』の主人公たる東太郎の庇護者、いわば「あしながおじさん」の役割を果たすのである。『本格小説』はエミリ・ブロンテの『嵐が丘』を先行モデルとして書かれているが、東太郎はヒースクリフに対応している(冨美子は『嵐が丘』の語り手ネリーに相当する)。ということで当然太郎は身寄りの無い孤児で、宇多川家に隣接する貸家に住む宇多川家のもと「車夫」の親戚の家庭に引き取られている。太郎は義理の母や二人の兄から猛烈な虐待を受けているが、孫のよう子(彼女こそがキャサリンである)から太郎の惨状を聞かされたお祖母さまは、ある日、冨美子を仲介として太郎に揚げパンを買い与える。この「贈与」の身ぶりに注目しておこう。私の考えではこの作品は、「贈与」という崇高な行為を主題とした、そしてそれを作品の構造そのものに組み込んでいる小説なのである。

 お祖母さまの力によって、宇多川家に「手伝い」として出入りするようになった太郎およびよう子の短くはあるが幸福なそして決定的な時間は、お祖母さまの死によって終結を迎えるが、彼女は遺言として自分の家族に対しては自分の貯えたお金で太郎の学校の援助をすることを、そして冨美子に対しては「もしね、よう子ちゃんが一緒になりたい……一緒になってもいいっていうことだったらね、一緒になれるようにフミ子さんが力になってやっておくれね。あれじゃあ、あんまり、可哀想だからね」という言葉を残す

 お祖母さまが図らずも示すことになる「贈与」や「善意」が、「成城」や宇多川家の所有する別荘がある「軽井沢」という土地と通じあっているとするなら、「蒲田」という土地柄は「搾取」や「卑しさ」という損な敵役を担わされている。この作品では、戦前的な価値と戦後的な価値の対立と並行して、軽井沢(成城)と蒲田の対立が作品世界の背景に据えられているが、それによって歴史的階級的現実性が加わり、大人の鑑賞にも堪えうる骨太なロマン(少女小説)の成立に成功している。お祖母さまの死後、太郎は「新宿高校」から定時制高校に転校させられ、昼間は義理の父が作った蒲田の孫受け工場で労働奉仕させられることになる。私は「軽井沢」=堀辰雄(少女小説)と「蒲田」=中上健次(あるいはノッティンガムのシリトー)の対立を思い浮かべていたのだが、中上は蒲田のこういう描かれ方をどう思っただろうかと興味を感じた。私自身はこの問題に特にコメントする気はないが(ちょっとズルいかな)、「水と安全と民主主義はタダだ」とするカン違いには不満を持っている。「民主主義」はもとは商人(階級)のイデオロギーなのだから経済(企業)活動と同じく、日々の努力によって鍛えられ、創り上げられてゆくシステムであろう。私が思い描くのは「高貴なる民主主義」(東証一部上場みたいな?東証一部は一流企業というエリートの舞台であるが、そこに至るプロセスは平等な条件での競争という民主的な手続きを経ている)であるが、こういう表現には根本的な背理があるのだろうか。だが「民主的な皇室」という表現よりは論理性も現実性もあるのではなかろうか(ピラミッド型体制というのはおそらく自然の所与の条件だが、それを転倒してみせるのが文化(教養)の力ってもんだ)。「民主的な皇室」という言葉はたんなる間違いである。

 先に述べた蒲田でのいきさつによって太郎は大学に進学するための勉強の時間を奪われてしまうのだが、ここで助け舟を出すのが最初の結婚に失敗し、今では渋谷の事務員として生計を立てている冨美子である。冨美子は太郎がアメリカに渡るまでの間、自分のアパートに太郎を住まわせ、自分のおじのコネでアメリカ人のお抱え運転手の仕事の世話をもする。

 そしてニューヨークで大出世を果たし、ひとつの伝説の人物とすでになっていた1981年以降、太郎による恩返しというか、贈与のドラマが開始される。80年代から特に顕著になってくるシニシズムと経済万能主義の時代の趨勢において(80年代の根底にあったのは「ダーウィニズム」を賛美する気分であっただろう。村上龍の『愛と幻想のファシズム』はそうだったし、現在のグローバリゼーションの動きはこの時代に加速された)、太郎のとる行動はそれに逆行している。太郎は「贈与(つまりは崇高さ)の原理」を擁護する身振りによって、「等価交換の原理(売買さえ成立すれば心なんか関係ねえよという原理)」を軽蔑してみせる。「人間はこんなもんさ」という安易なシニシズムの対極にある「人間を尊敬したい」という願望がいまだ残っている私には、太郎の振る舞いがたいそう小気味がよかった。(「私があるものの到来を待っているのは、私にまだ「希望」に蝕まれる部分がのこっているからだ」という江藤淳の言葉が偲ばれてしまうのだが。それにしてもこうした生の在り方はひとつの「受難」ではなかろうか)。太郎は自分の良き思い出(崇高さの起源)のためにだけに軽井沢の山荘を買い取るが、その管理の仕事をまかせる冨美子に対して太郎はとうていつりあいの取れぬ金銭を提供する。二度目のそれなりに恵まれた結婚相手を亡くした冨美子を太郎は自分の「アシスタント」として迎えるが、そんな太郎の振る舞いを見ながらよう子は言う。「太郎ちゃんは、ほんとうはフミ子お姉さんの面倒をずっと見たかったんだと思うのよ。それが旦那さまがいらしたんで、遠慮してたんだと思うのよ。だからこれぐらいのことはさせてあげなきゃあ」

 やがて90年代に入り、よう子すらも死んだ後(93年)の冨美子の語りの現在時(95年)に、冨美子は太郎によって軽井沢の土地と東京のマンションを「贈与」されたことを、宇多川家の人間から知らされる。その場に同席していたのが、冨美子が太郎の物語を伝える加藤祐介であり、『嵐が丘』のロックウッドに相当する人物である。

 そう、この物語は加藤祐介への思いもかけぬ「贈与」でもあったのである。太郎の物語の熱にあてられた祐介は日本での勤めをやめ、太郎を模倣するかのようにあてもないままにアメリカに発つことになる。(ところで『邪宗門』の千葉潔は東北の貧しい家庭で「私の肉を食べて生き延びよ」という母の遺言どおりに母の死肉を食べた過去を持つ。彼は母からの究極の「贈与」の記憶を深い傷として身に刻まれた人物なのである。)

 そしてこの物語は98年の1月に祐介の手によって、作者たるアメリカ在住の水村美苗のもとへと届けられることになる。「東さんのことを知りたかったのではなく、東さんのことを話したかったのです」と語るこの若者は、「男の人が男の人に恋をするとしたらこのような顔をするのだろう」という表情を浮かべながら、初対面の人間と向かい合う。この作品は、だから、幾重にも積み重ねられた物語の贈与の上に成り立っているのである。じっさい水村は、開巻早々のところ(上巻7ページ)で、次のように書きつけていた。「そこへ思いもよらぬ「小説のような話」が不意に天から贈られてきた。それもこの私を名指して贈られてきたのである」贈与の物語が、物語の贈与という条件を基盤として、幾重にも「贈与」を反復してゆく。

 馬鹿のひとつ覚えみたいに「贈与。贈与」と繰り返してきたが、文学体験それ自体が、経済原理とは異なる原理に属する「贈与」の体験ではなかったか。

(2004・11・27)
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