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  「小谷野敦の正体」

 おそらく書いた本人にとっては悪い思い出にまみれているのだろうが、小谷野敦のデビュー作『新編八犬伝綺想』は1990年に出版された。この書物は小谷野の修士論文が元になっているのだから、80年代に思考され、書かれたことになる。80年代に『八犬伝』と愚直につきあうという姿勢は、私の眼には新鮮に映った。(時代は村上春樹であり、村上と『八犬伝』という取り合わせはちょっと考えにくい。ただし村上のレイモンド・チャンドラーファンは有名であり、フィリップ・マーローは現代の騎士(ナイト)と言われるのだから、意外と近い世界と言えるかもしれないが。

 80年代を象徴する出来事をひとつ挙げろと言われれば、私はまず、86年の7月に行われた衆参同日選挙での自民党の大圧勝(304議席獲得)を挙げる。根っからの自民党嫌いというわけではないが(私は所謂「無党派層」)、時代は「保守的な不真面目さ」というものなのだなとつくづく実感した。「保守的な不真面目さ」という言葉は「無害なシニシズム」や「おシャレなコンフォルミスト」というニュアンスを含んでおり、これは今もなお残っているが(例えばイラクで人質になった人々へのバッシングや冷笑がその例。彼らに対する擁護の動きがあったことがまだ救いである)、80年代前半にはそれが今よりもずっと厚顔無恥を晒していた。そしてそれが同時代性を体現してもいた。

 86年に先立つ3年前の衆議院選挙(野坂昭如が田中角栄を落とすと宣言して新潟から立候補したが、若者文化圏からは失笑を買い、結局落選した選挙。ただし自民党はこの時大敗)の前に、自民党議員が相次いで失言をして新聞などの旧メディアでは問題となった。秦野法務大臣曰く「政治家に倫理を求めるのは八百屋で魚を求めるが如し。」金丸信曰く「リンリ(倫理)リンリで飯が食えるか。鈴虫でもあるまいし。」もちろん新聞などの論調はこれに反発し、タテマエ論を繰り広げざるを得なかったが、私には残念ながら古臭く感じられた。そしてこうした発言をする国会議員のほうに同時代的な感覚を感じた。忌々しさとともに。しかしこれを正面きって批判すれば、とたんに「ダッサァー」とターゲットにされるのは明らかであり、当時今の言葉でいう N G Oや N P Oのような活動(反核やエコロジーやボランティアなど)はそれなりに出始めていたが、そのどれもが「ダッサァー」「クラーイ」の一言で一蹴されていた。イラクで人質になった人々はあの頃であれば、今よりもつらい思いをしたのではなかろうか。「自然体」と言えば聞こえはいいが、思考停止状態が義務化されているようなたちの悪いガキ(今の言葉で言うと動物化)の時代であった。

 N G O 的な活動が80年代のイメージを払拭して我々の文化的風景に馴染み始めたのは、カンボジアにおける国連の援助活動で不幸にも命を落とされた中田厚仁氏のニュースが話題になった93年の頃からだと思うが、決定的なのは95年の阪神大震災におけるボランティアが思いもかけず続出したことだった。80年代であれば考えられないことである。そして同じ年にオウムによる地下鉄サリン事件が起きたことに因縁めいたものを感じる。というのもオウム信者のいくぶんか(例えば林医師)は、オウムに入っていなければ神戸でボランティアに励んでいたのではなかろうかとつい想像してしまうからである。80年代における潜在的な N G O 的活動者の一部がオウムへ行ったのではないかという仮説を私は持っている。

 たしかにボランティアなどに勤しむ一部の人の根底には自己消滅の願望がないとは言えないのは事実であり、それが80年代的な感性に馴染まなかったということがあるのかもしれない。しかし不幸を抱え込んだ人(こう書くとボランティアに失礼にあたるが)が、その不幸を他者への善意に変えていこうとする試みは、けっして華やいだものではないけれども、侮蔑されてはならないものだっただろう。

 そこにはあきらめというか、自分の幸福を限定する行為があるわけだが、その諦念を悪の方へではなく、(いかがわしくも)善の方へと長い時間をかけて変質させていく行為はベストとは言い切れないけれど、不幸な影がさす人生をしのいでゆく選択手段のひとつではあろう。だれもが明るい人生を授けられているわけではない。偽善への回路を断ち、不幸に居直ってしまえば、あとは宅間守が辿った道ぐらいしか残されてはいない。

 80年代はガキの勘違いがもてはやされすぎていたというか、さらにまずいことに勘違いを装った巧妙な近親憎悪の横行(明るさを装っていた者の中には暗いがゆえに暗さを必要以上に敵視する者がいたのは事実)があり、行き場を失った者を妙なところへと追いやってしまった。精神科医の香山リカが80年代がオウムを準備したのではないかという意味のことをどこかで語っていたような気がする。

 ところでここにずっーと書いてきたようなことは、一般的な場では通用しないので、まずは私はこういう話はしない。表面的な話しかしない。香山リカや小谷野敦ならこういう話は通じるだろうとは思う。

 で、話は小谷野である。 単行本としては90年に出版された『八犬伝綺想』は、江藤淳の『成熟と喪失』を真剣に読んだ記憶を持つ者によって書かれた書物である。今でこそ福田和也や宮崎哲弥のような小谷野と同世代の保守派の論客(生活保守ではなく原理としての保守)も珍しくはないが、80年代において「江藤と若い人間」という取り合わせはかなり違例のことであった。まずはギャグの対象とされたことはまちがいない。といっても茶々を入れる側の方の人間が筋金入りの左翼かというとそんなことはなく、そのほとんどは「トレンディーな村人」といった類の無自覚なコンフォルミストにすぎないのであった。

 小谷野の本は、江藤淳の悪い部分がそうであったように、「成熟」という観念に捉われた裏返されたロマン主義みたいなところがあって、そこが私などは違和感を持ってしまうところなのだが、それでもなお小谷野を肯定したいと思うのは、ニヤけたコンフォルミスト的ななしくずしの野合よりは不器用な孤立の方が好ましいと思えるからである。それこそ不器用な表現を用いれば、「武士」的な精神の色気のようなものを感じるからである。

 小谷野といえば、けっこう売れたらしい『もてない男』が有名であるが、自らを「もてない」と規定するのは、かなり精神にゆとりがあるというか、相当自分に自身のある者でなければできないようなふるまいである。

 小谷野の良質な部類に属する文章に接している時に私の脳裏に掠めるのは、木村拓哉と坂口憲二と妻夫木聡を足して三で割ったような水も滴るいい男のイメージなのである。巷間に流布している肖像写真に見られる白木みのると Mr. オクレを足して二で割ったような風貌は間違いなくダミーであると睨んでいる。「小谷野さんも人が悪いね。災害地に2億円の当たりくじを匿名寄付するのに匹敵するようなへりくだり方をするなんてさ」と思わずにはいられない。

 小谷野の容姿に対する私の確信を証明するかのように、いつの日か近いうちに絶世の美男子が現れて「僕がジャニーズの最終兵器です」と宣言することを、私はけっこう本気で期待している。

(2004・8・8)
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